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雪と交わる白い校門の脇を通って私と赤木さんは一緒に帰った。雪かきのため、地面は黒く湿ったコンクリートを見せていた。それでも歩道の半分にはよく雪が溜まっており、私の身体は白線を越えたまま歩を重ねた。何を話すでもなく私たちは歩き続けて信号を越え、加納公園が見えると彼女は少し歩幅を狭めた。「寒いね」 と言う彼女の言葉に、「ああ。寒い」 と私は答えた。
雪は止み果て、周囲の雑音をしっとりと吸収していた。自動車の背に映る赤色の光がゆっくりと走りすぎるのを少し遠くに置きながら、私と赤木さんは何気ない公園の冬の風景の中で居場所を見つけて立ち止まり、息を白ませた。公園の中央よりやや南に位置取られたのっぽな時計が私たちの時間を閉じ込め、秒針を小刻みに震わせた。
私はさして特殊な能力を持ってこの世に生まれ堕ちたわけではないのだが、彼女がこれから何を話すのかということについて何となく察しがついた。彼女の外装はいつもと同じようなふりをしていたが、動きを伴うと彼女は張り詰めた何かを隠すことができなくなっているようだった。彼女は消え入りそうな声をか細く続けて私に言葉を伝えていた。私はそれら一つ一つに本意とは異なる形でそっけなく答えて、彼女の声をますます弱らせた。
この時私は驚いたのだが、このまま冬の気温を避けるようにして、本当に私の本意とは異なる方向で帰路を迎えるかと思った時、彼女はたちまち熱を含めて声をあでやかにし、私の瞳を掴み取ることで、虹彩の穴より彼女の告白を悟らせようと努力をした。あまりにも急激な変化に私の心は彼女と距離をとりたがったが、彼女の真剣な眼差しがそれをさせなかった。私は再び女を見たのだと自分に言い聞かせた。
この感覚は私にくっきりとした扇の輪郭と、齢をとることを忘れた一人の少女を思い出させた。この感覚に触れると私の身体は抵抗を忘れたように脱力へと帰すのだが、この時もその例外ではなかった。本来は必要であるはずの感情まで削ぎ落とされた私の体躯は、何も含まぬという意味での清らかさを保ちながら、赤木さんに対峙していた。そうして私は入学早々のあの時と同じように、彼女が二重にぼやけるのを見た。
私の視界の中で起こるこのような現象を解明しようと私の記憶が立ちあがったとき、それは私が意図する真逆の世界で初瀬がふらりと浮かび上がった。赤木さんが二重にぼやける原因は彼にあるわけではない。そしてこれは私が最も避けなければならぬ現象であることを私自身は知っていた。それは本能という名の醜い炎が己を愛し守ろうとしているからに他ならなかった。そう。私は知っていた。初瀬が赤木さんに寡黙な好意を抱いていることを、私は知っていたのだ。
これに気付くと私は激しい自己嫌悪に陥った。それは初瀬の目に映らぬところで赤木さんに好意を振りまいただとか、夏の夜に二人だけで花火を見たとか、そういう理由によるものではない。私の嫌悪はこれよりはるかにどす黒く、己の人格をも激しく揺さぶった。それは私の赤木さんに対する好意の由来に関係していた。私は私の体温が彼女を欲していたわけではなく、初瀬に対する優越の中で彼女の温度を欲していたのだ。それはつまり、私は赤木さんのことなど最初から愛していなかったということになる。入学式の教室で彼女が私に話しかけた時感じた、根拠のない楽観的な希望予測は、このような私の性質に源を発していたのだ。
私は実に巧みに己自身を欺き続けた。小学の頃より彼女をあだ名で呼ぶのを躊躇ったことは、私の交友の群がりの中に、彼女が埋没することを避けさせた。そして夏夜の花火に彼女の可憐を感じたのは、私が男で、彼女が女であるからに他ならなかった。そこに固有な名詞など必要なかった。彼女が私と性別を異にする限り、彼女は私にとっての特別な存在になり得たのだ。
私が己の本心から赤木さんを求めているのではないと気付いた時、色味を失うかと思われた白銀の世界は、少しも色褪せることなく景色を残した。このことは私自身が心の底から優越の悦に浸っていることを如実に表していた。赤木さんが湾曲の潤みを私に向け続けている限り、私の地位は後退するはずがないのだから。初瀬への罪悪というよりは、己への嫌悪に吐き気を感じた。私がこの手で自らの皮膚を剥ぎ取り、桃色の筋を冬の凍えにさらすことができたらば、私の呵責はいくらか軽減を味わうことができたのかもしれなかった。
行き先を見失ったおぼろげな瞳を凝視する赤木さんは、私の奥に拒絶とほとんど肩を並べた迷いが生じたことを見つけてもいいはずだった。あるいはそれは私の血の管を通ることにより、外気の冷たさと触れあって、現実に露をつくっていたかもしれない。しかし彼女は気付かなかった。いや、このような私の感情の移り変わりは彼女にとっては瑣末な出来事に過ぎなかったのかもしれない。それは彼女の器が寛容にできているためではなかった。私は彼女の瞳に、冬には似合わぬ向日葵の揺らめきが、丸く微笑むのをしかと見た。赤木さんは決定的に彼女の輪郭を欠いていたが、それはもはや彼女の本質として落ち着きさえ身につけているようだった。
私は私が比較の中でしか彼女の温度を許容できぬと気付いた時、果たして過去の純愛においても、そのような定規の長さに押し留められる程度の恋心であったのかと不安に駆られたのだが、あの時のときめきと緊張は、私が今眼前に据えている錆びれた色めきとは異なるものであり、そのことが私を樹海にも似た鬱蒼たる安堵の中に安住させた。
金森と赤木さんは、ともに私の隣を求めてくれたという点では同じであった。しかし二人の間で異なるのは、金森が私にのみ、その視線を向けてくれたのに対して、赤木さんの視線が全方位に向かって伸びている点であった。小学の頃、授業中に手紙を回覧するのが流行ったと以前記したが、その時触れた向日葵色の丸字は、実のところ赤木さんより回された手紙であった。彼女は隈なく愛されることによってのみ己の存在を肯定していたのだ。
さて、私と赤木さんの利害はほとんど一致したかのように見えた。私が彼女の手の甲を抱きしめれば私は初瀬との関係を失うはずで、彼女が私の懐に頬を預ければ彼女は無記名の男子との関わりを失うはずなのだから。偽善の恋愛でお互いを結びつけるのはいとも容易いことのように私には思えた。しかし彼女は私が思うほど単純にはできておらず、この時の私はほとんど彼女の手の平にある、汗と、皺と、滞留する生温かさの中に取り込められる寸前であった。
私はこのまま何もなしに赤木さんと別れたのだが、私は今でも後悔している。彼女の輪郭がなぜぼやけたままなのかということについて、私はもっと深刻に考えるべきであった。私がこの訳に気付いた時には、初瀬の未来は重く狭められ、ことごとく動きを封じられたまま、苦しみの中に躍動のないもがきを見せるのみであった。このことについてはいずれまた陳述するので、ここでとどめておく。とにかく私はこの日を境に、妥協の折り目がつくことを嫌がる自身の手元に、正常で健やかな恋愛がいつ訪れるのであろうかということについて、一抹の不安と興味を覚えたのであった。