027 勧誘ターンその3
茶道部を退けた俺は白陶繭良が運営する、ゴミレアどものコミュニティへと訪問した。
トラブルが起きたら困るので華と朝姫は置いていっている。
さて、三度目の訪問だ。今回が最後となればなんらかの成果が欲しいが……。
「新井だ。白陶先輩はいるか?」
生徒がごろごろと寝転がっている、コミュニティの境界線のような場所で俺は地面に寝転がっている生徒に話しかけ――
「忠次くん!」
とすん、という軽い感触が背中に当たった。
女子特有の軽い体重。「予想以上ですね。殺しますか?」という声が耳に届く。俺を見ている華による風の魔法によるささやき。やめろ馬鹿。声を出さない呟きに「わかりました」と答えが返ってくる。
「ええと、白陶先輩?」
「え、あ、うそ、ご、ごめんなさい」
立ち上がった俺の正面に改めて立った白陶先輩が顔を赤らめ、もじもじとする。
「わ、私ったら嬉しくて、その」
近づいてくる。そっと俺の胸に手を当てた白陶先輩がぎゅっと俺の身体を抱きしめた。
まずいな、と思った。やばいな、とも。
――白陶先輩の距離感がおかしい。
俺の名前の呼び方が変わってるのなんざどうでもいい。
なんでだ? どうしてだ? 俺と白陶繭良が会話をしたのはたった3回。そのなかでまともに接したのはたった2回。そのたった2回でなんでこうなる……ッ!!
「先輩、離れてくれよ。歩きにくいぜ? 今回もあの小屋で話そう。な?」
心理的な距離が縮まったことは俺に都合が良いが、周囲に人がいる。それも数多く。
先輩の肩を掴み、引き剥がしてから小屋に向かおうとすれば案の定、周囲から野次が飛んできた。
「新井! てめー今度は白陶先輩連れてっちまうのかよ!!」
「俺たちの先輩だぞ! ざっけんなコラー!」
「白陶先輩! 悪い男に引っかからないで!!」
舌打ちが自然と漏れた。低レアが騒ぐ声。白陶先輩が俺に身を預けているから前回のように暴動のようになっていないが、なんだなんだと周囲に転がっていた生徒が寄ってくる。
(おいおい、まずいぞ。勧誘どころじゃねぇ)
一旦引き上げる策もなしだ。華が茶道部にやっちまったことが白陶先輩の耳に届けば信頼度は落ちて勧誘なんぞできなくなる。
いや、もう届いているかもしれないのだ。
俺が白陶先輩と距離が近いせいか、周囲の野次も次第に激しくなる。
囲まれている。耳に「皆殺しにしますか?」と華の声が届く。やめておけ、と音は出さず唇だけ動かした。
「み、みんな、落ち着いて」
困惑したような白陶先輩が助けてくれ、と言わんばかりに俺を見上げてくる。
その仕草に俺は――
(…………は?)
――いやいやいや、おいおいおい。待ってくれ。あんたが鎮めるんだろうこの騒ぎは。
白陶先輩? なんだその目は、なんだよその、俺がなんとかするみたいな根っからの弱者みてぇな目は。
「忠次くん、あの、みんなが、どうしてこんな……」
俺の胸板に身体を押し付けてくる先輩。華のようないやらしいものではなく、それは弱りきって怯えた少女の仕草だ。
困惑する。以前、朝姫を守るために俺に立ちはだかった意思の強い人間と同一人物とは思えなかった。
あのときはあった高レアリティ特有の輝きが薄れていた。
――それとも、輝きなどレアリティとは関係がなかったのか。
「先輩! 先輩! なんでくっついてるんですか!! 離れて!!」
「新井! てめーなんで白陶先輩とくっついてんだよ! 離れろ!!」
ぎゃーぎゃーわーわーと迫り来る人間たちが熱狂に支配されていく。その勢いに押されて白陶先輩が更にくっついてくる。俺を抱きしめるようにして身体を震わせる。
(マジかよ。この人、集団に囲まれて怯えてやがる……)
俺の傲慢にも耐えていた先輩が、俺の腕の中でただの少女のように震えていた。
「くそ、くそくそくそ畜生。顕現」
手に生み出すのは『明けの明星・真』だ。
俺たちを囲むグズどもの輪が小さくなっていき、白陶先輩がさらに身を寄せてくる中、俺は白陶先輩にパーティー申請を送る。
「ちゅ、忠次くん?」
白陶先輩の背中に手を回し、「忠次様、やめてください」耳に囁かれる華の忠告を無視し、俺はなるべく白陶先輩に優しく聞こえるように「大丈夫。俺を信じて」と言ってみせた。
「うん、忠次くん」
俺の言葉を素直に受け入れた白陶先輩が即座にパーティー申請を許可する。
「新井ぃイイイ! てめえええええええ!!」
グズどもが集団化して気が大きくなったのだろう。イキったゴミが俺を殴ろうと周囲を押しのけて歩いてくる。それに恐怖を感じたのか、白陶先輩が身を縮めて俺へぎゅっと抱きついてくる。小柄な身体ながらも柔らかい身体の感触は心地よい。
(『付与【傲慢たる獅子の心】』)
だから俺は白陶先輩に大罪への耐性を付与する。
「白陶先輩から離れて! このクズ男!! 誘拐魔!!」
女生徒の叫び。そうだそうだと周囲が同調する。
そして俺の前に立つ、俺が名前も顔も覚えていないおそらくは同級生の誰か。
同級生だとわかったのは制服が二年のものだったからだ。俺は知らない。俺が知らないってことはよ。
――つまり、なんの能力もないグズだ。
「新井! おらあああああああ!!」
白陶先輩を避けながらも俺へと拳が振り上げられる。後先を考えないグズ特有の蛮行。
恐怖はない。むしろそれをさせたのが俺だと思うと心が躍る。
(いい気分だよ。グズどもめ)
傲慢の力の源の一つは、優越性だ。
他者に勝っているという心が傲慢に力を与える。
だが根拠のない傲慢はその人間の妄想にすぎず、他者に対する説得力を持たない。
一人で我を張り続けても、それはかかしにも劣る木偶にすぎない。
――ならば何が必要なのか。
俺は俺を凡人だと理解している。
ジューゴに劣ると理解している。
そんな俺がどうして傲慢を扱えるのか。
それは他人から見て極上の美少女である華と朝姫を支配しているからだ。
他者が羨む存在を掌中に収めているからだ。
だから皆が羨む。俺に注目する。俺を無視できない。
そして、今、こいつらにとっての偶像を、白陶繭良を俺は奪った。
白陶繭良を抱きしめる腕に力を込める。
「ん、忠次、くん」
腕の中の女が、嬉しそうに笑う。
興奮してくる。栞の顔が脳裏に浮かんだ。小胆がやめろと囁いた。
だが、すでに俺の傲慢は加速している。
「お前らは黙ってろ」
『傲慢の天』が発動した。ぐしゃりと、重力が増大したかのように暴徒化したグズどもが地面に崩れ落ちる。
男子も女子も、野次を投げていようがいまいが関係がない。
俺の足元に俺に殴りかかろうとしていた男子生徒が倒れている。「う……あ……あ……」顔をあげようとして、潰れる。勢いだけでは傲慢の圧力には抗えないからだ。熱狂が静まれば何もできない。だからてめぇはグズなんだよ。
(……ん……)
権能に巻き込まれたのだろう。先程まで感じていた華の気配が消えている。
(近ければ耐性付与の範囲に巻き込めたが……)
パーティーを組んでいても特殊ステータスで発動するスキルを適用させるには俺がきちんとそこにいる、と把握できていなければならない。
もちろん『主従』のエピソードで華と繋がっている感覚はあるが、それは耐性を付与できるほどはっきりしたものではなく、だから朝姫も同様……いや、あいつは。
(『エピソード5【魔剣の所有者】』か。『妬心怪鬼』を辿り、武器化の精神汚染を利用して耐性付与を勝手に利用してやがるな、あいつ……)
怪物め……。
「忠次くん、あの」
「ああ? っと白陶先輩。なんですか?」
「えっと、もっと自然にしていいです、よ?」
困惑した表情の白陶先輩が周囲を見渡して不安そうに俺にすがりつく。柔らかい女子の身体。甘やかな体臭。
肉欲が反応したが、傲慢の権能によって肉体と精神を乖離させる。
俺はただ優越を感じるために先輩を抱き寄せ、なんでもないかのように振る舞った。
「助けたよ。先輩。先輩が助けてほしそうにしてたからな」
「……助けて、くれた……私を」
「さて、どうするかな。もう話し合いって感じじゃねぇよな」
「えと、その」
「本当は今日はさ、今回でもう俺は引っ込むから、先輩がちょっと扱いきれないって思ってる連中を引き取りにきたかったんだよ」
その言葉に先輩の表情が固まる。目の端に涙が浮かんでいる。
「た、助けて、くれないの?」
まるで迷子の幼子のような表情だった。
(なんだよ、なんでこんな不安定なんだ)
前回と状況は違う、なんてことはない。エリア3は変わっていない。俺たちの関係も変わっていないはずなのに。
この先輩だけがどうしてかこんなにも揺らいでいる。
「助けるよ。助けるからいらねぇ奴らを引き取っ「そうじゃない!! そうじゃないの!!」
俺に縋り付いてくる先輩。
「わ、私を助けて! 私をここから連れ出して!! もう嫌なの! 私を助けて! 私を助けてよ!! 忠次くんだけなんだから!! 忠次くんだけが私を助けてくれるんだから!! 他の誰も私を助けてくれないんだから!! だから、だから!! 私を――」
――私を連れてってよぉ!!
誰もが地に伏せ、しんとした静寂。それを引き裂くようにその叫びが響き渡る。
泣いていた。白陶繭良が子供のように泣いていた。ぐずぐずと。溢れる涙を抑えきれずに。俺の制服を握りしめて、白陶繭良が泣いている。
(俺は……)
抱きしめるのは簡単だった。
甘い言葉をかけるのも。
だけれど俺は躊躇する。
華と朝姫の忠告が浮かんだからだ。
『ハルイド博士の遺失血統』、その意味を考える。踏み込むべきか。踏み込まざるべきか。
「忠次くんは、私を助けてくれるんだよね?」
黒いおさげ髪の少女が縋るように俺を見上げてくる。口中に広がる苦い味。ああ、畜生。
これを振り払うことは簡単だ。
だけれど――。
「ああ、助けるよ。繭良」
忠次くん、と感激した繭良が抱きついてくる。涙で制服が濡れる。だが俺は気にせず繭良を強く抱きしめた。
まるで恋人のように。強く。強く抱きしめる。
(ああ、畜生。悪い癖が出た。調子に乗ってしまった)
俺は別に白陶繭良を助けたかったわけじゃない。3人目だぞ? いくら俺でもこれ以上は抱えたくない。
俺の今回の目的は、ここに転がるグズを誰でもいいから10人ばかり連れていければよかっただけだ。
だが、ああ、すげぇな、なんだこの感覚。傲慢が喜んでいる。
周囲を見て、繭良に気付かれないように鼻で嗤う。
グズどもが地に伏せている。何がなんだかわかっていない顔もある。だが、多くは情けなさそうに、悔しそうに顔を地面に伏せている。
それは俺の傲慢の権能のせいじゃない。白陶繭良が泣いているからだ。白陶繭良が助けを、俺だけに求めたからだ。
良心があれば、誇りがあればきっとこんな事実に耐えられない。
こんなたった四回しか顔を合わせてない後輩に頼ってしまうほどに追い詰められていたなんて。
(く、くく、はは、はははははははははは……はは……はぁ……なんでだ?)
だが、同時に俺の小胆が、縮み上がっていた。
ああ、畜生。なんでこんなことに。
そうだ。でぶちんが悪い。あいつが耐性をあんな簡単に取得するから、俺がやらなきゃいけないことが減って、余裕ができちまったから。
一瞬だけでも、こんな厄介な奴が一人増えても、俺なら余裕だと思ってしまったから……。
「忠次くん。好き。好き好き好き。好きです。愛してます。うう、ああ、嬉しい。ただ消費させられるだけの私の人生に、こんな嬉しい日が来るなんて、思ってもみなかった。んん、んん、んーー」
俺の胸板に顔を押し付け、喜びよ伝われとばかりに抱きついてくる黒髪の美少女。
なぁ、親友よ。俺はまた、やばい女を拾ったんじゃないのか?
これはお前に勝つのに、本当に必要な女なのか?
妄想の中のジューゴは、楽しそうに腹を抱えて笑っていた。




