深遠のグリモワール
【魔導書×陰謀×冒険】
大魔導師と呼ばれる父に育てられた少女ルシェと
伝説の大賢者によって造られた意思を持つ魔導書のコンビによる冒険ファンタジー。
かつて魔導世界において、最も偉大だったと評される大賢者がいた。
その賢者が造り残した魔導書は、まるで生きてるかのごとく成長して力を増していく恐ろしくも危険な存在だった。
その名も《深遠の書》かの大賢者が生涯を費やしても辿り着けなかった、魔導の真髄に至るために生み出された魔導書である。
そんな魔導書のページを埋める《紡ぎ手》という役割を担う父親と共に旅をしていた少女ルシェは、とある理由から父親と離れることとなり、更に彼の負っていた《紡ぎ手》の任を引き継いで旅をすることになる。
そこに彼女の声に応えて姿を変えた、魔導書の少年も引き連れて……。
さぁ、一人と一冊でここから白紙のページを紡ごう――。
昼間にも関わらず生い茂る木々に光を遮られ、薄暗く鬱蒼とした森を進む2つの人影があった。
「すまないルシェ、もう少しだけ辛抱してくれ」
「辛抱だなんて……私は父さまがいるだけで頑張れるので平気ですよ」
「はは、お前は優しい子だな……」
「いいえ、事実を言ったまでです」
そんな会話をしつつ歩いているのは、黒髪を短く切りそろえローブを纏った男性と、同じくローブ姿で肩ほどの長さの銀髪の髪を揺らす、十代半ばくらいの見た目の少女である。
二人は親子のようで、男は時折少女の様子を気遣うような素振りを見せながら歩いていた。
「やはり例の追跡者は魔導書のことを知っているのでしょうか……」
「分からない……だが長々と私たちを付回していたことを考えると、その可能性は高いだろうな」
二人の身なりはローブがやや特徴的であるものの、それを除けば地味で目を惹くモノは無い普通の旅人の装いだ。しかしそれにも関わらず、その追跡者はどんなに撒こうとしても執拗に二人の後を付けてきた。
結果それを撒くために、彼らは本来のルートを外れてこのような危険な道を選ばざるを負えなくなったのである。
「機密情報のはずなのに、どうして……」
「それについても、これから調査しなければならないだろうな……今はとにかく森を抜けることが先決だ」
「そうですね……」
なんだかんだ言いいつつ、二人とも過酷な行程に疲れたのだろう。そこからは口数も減り黙々と歩を進めた。
そうして歩きつめた末、視界の先に森が途切れて光の差す場所を見つけルシェは明るい声を出した。
「あ、見て下さい父さま、ようやく森を抜けられますよ!!」
「ああ……っ!? いや、待て!!」
喜んで駆け出そうとする少女の腕を掴んで、彼は彼女の動きを止めた。
困惑して少女は父親の顔を見たが、彼はいまだ険しい表情でじっと前を睨んでいる。
「おお、やっぱり勘もいいんだな?」
すると関心したような言葉とともに、一人の男が行く手を遮るような形で現れる。それは例のずっと二人のことを付回していた男であった。
「いやー、それにしても散々逃げ回ってくれたお陰で探すのに苦労したぜ?」
父親は男を警戒しながら、娘を庇うような形で前に歩み出た。
「わざわざただの旅の親子のためだけにご苦労なことだな……」
「クククッ、ご謙遜を……それにかの伝説の魔導書のためだったらそれくらいしますとも」
「なんのことだ……」
あくまでシラを切るつもりの父親が、男はおかしくてたまらないと言った様子だ。
「いやいや、そういうのは結構ですよ? 大魔導師のテオドール・グラント様……ああ、それともこう読んだ方がいいかな《深遠の書》の《紡ぎ手》殿と」
男の言葉に、父親もといテオドールの表情は一気に険しくなり、その反応にまた気をよくしたらしい男は一層楽しそうに語る。
「魔導世界において最も偉大だったと評される、有史以来ただ一人の大賢者……その生涯を費やしてもなお辿り着けなかった、魔導の真髄に至るために造られたという深遠の書」
「…………」
「まるで生きてるかのごとく成長して力を増していき、完成した暁には世界の全てを思いのままにすることもできるらしいが……未完の現状ですら十分過ぎるほどの力を秘めているという危険で恐ろしい代物、今アンタが持っているんだろ? たぶんその背負ってる荷物の中にでも紛れ込ませて……」
「お前の知識自慢は済んだか……?」
低い声でそう言いながら男を見据えるテオドールの目は鋭く、そこには殺気すら含まれていた。
「どこで知ったか知らないが、それだけの情報を知っている者を放って置くわけにはいかない」
「おお、大魔導師殿もやる気満々ってか?」
しかしそれでもなお、男は飄々とした態度のままでいる。
その様子にテオドールが眉を潜めた瞬間、男はにやりと笑った。
「まぁ、もちろんこっちも有名な大魔導師殿相手に、なんの準備もしてないはずないんだけどなぁ!?」
男がそういった次の瞬間、木陰から大量の黒い影が出てくる。
その黒い影というのは比喩ではなく、本当に実態を持たない影そのものが形を持ち動いているような存在だった。
「かなり大掛かりな使役術の類いか……」
「ご名答!!」
男はあくまで楽しそうに、軽いノリでそう言う。
「さてアンタ一人で立ち回るならともかく、その娘さんを庇って戦うのであればなかなか大変そうだなぁ?」
そうクツクツ笑う男に、テオドールは舌打ちをしてその瞬間ある魔術を発動させる。
「おっおっ、これは魔術の霧か?」
そして術の発動と同時に娘を抱き上げて、テオドールは森の中へと走った。
「ただの目眩ましと思いきや、これは相手の行動を制限する効果まであるのか……へぇー」
一連の流れをただ見ていたルシェは、ここにきて不安になり父の腕の中から問いかけた。
「父さま、どうするんですか?」
「考えがある……」
「っ!! さすが父さまです」
テオドールは男から十分距離を取れたと判断したところで娘を降ろし、息も整わないままに荷物からあるものを取り出して彼女に手渡す。
「……これは深遠の書ですよね?」
「ルシェが持っていてくれ……」
不思議に思いつつもルシェは、父親の言葉に頷く。
「そして今から、緊急時にだけ使う特別な魔術道具を発動させる。これで最寄りの支部まで転移できるはずだ」
「よかった、これで助かるんですね……」
安堵の表情を浮かべるルシェに、テオドールは魔術道具を発動させながら告げた。
「ああ、お前だけはな……」
「え?」
「残念ながらそれは一人用でな、私は一緒にいけないんだ」
困惑したルシェは父親に歩み寄ろうとしたが、魔術道具の発動によって現れた魔力の障壁に阻まれてしまった。
「そ、それでは父さまはどうするんですか!?」
「まぁ、なんとかするさ」
苦笑しつつそう答える父の姿に、ルシェの中では一気に不安が増していく。
そしてそれを裏付けるかのように、テオドールは更にこう言った。
「でも仮に私が戻らないその時は、一人でも上手くやれよ」
「なんてことを言うんですか!?」
冗談めかした口調だが、この状況では全く冗談に聞こえなかった。
「一応貯金もあるから、暮らしには不自由はしないはずだ」
「そんな話ししないで下さい……!!」
泣き出しそうな声でそう漏らすルシェに、テオドールは困ったような笑顔を浮かべた。
「悪いなルシェ……」
それが一体なにに対する謝罪なのか。ルシェが聞き返す間もなく、転移の術は発動し彼女の姿は森から消えた。
「父さま……」
そして今ルシェがいるのは、先程までの森とは全く違う人工的な建物の内部だった。それは確かに彼女が知っている支部の建物の構造と一致していたが……。
「私一人で助かっても意味がないのに……!!」
確かにテオドールは大魔導師と呼ばれるほど優秀な魔導師だ。だから本当なら心配なんていらないはずなのに、この時ばかりは何故かルシェの中で嫌な予感が止まらなかった。
「戻らなきゃ……父さまのところに……」
そう言ってルシェはふらふらと歩き出したが、すぐに転んでしまった。
それも当然だ。これまで悪路を歩きづめだったうえに緊迫した状況も続いた。一応旅慣れていた彼女だが、その体力も底を尽きかけている。
そうして彼女が転んだ拍子に、先程父親から渡された魔導書も床に落ちて視界に入った。
きっかけは、たったそれだけだった。
「そうよ、元はといえばお前のせいじゃない……お前が責任を取りなさいよ!!」
彼女はどうにもならない状況に苛立っていた。だからこそ怒りの矛先は容易に身近な物に向けられたのだ。
「凄い魔導書なら、何か奇跡の一つでも起こしてみたらどう!?」
実は仮の持ち主である紡ぎ手が、深遠の書を使用することは御法度である。
だからこそテオドールも、先程の状況を魔導書を使えば打開できる可能性があるにも関わらず使わなかったのである。
それを考えると、魔導書自体に力を使えというのは割と理に適っているのであるが……もちろん今の彼女にそんな深い考えなど存在しない。
「そもそもお前クソ重いし、大きくてかさばるし邪魔なのよ!! 何が凄い力を持った魔導書よ!?」
勢いづいた彼女は倒れてから立ち上がることもせずに、バシバシと床を叩きながら更に文句を言う。
「まずそんなに凄いなら足でも生やしてみたらどうなわけ!? ほら、返事をしてみなさいよ!! さっさと人の姿にでもなって答えなさいよっっ!!」
最終的にルシェは目に涙をためながら叫んだ。
「父さまを助けるのを手伝いなさいよ……この役立たずの古本っっっ!!」
『ふむ、結構な言い草よな……古本というのは、あながち間違ってはいないが』
「なに……声が……」
全く予想していなかった声が聞こえて、ルシェはピタリと動きを止めた。
『ああ、そう言えば……』
そして例の魔導書がまばゆい光を放ったかと思うと、次の瞬間には本の代わりにルシェと同じ年頃の少年が立っていた。
「おヌシは人の姿になれといっておったな、これでどうじゃ?」
その少年は緋色の長い髪を一つに結わえ、金色の瞳を持っていた。それは奇しくも深遠の書の表紙と、そこに嵌め込まれた魔石と同じ色彩であった。
「しかしこのようなことを言った者……いや、そもそもワシに話し掛けてきた者自体、おヌシが初めてだ」
そうして少年は、その姿にはそぐわない含みのある笑みを浮かべてルシェを見つめるのだった。





