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純文学を意識して書いた作品です。
この頃は三島由紀夫にはまっていました。文章がいちいち美しいと感じていました。
「金閣寺」を意識していたと記憶しています。
加納幼稚園のベランダから眺めるイチョウの森は、日陰に入ってみずみずしく、その陰湿をつんざく一本の老木が、幼い空に勇敢で、冷え冷えと震える鉄柵の丸く細い感触や、眼下に狭く乾燥して留まる砂場の荒廃も、私の景色に映らなかった。ひどく幼稚な私の世界でイチョウの老木は奥深く輝き続けた。私はそれを見つめることで、空の青さを知り、雲の眩しさを知り、太陽の暖かさを知ったのだ。
だから同時に恐ろしくもあった。小さな瞳に映る老木は、多様な解釈を私に与えて無知な言葉に嘆息を滲ませた。日光を浴びながら黒々と照り輝く樹皮の不思議な魅力が、言葉を超えて本能を魅了した。雨の日に沸き立つ土の鮮烈な薫りが、私を異様に興奮させた。私の真ん中にあるのはイチョウの木だった。
岐阜にある加納という地に生を受けた私は、外に出て走り回ることを好む子供であった。それは私の生まれおちた家が、幼い子供の全方位に伸びゆく無邪気なエネルギーを受け止めるには少々狭すぎたためであったかもしれないし、両親の教育方針がそうさせたのかもしれない。いずれにしても、私は小学時代、さらにはそれ以前の時代を、低い天井の下で過ごした記憶がない。そのような記憶は、年月の篩によって綿密に排除されているらしく、あるいはさらに低く張られた梁の重しで蓋をされているといってもいいのかもしれない。
岐阜市はどのような土地であるかと問われたことのある私は、金華山の頂に座る岐阜城の一間に織田信長を住まわせ、彼はかの地で天下統一に思いを馳せたのだ、と浅い知識を我が物顔で披露したこともあったし、金華橋の足元に、清く流れる長良川を走らせ、その水面に鵜飼船を浮かべたこともある。岐阜県はどのような土地かと問われれば、もっと様々な話題に触れられたであろうが、岐阜市について訊ねられた私は、このようなありきたりな回答を、できるだけ秩序立てて繰り返すのみであった。
私が通った加納小学校は酷く淀んだ荒田川のすぐ隣に位置しており、教師はしばしばゴミを道端に捨ててはいけない理由として荒田川を持ち出した。子供ながらに私たちはその川の汚さを知っていたので、ゴミを投げ捨てることによる弊害を、可視的に戒める意味において、教師の用いた手段は有効だった。しかし、「こんなになってしまった荒田川も、昔は綺麗やったんやよ」 という彼らの煤けた言葉は、さほど大きな効力を発揮しなかった。それはあたかも御伽噺のように、幼い身体に沁み入り、川が汚れゆく一連の物語を連想させたが、それ以上の存在となり幼き愚行に訓示を与えるまでには至らなかった。
現に私は路肩にゴミこそ捨てなかったが、勢いよく飲み干した空の瓶を学校の壁に当てては、煌めく破片の残像を眺めることが好きであった。空き瓶を割る行為とゴミを投げ捨てる行為とは、当時の私の中において別の次元に存在していたらしい。だから私はその行為に何一つとして罪悪感を覚えることはなかった。
私は一人で空き瓶の原形をこの世界から葬っていたわけではない。私の隣にはいつも初瀬という同級生の男がいて、彼と二人で機能を失った硝子の粒子を見つめていたのだ。その行為にはある種の中毒性があった。錆色の硝子に押し込められている空気が、壁に圧迫され、押しつぶされるようなあの、パシャリ、という音は、私たちの後ろ手を引っ張り、低くなった太陽の下、幾度もその複雑な輝きを見せつけるのだ。そうしてその破片は、茜色の空に染まることなく複雑な軌道を細やかに描いてコンクリートの地面に落ちていく。それを黙って見届けた私と初瀬は「じゃあ、また明日」 と挨拶を交わして帰路に就くのだ。
学校という勉学の制約を課せられた閉鎖的な空間では、よく話題が膨らみやすい。生徒同士が毎日顔を合わせているせいもあるのだろうが、何かと言えば面白い話を探し続けることに注力してしまうのだ。だから、私たちの行為は不良という名の尾鰭を纏って校内の噂話を飛び交った。あらかじめ言っておくと、私も初瀬も不良ではないし、友人の数も他の同級生と比べたのなら多くを持っていたと言っていい。だからその噂話が私と彼を困らせることはなかった。しかし当然のことながら、教壇に立つ教師からは叱られた。
教師らは、空き瓶を割り続ける行為が、あたかもこの世界を破滅させてしまう行為であるかのような口調で私と初瀬を責め立てた。私と初瀬は異なるクラスに分けられていたので、私たちは別々の時間に大人の説教を聞かねばならなかった。
職員室に呼ばれた後も、私たちは校舎に瓶を投げつける行為をやめなかった。数を重ねるごとに教師の口調は厳しくなったが、言っている内容を要約すれば、いつも決まって、危ないし親が悲しむ、という短文に収まった。危ないという言い分はわからぬでもないが、親が悲しむという理由は理解することができなかった。
されども同時に、親、という言葉を聞かされると、酷く後ろめたい気持ちになり、この中毒をいつかは断たねばならないのだと、それなりの反省を交えて思ったりもした。思いながらも、教師の要領を得ぬ説教には飽き飽きした。あまりにも退屈だったので、隙を見て職員室をぐるり一周見まわしてみると、そこにいる教師は全てみな自分の仕事を黙々とこなしていた。
私がよそ見をすると、男の声は大きくなった。居丈高に権威の亡者になりきろうとする男を前に(それは時々女でもあったのだが)、私は彼らの黒目を見ていた。彼らの黒目には縁がなく、何かきっかけさえあれば、その黒目が溢れ出て、白色の球体全てを覆いつくしてしまいそうな気さえした。そうして彼らは己の満足に至った時点で話を切り上げ、私の時間を解放した。満足の合図はいつも同じで、「ごめんなさい。反省しています。もうしません」 という定型文だった。