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小学生として学ぶ最後の年も私と初瀬は別々のクラスに分けられた。それでも私の最後のクラスはとても楽しく、彼らとは永遠に続く形のない友情を分かち合えるのではないかと、授業の合間に小さな手紙を回しながら思ったものである。折り紙よりも小さな白い紙の上に、向日葵色の丸字が連なっていることに気付くと、私の心は豊かに弾んだ。その丸字は明らかに男の中には所属していなかった。紙面に浮かぶ向日葵色の丸字は、小さな取留めのない手紙を読む、無差別の誰かに、愛されたがっているように見えた。しかし、書き手が選んだ向日葵色は、教師の目を盗んでこっそり読むには読みにくく、私の若草のような記憶の道端に留まることは終ぞなかった。輪郭のはっきりしないその文字は、縁がないという意味において教師の黒目と変わらなかったが、まだ何色にも染まりやすいという意味において、大人のそれとはまったく異なっていた。
私の席の斜め前には金森という女生徒が座っていた。彼女の背筋は青竹のようにすらりと伸びていて、彼女が席を立つと私よりも高い位置でゆっくりと睫が押し開かれるのだ。私の席からは一つに結んだ彼女の黒髪がよく見えた。少女のまとめられた髪の表層は蛍光灯の直進を容易に撥ね除けたが、乾いた毛先は教室の明かりをどんよりと染み込ませていた。
金森の性格は健やかに明るく、冗談を言い合うこともしばしばあった。彼女が口を開けば大抵の場合は笑いが起きた。だから彼女は、育ち盛りの女生徒たちの、中心的存在になれたであろうし、このクラス全体の中心になることもできたであろう。彼女自身がそれを望めば真っ白な画用紙に色彩を与える行為のように、いとも簡単にその目的は達成できたはずだ。しかし彼女はそれを望まなかったし、そういう学生を常日頃から望み続けるはずの教師の思惑からも彼女の存在は脱落していた。その理由は彼女だけでなく、彼女と机を並べるこのクラスの一人一人が例外なく知っていた。彼女は重い心臓の病を抱えていたのである。
身体の真ん中に蔓延る己の寿命について、聞き及んでいるという意味において、金森は他の誰とも同一ではなかった。大人である教師とも違うし、齢を重ねることに喜びを付帯する私たちとも違っていた。かといって、年老いた住人と同じというわけでもなかった。彼女の肌には皺がなく、雨に降られれば雫のような水滴が、薄い被膜を滑り落ちるのだ。彼女の首筋は遠目に見ても美しかった。私の混沌とした脳裏で唯一彼女と近似している存在があった。それは、イチョウの木である。
私の中における金森とイチョウの木との存在は、表裏の関係で結ばれていた。これらは互いに、他とは異なる一つの存在として、地に足をついている、という共通項を持っていたが、伝わり辛い私の感覚をあえて例えるのであれば、それは光と影の距離感がしっくりときた。陽が金森で、陰が老木だ。光と影が一体であるように、彼女とイチョウの木もまた一体だった。
黒く太い大木は、金森より前には決して出てこなかった。それは彼女の背後に粛として留まり続けた。そうして彼女が歩けば、底のない沼のように、音も立てずに彼女の後をつけるのである。彼女は常にイチョウの老木に捕らわれていた。静寂の奈落は彼女の半歩後ろにあり、ひっそりと暗闇に立ち続けていたのである。老木の影は、ただひたすら、待つことのみに努めていた。
金森は医師が告げた年月よりも長く生きた。六年生の教室で私の斜め前に彼女が座っているという事実は、彼女の両親の世界を輝かせ、私たちの平穏な日常と登校風景を連続させた。彼女との会話が時間を短くさせることに気付いた私は、彼女と視線を合わせる機会が増えていった。集団をつくると、彼女の止め処ない陽気さが際立った。彼女が童謡の替え歌を歌うと、みんな腹を抱えて笑ったし、教師の物まねを演じた時には、餅のような丸い頬が落ち着くことを忘れて上下に動き続けることもしばしばあった。
給食の時間になると、私たちは数個の机を寄せ合って、箸を運んだ。金森は箸の持ち方が猫のようにぎこちなかったが、白い米粒を咀嚼する時の表情は幸せに満ちている風に見えた。彼女はよく「食べきれないから」 と言って私に給食を分けてくれた。だから大抵、私の机の上には一人分以上のお皿が並んでおり、私はそれを喜んでたいらげ、休み時間になると先を競ってグラウンドへと駆け出すのである。
私は金森が運動をしている姿をほとんど見たことがなかった。休み時間は教室で過ごしていたようだし、体育の授業になると、彼女は木陰で休んでいることが多かった。場合によっては保健室で過ごすこともあったらしい。唯一見たことがあるのは、彼女がドッジボールのコートの中に立っている時だった。しかし、その時も彼女は一度もボールを触ることなく少し背中を折り曲げながら退場し、木陰の足元に腰を下ろすのであった。
梅雨を迎えると、金森は机に突っ伏すことが多くなった。それが授業中であっても、教壇に立つ大人たちは、彼女に注意を与えなかった。私が心配をして彼女の机に近寄ると、彼女は「ありがとう」 と息を込めて囁き、私と視線を同じくするのだ。椅子に座っている金森と面を合わせる時のみ、私の目線は彼女と同じ位置にあった。この時の金森は、口数を増やそうとはしなかった。彼女が黙ると、私のか細い視神経が、彼女の整った顔立ちをとらえ始めた。沈黙することでようやく彼女は彼女の美しさを発露したのだ。
それはある意味皮肉と言ってもいいほどに、彼女の顔立ちは完成されていた。落着きを恒常とする彼女の肌は、わずかな隙間も空けることなく水分を保っていた。彼女はそのような顔立ちを、無限にしゃべり続けることでのみ覆い隠した。そうあってはいけないと己に言い聞かせることで、自然とそれが真理になってしまったかのごとく、彼女のおしゃべりには違和感がなかった。だから、単純で鈍感な私の神経は、彼女の陽気な声色に触れることによって偏向し、直線と曲線が入り混じった彼女の複雑な美しさをとらえることに失敗していた。何も語りかけぬ彼女の首筋を美しく感じたあの時の感覚だけが、不甲斐ない私を弁護してくれた。
傘をさして帰る途中、私は遠目にイチョウの森を見た。雨の湿気を含んだ森は、ふくふくと膨張しているように見えた。頭一つ飛び出している大イチョウは、雨を纏って黒々と悪天に屹立していた。