あなたと出会い50年。病と共に生きる。
大学二年の夏。むせ返る暑さの中で、蜃気楼のように朧げな女性を見つけた。
美しくもどこか儚くて、目を逸らしてしまえば消えてなくなってしまいそうだった。
この表現は、あの頃を美化した私の幻想なのかもしれない。
実際の彼女は話してみれば明るかったし、私が抱いた第一印象は「こんなにクソ暑い中、よく長袖なんか着ていられるな」だっただろう。
そんな私たちはやがて付き合うことになり、大学を卒業して結婚。
苦労の末、子供を授かることも出来て至高の喜びを感じていた。
そして――平凡な生活を続け、妻は七十歳でその人生の幕を閉じる。
なんてことのないように聞こえる誰かの一生。
しかし彼女は出会った時には既に、慢性腎不全という治癒しない病を患っていた。
その死に顔は、嬉しそうに微笑んでいるようにも見えた。
苦痛に顔を歪めることもなく、安らかに息を引き取った妻の手を取る。
これまでの五十年間の人生を振り返って、私は一言だけ声を掛けた。
「お疲れさまでした」
この瞬間は、最愛の妻を失った喪失感、虚無感、悲壮感は不思議と湧いてこなかった。
いつこの時が訪れてもいいように、既にお別れは済ましておいたというのもあるだろう。
しかし今はそれよりも、旅立つ妻の魂を穏やかな気持ちで見送っていた。
「大丈夫。お母さんは幸せだったよ」
葬儀を終え出棺を見守る私の後姿に、娘が優しく声を掛けた。
気丈に振る舞っていたつもりだったが、やはりどこか寂しい気持ちは隠しきれていなかったのだろう。
「そう思っていてくれたのなら、私にとってこれ以上のものはないな」
「そんなんじゃ駄目だよ。お父さんが居たからお母さんは幸せだった。お父さんが居たからお母さんは前を向いて生きていられた。他の誰よりも、お父さん自身がそう思わなくちゃ」
「ああ……その通りだな」
妻の境遇は決して恵まれていたものではなかっただろう。
しかし、それを不遇だとは思って欲しくなかった。
歩んできた道を振り返った時に、私の人生悪くなかった。幸せだった。少しでもそう思ってくれたらいいと心のどこかで願っていた。
今はもう、その答え合わせをすることは出来ない。
ならばせめてそう思って欲しかった私自身が、そうであったと信じてあげるしかない。
そんな当たり前のことを、娘に諭されて少し恥ずかしい気分だった。
それからの私は、妻のいなくなった家に一人で過ごした。
日を追うごとに脱力感のようなものがのしかかってきて、全てが無気力になっていく。
それもそうだ。
妻との生活は私にとっても人生そのものだった。
出会ったあの日から、私の世界の中心だった。
今はもう、その中心に何もない。
そんなことを思いながらソファーで放心していると、膝の上に柔らかい重さを感じた。
「ああ、すまない。お前のことを忘れてるわけじゃないよ」
そう言って、リードを咥えた愛犬の頭を優しく撫でる。散歩の催促に私の元へやってきたようだ。もしかしたら、励まそうとしてくれているのかもしれない。
私はソファーから立ち上がり、愛犬と共に玄関へ向かった。
外に出ると、激しく照り付ける日差しで額がじわりと汗で滲む。
初めて妻を見かけたあの日も、こんな暑い夏の日だった。
あの頃を懐かしむように、私は愛犬といつもの遊歩道を歩く。
木々に囲まれた遊歩道は、やさしく吹く風によって夏の熱を冷ましている。
毎日歩き続けているこの道に、隣に歩く影がないことを寂しく思った。
こんなことを繰り返している私は、抜け殻のように日々を消化しているだけだ。
定年後、妻と余生を過ごしているだけだった私にはもう何も残っていない。
娘の家に越して孫の世話でもしようかと思うが、あんな狭い家に初老のじじいを置いておくスペースはないだろう。旦那の立場を考えても私から提案するには憚られる内容だ。
これからの私はどうやって生きていけばいいのだろう――――
遊歩道沿いのベンチに座って空を見上げていると、六十代くらいの婦人に声を掛けられた。
「こんにちは。最近はお一人なんですね」
婦人は私と同じように、この遊歩道で犬の散歩をしていた。活動時間が同じなのか比較的顔を合わすことは多かったが、声を掛けられるのはこれが初めてである。
「ええ、妻は先日亡くなりました」
「あ……ごめんなさい、私ったら余計なことを……」
婦人はとても驚いた様子で口を手で覆う。
積極的に出したい話題ではないが、不思議と嫌な気分がしなかった。
「いえ、お気になさらず」
そのせいか、私は自然と笑顔で返していた。
婦人は私の反応を見て強張っていた表情を緩ませる。
「でもまだお若くお元気だったでしょう? それがどうして……」
「妻は透析をしていたんですよ。年齢は七十過ぎでしたが、身体の中はボロボロで限界がきていましたからね」
「はあ……透析、ですか……」
婦人は透析という単語に首を傾げる。
私にとっては当たり前の日常だったが、透析は世間では一般的とは言えない。触れる機会がなければ、どのようなものか知らない人も当然いるだろう。
「妻は若くして腎臓の病気を患っていました。生きていくためには人工透析という治療が必要不可欠だったんです」
「腎臓の病気だったのですね」
「おお! 透析ね! 知ってる知ってる!」
私と婦人の会話に、大きな声が割って入った。
声の主は七十代前半くらいの男性で、婦人や私のように日常的に犬の散歩をしている顔なじみだった。彼とも言葉を交わすのもこれが初めてである。
男性は私と婦人の視線を受けると、続けて話始めた。
「いやあ、このスポーツジム仲間の林さんが透析やることになったって話しててな! 病院に行って二本もぶってえ針を刺されてベッドで四時間も横になってなきゃいけねぇ。それが週に三回も! しかも死ぬまで続けなきゃいけねえって言うんだから、こんなん生き地獄だ! って愚痴ってたんだよ!」
男性は相変わらず大きな声で捲し立てるように言う。
その様子に私も婦人も圧倒されていたが、きっと普段からこんな調子の人なのだろう。
「そうですね。大まかに透析とはそういうことをするものです。人によっては生き地獄と感じることもあるでしょう。でも妻は、そんな治療を五十年間も続けていました」
「はあ!? 五十年間も!? そりゃあ大変だっただろうに!」
「もちろん楽なものではなかったですよ。しかし、正しく向き合えば苦労も最小限に留められます。本来ならば死を待つだけでしかない病気の希望でもあるんですよ。透析という治療は」
「へえーそうなのか。なあアンタ! 良ければどんなものか教えてくれよ! 林さんに教えてあげなくちゃいけないからさ!」
男性は食い気味に大きい声で言った。
「私も知りたいですね。透析のこと」
それに婦人も続く。
「そうですか。ではまず腎臓という臓器のことですが――――」
いつもの散歩道、いつもの遊歩道で何気ない会話から始まった私による講義に、婦人と男性は興味深く耳を傾けていた。
私は話した。腎臓のこと、透析のこと、そして――妻のこと。
話している間、私は自分に生気が戻っていくような気がしていた。
何よりも、妻のことを話していることが楽しいと感じていたのだ。
帰宅した私は、パソコンを起動させた。
何かに取り憑かれたように、画面の中に文章を連ねていく。
先ほど婦人と男性に話している時に思った。
世の中には透析を知らない人がいる。
世の中には透析というものを上辺の会話だけで理解した気になっている人がいる。
世の中には、妻の生きてきた五十年を知らない人がいる。
ならば私は知ってもらいたい。
それが共に生きてきた私の、これから出来ることなのだと思ったのだ。
妻の患っていた疾患の名前は【慢性腎不全】という。
読んで字が如く、腎臓の機能が常に低下した状態のことを言う。
この状態に陥っている患者は日本でも三十万人を超え、年々その人口は増加し、四十万人に迫るところまで来ている。この状態すべての人たちが透析を必要とし、その治療を受けていた。
私は思う。
これだけの人口の患者がいるにも関わらず、その認知度は世間ではあまり知られていないのではないか。そもそも腎臓という臓器がどういう役割を果たしているかを、正しく理解している人すら少ないのではないかと。
腎臓は尿を生成する臓器だということはある程度の人は知っているだろう。しかし、それだけではなく五つの重要な役割を持っている。
一つ目は『尿として老廃物を体外に排出する』役割。
二つ目は『電解質のイオンバランスを保つ』役割。
三つめは『血圧を調整する』役割。
四つ目は『造血ホルモンを分泌する』役割。
五つ目は『骨の生成に必要な活性型ビタミンDをつくる』役割。
これらの機能が慢性的に低下した患者はどういう治療を受けるのか。
どうやって妻は五十年も生きていることが出来たのか。
私は今までの人生を振り返り、初めて妻を見かけたあの日からを文章に綴る。
これから語るのは、病と闘い続けた闘病の記録ではない。
私と妻が、病と共に寄り添って生きてきた五十年の物語である。





