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私の小学生活はなにも教師との対話に終始したわけではない。今となっては彼らとのやり取りを、幾分遠目の視点から物語ることもできるようになったわけだが、当時の私は教師に名前を呼ばれることが、この上なく恐ろしかった。もちろん声色の穏やかでない呼びかけである。説教を好んで講ずる教壇の紳士淑女は少なからずいるであろうが、説教されることを好ましく思う学生は数少ないと思う。
小学時代の私にとって、教壇の上に立つ者は、全て等しく私より何かしら優れた能力や力を持っている者であるという認識で一貫していた。あのわずかな段差が世界を大きく二分していたのである。したがって、青緑の黒板を背景に直立する、背の高い大人たちは、誰もが私より優れた人間で、それゆえ彼らに何も勝ることができない己が職員室で延々舌下に束縛されることは、丸い水槽に一匹押し込められた赤い金魚と同じであった。つまり私は、何も手出しができぬことへの恐怖を感じていたのだ。そしてこの恐怖は、成績表や、親からの叱咤という、二次的でわかりやすい恐怖に直結していた。だから私は教師に一人呼び出されることが嫌いであった。
質量を伴わない陰湿な不快を腹の中にため込むことのできる人間もいるであろうが、私の身体はそのようには作られていなかった。どうやら私の幼い手足は、言葉にし難い黒く湿った感情を、石炭のごとく赤々と燃やし、己の体力が灰になるまで遊び尽くすよう作られていた。だから私の放課後は、活動的にならざるを得なかった。
一番大きなグラウンドに足を運ぶと、その北側三分の一はサッカーゴールに挟まれていることがすぐにわかる。さらに北側へと目線を運ぶと、七、八段の石段が目に映り、ある意味陸の孤島のような印象を内に孕んだイチョウの森が、開放的に飛び跳ねる運動場そのものとコントラストを成していた。
イチョウの森は自らの手で己の存在を、その外側と区別しているように見えた。城壁のように組まれた石段より内側はその領域であり、それより外側は平らなグラウンドなのである。イチョウの森の東側には天井のないトンネルのごとき二本の長い滑り台が、人工的に掛けられていて、その滑り台にお尻を乗せて声を弾ませるのは、専ら加納幼稚園に所属する園児であった。青とピンクのペンキを塗られた長い滑り台は、園児の気が及ばぬうちに、番の概念を、網膜のさらに奥へと落とし込むことに成功していた。冷たい無意識の表皮を摩擦で温め、体温と象徴は朗らかな装いで融合していた。それはあたかも胎内のように。
イチョウの森は、七、八段の石段を上ると踊り場らしき地面にたどりつき、さらに長い石の階段へと繋がっている。その石段を幼い体力で上りきると、高く狭いでこぼこの広場に行き当たり、自分よりも背の高い草や岩に不思議な居心地を覚えるのである。そして、この頂上の広場の片隅に、太く突き抜けた一本のイチョウの木が悠々とそびえ立っているのである。この森は無数のイチョウが育っているためにイチョウの森と名付けられたわけではなく、この一本の老木の存在故に、その名を限られた地域の中で広められているのであった。当時の私は首が痛くなるほどその大木を見上げたが、そのてっぺんを視界にとどめることは、一度たりとも叶わなかった。
この不思議な感覚に惹かれてか、私と私の友人たちは、イチョウの森で遊ぶことが好きだった。この森にいることは、自分たちの周りに結界を張ることと酷似していた。なぜなら、この場所に教師が足を踏み入れる姿を、誰も一度も見たことがないからである。私たちの誰一人としてそのような光景を目にしたことがないのだ。つまり、イチョウの森の内側は、教師と我々との連続性を断絶していたということになる。このような認識は、放課後というありふれた日常を、非日常へと押し上げた。植物や岩のせいで外からは見えにくいという事実もこのような認識に拍車をかけていたのだろう。
遊びはかくれんぼやポコペンや缶蹴りを好んで採用した。鬼はいつもじゃんけんで決めるのだが、なぜだか私が鬼になることはほとんどなかった。初瀬もあまり鬼にはならなかった。これは単なる偶然なのだが、私はサイコロの目を言い当てるようなこの種の偶然を、イチョウの森の中では心の底から欲していた。その理由は実に単純で、鬼になりたくなかったからである。鬼というのは、一時の時間を一人で過ごさねばならない。私はこの誰しもが理解している不動の事実が、私自身を不安にさせることを知っていた。寂しいわけではない。怖いのだ。恐怖の対象は頭が見えぬほどに背の高い大イチョウの木である。それは私が聞き及んだとある噂話に起因していた。
小学校中学年の時分、私の周りで俄に暗いうわさが流行っていることを、私は知っていた。しかしその噂の発信源は女生徒であり、男子生徒の耳に入って来るまでには時間がかかった。耳まで届かぬ噂話ほど気になるものはない。だが私は女生徒の集団を前にして、「最近どんな噂が流行ってるの」 などと話しかけることはできなかった。だから私は自然と私の耳にその噂が届けられる日を待たねばならなかった。そしてその日は蛍の光とともに私のもとへとやってきた。
加納小学校は地域と連携しながら蛍を育てていた。それは生きとし生けるものへの慈しみを穏やかに育むことの大切さを表面に据えた、地域振興策の一部であった。もちろん当時の私はそんな事など知らずに蛍の幼虫の餌となるカワニナを大切に育てていたし、水が清流を保てるかということにも心を砕いていた。そうして幼虫が成虫になると心の底から拍手を送り、無垢の羽音を羽ばたかせては、帰りの会と呼ばれるホームルームの中で配られた、ホタル祭りの案内チラシを友人と見せ合いながら、当日の約束を交わしたのである。
夜が本格的になる前に集まった私たちは、百円と引き換えに掻き集められた駄菓子を食べながら時間を潰した。私と初瀬の他には同じクラスの生徒が六人いて、そのうち三人は女生徒だった。彼女たちは、各々お気に入りの鞄を腕にかけて、実年齢より大人びた足元を銀色の鎖に持たせ掛けては取留めもなく揺らしていた。夏の夕暮れが、必要以上に私の心を高鳴らせた。炭酸飲料が喉を通ると、底知れぬ爽快感が私の首の後ろを通り過ぎた。少し距離を置いた所にいる女生徒の影が薄くなり始めると、校舎の外壁が夜に紛れていくのが見て取れた。
夏の夜が落ち着くのを待ってからホタル祭りは開かれた。校舎の南側にある三角池は、宵の下で漆黒に揺れていた。幾何学に美しく切り取られた池より伸びる浅い流れは、校舎と並行しながら東に蛇行している。その行方に任せるままに、教師とどこの誰ともわからぬ老人会の長老たちが蛍を闇に解き放った。私たちはと言うと、当日配られた無料の水餅を食べながらその様子を眺めていた。
私は少なからず期待していた。蛍のお尻が鮮やかな緑に発光し、その緑光が呼吸を止めた校舎の濁った窓ガラスに反射するさまを、私は昨晩枕元で何度想像したことだろう。そうして私たちの手で育てられた何匹もの蛍は、湿り気のある夏の夜空へと散りばめられ、星と見分けがつかなくなるのである。かくも幻想的なまどろみを一度経験した私にとって、現実のホタル祭りはこの上なく味気ないまま終わりを迎えた。蛍は自らの光を私たちの両目に届けるにはあまりに小さく、私たちの両目が淡く儚い光を感じ取るには月の反射があまりにも強すぎた。運動場の広さに比べて蛍の数が少なすぎたせいもあるのだろう。とにかく私にとってのホタル祭りは大いなる期待外れで終わってしまった。
私は何を失ったわけではないのだが、なぜだかわけのわからぬ喪失感に襲われていた。その感覚は罪のない蛍にまで飛び火して、私の蛍はその他の昆虫との並列の中に埋もれてしまった。自らの期待によって押し広げられたこの隙間を埋めるためにも私は夜の下で遊ばねばならなかった。幸い友人たちもまだこの夜を終わらせる気がないらしく、その中の一人が「花火しようよ」 と提案した。私はすぐさまその意見に賛成した。
八人で出し合ったお金をコンビニの店員に支払い、夏の夜を楽しむためには十分な量の花火を自転車のかごに入れて、私たちは再び学校のグラウンドへとペダルを漕いだ。私が漕ぐ自転車の後ろには、細い指先を私の肩に預ける女生徒が乗っていた。彼女は周りの生徒からアカちゃんと呼ばれていた。それは赤木という彼女の名字から来ているあだ名で、私もそれにならって、彼女と面を合わせない場面でのみ、彼女のことをアカちゃんと呼んだ。しかし本人が目の前にいるときには、彼女のことを、さん付けで呼んでいたので、次第に私は恒常的に、彼女のことを「赤木さん」 と呼ぶようになっていた。
蝋燭を水道水の入った空き缶の上に立て、ライターで火を灯すと、広い運動場の片隅で頼りない炎が微かに楕円を描いて不規則に揺れた。尖った先端に花火を当てると、火薬が弾けて夜が煌めいた。夜風に流れる火薬の匂いに夏を感じ、眩しい原色に照らされ、炙り出された白い煙に、幼き恋を感じた。
花火の明るさに任せて走り回りながら夜風を掻き混ぜていた私たちは、集団を忘れて好き勝手にふるまうようになっていた。それは私が昨晩まどろみの中で夢想した蛍の散らばりによく似ていた。私の隣には初瀬と赤木さんが座っていて、私たちは三人だけでイチョウの森を見上げていた。夜を背にしたイチョウの森は、鉛の液体に包まれたかのように暗闇の中で沈んでいた。月の光も星の光も地面に向かうことを諦めてしまっているように見えた。そんな景色の中で、赤木さんは静かに口を開いて、最近学年中で実しやかに囁かれている例の噂話について教えてくれた。
「昔ね、あの大イチョウの木に縄を垂らして、自殺しちゃった若い先生がいたらしいの」 というのが噂話の冒頭だった。そうして話はなぜ若い男性教諭が自らの手で命を絶ったのかということに触れていく。その噂話は、彼女の健康的な唇から伝えられるには、不適切なほどに情欲が纏わりついていたが、湿った夏の夜に空いた、そこはかとない穴の中にはちょうどよい具合にすっぽりと収まるのであった。
女生徒との不健康な関係に、悩み、絶望し、絶命した男の話はとても刺激的だった。それは噂そのものが刺激的であったせいかもしれないし、一時ながらも肩と手を触れ合わせた少女の口から、そのような話を聞いたからかもしれない。
話の途中、私は赤木さんの横顔を見た。月を覗き込むように突き出た老木だけを見つめていては、闇にまぎれたその教諭の怨念が、大木の割れ目から腐った指先を無理やり捻じ曲げて這い出してきそうな気がしたからである。そのような妄想は、私の虹彩の裏に気味悪く張りつくだけでなく、剰え現実にまで進出しようとしていた。だから私は隣を見た。そうして私は息を呑んだ。
月夜に白く浮かんだ彼女の横顔は、噂の中で生きている不幸な少女の面影に一致しかけた。それは危うくと言っていいほどに近接していた。私は一瞬音を失い、言葉も失ったが、彼女の瞳が湾曲に輝くのを見て現実にとどまった。初瀬が必要以上にペットボトルの蓋を開け閉めしている様子を目にしてからは、私は落ち着きを取り戻すことができた。
改めて見る彼女の横顔は、どこか不自然に見えた。イチョウの木にまつわる噂話をつらつらと話し終えた赤木さんの髪が夜風に流れると、彼女の髪の匂いも一緒に真っ平らな運動場へと運ばれていった。グラウンドの片隅で花火の後片付けが始まっていた。だから私たちも後片付けに戻り、集団の輪を結んだ。帰り際、歩道とを隔てる金網のフェンスに弱弱しい緑光を放つ蛍がとまっているのを誰かが見つけた。