半年前の事件
えっと……。
「姉ちゃんから借りた本にもあっただろう?木からおっこちたら日本人だった時の記憶が戻ったとか、高熱で記憶がよみがえったとか」
はい。確かに。
赤ちゃんの時から記憶があるパターンと、何かがきっかけで突然記憶が戻るパターンがあります。
悪役令嬢ものだと、舞台となる学校入学とともにっていうパターンもありますね。
「で、その、和樹の前世は仕事に疲れた社畜のおっさんだったり、トラックにはねられたり、神様に間違えられたり……どんなあれなの?」
とりあえず、せっかくの和樹との会話なので、話を続けてみる。
「あー。いわゆる姉ちゃんの本的な説明で言えば、中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界で、モンスターもいる。死んだ理由は寿命。俺にはチートとか特別な能力は何もない」
ふんふん。
「ステータスは?」
「見えたりしない。あるのは記憶と知識だけ」
チートがなくて知識だけってことは……。
「知識無双ってやつね!それとも異世界の料理で飯テロ?」
「いや。ぶっちゃけ、日本のほうが何もかも進んでる。姉ちゃんの本と同じ。少しも役立ちそうな異世界知識なんてない。スライムの種類を知っていたって、薬草の群生地の場所を知っていたって、ドラゴンのしつけ方知っていたって何の役にも立たないだろう?」
……そっか。
って、えーっ!ドラゴン?
ドラゴンがいるの?しかも討伐対象じゃなくて、しつけ?
何それ、気になるぞ!
気になるといえば……。
「魔法は?使えないの?」
和樹が首を横に振る。
「使えない。記憶が戻ってから試してみたけど、この世界には魔素がないから」
ほほー。魔素か。
「あー、残念ね。魔法、見たかったなぁ」
和樹が小さくごめんって言ったような気がする。
謝る必要なんて何もないのにぃ!
「あ!あと一つ、一番大事なこと聞き忘れてた!」
「何?聞いたって、本当に何にも役に立つような知識なんてないよ?」
ソファから立ち上がり、和樹の手を取りソファ前にひざまずく。
和樹の顔を正面から見る。嘘は許さない。
本音を聞くために。
「異世界に帰りたい?」
異世界転生ものではほとんど日本に帰りたいとか行きたいなんて表現は出てこない。だけど、日本を懐かしんだりする描写は頻繁にある。
もしかして、日本に行く方法があったら、異世界から日本へと行こうとする転生者がいても不思議じゃない。
転生ものじゃなくて、転移ものだと、日本で普通に暮らしていた……不幸じゃなかった主人公は帰りたいって望んで、帰る方法を探すために行動してる。
だから、逆に、異世界から日本に転生したなんて言うなら……。
「日本に……この家から出ていきたい?」
和樹も異世界を懐かしく思って、帰りたいと思っているかもしれない。
……ううん。
私の心配は違う。
和樹は、この家を出たくて……異世界転生したなんて言い出したんじゃないかって思ったんだ。
半年前、あんなことがあったから。
口を利かなくなってしまう前に……。
半年前の回想。
あの日、電車で30分離れた場所からおばあちゃんが来た。
私が高校1年。和樹が中学1年だった11月の終わりだ。
「はい、これ、ちょっと早いけどクリスマスプレゼント。結梨ちゃんにはマフラー。結梨ちゃんももう高校生だからちょっとピンクは子供っぽかったかねぇ」
ピンクといっても、ワントーン暗い落ち着いた色で、幼稚な感じはしない。
「ありがとうおばあちゃん。制服が暗い色だからピンクとか明るい色してる子たくさんいるんだよ。さっそく明日から学校にしてくね!」
それからおばあちゃんがかばんからもう一つ包みを取り出した。
「和ちゃんにもマフラーにしようと思ったんだけど、中学校では使わないだろう?だから手袋にしたよ。緑が好きだったろ?」
和ちゃんというのは、和樹のことだ。
おばあちゃんはずっと和樹のことを和ちゃんと呼ぶ。
和樹は、ソファに座ったままおばあちゃんに視線を向けることもせず、ずっと携帯ゲームをしていた。
「こら、和樹、おばあちゃんにお礼を言いなさい」
台所からお茶を運んできた母さんが和樹の様子を見て叱った。
和樹はつまらなそうにおばあちゃんの顔をちらりと見て「ありがとう」と小さな声で言ってから、すぐに視線をゲームに戻した。




