019 その繭糸の繋がる先は――
――私は、本当に嬉しくて……嬉しくて。嬉しくて。忠次くんにいただいたフォークを眺めています。
エリア3でのことだ。
ケーキを食べ終わったあとに新井忠次が回収し忘れたなんの変哲もないフレンドポイント産のフォークを白陶繭良は廃屋の中で眺めていた。
「おい、御神体様……血が足りなくなって……あ? なんでフォークなんか眺めてんだアンタ?」
声を掛けたのは、レアリティの低い生徒のデイリーミッションを消化するよう、個人的に依頼をしていた男子生徒だ。
『SR』『戦士』傭兵助。繭玉の会に所属している信徒だ。学園では隠れて繭良の護衛をしていた生徒でもある。
「なんでもないです。兵助くん」
「そうかい。まぁなんでもいい。ほら、血を出せ。もう溜まってんだろ」
「ええ。どうぞ」
兵助から空になったペットボトル数本を受け取った繭良は、自身のアイテムボックスより、赤い液体で満たされたペットボトルを渡された数と同じ数だけ兵助へと差し出す。
中に満たされているのは繭良の血液だ。
「くくッ。『御神体の血』か。ったく、現実じゃあこれを拝領するためにじいさまたちが必死こいてんのによ。ここじゃ貰い放題だ」
「言わなくともわかっていると思いますが」
「わかってるよ。売らねぇって。オレは雑魚どもの周回って御神体様のお願い聞いてやってんだぜ。信用してくれよ」
「……忠次くんなら……」
「あ? 誰だって?」
「なんでもないです」
彼ならきっと、こんなことをしなくても助けてくれるんだろうと繭良は想い人の顔を心に抱いた。
「つか肉とか内臓はダメなのか? 絶対効き目が違うと思うんだがよ~~」
「ダメです。私の血液だけでレアリティが上昇するんですよ? 何が起こるかわからないんですよ?」
「『超人』化が長引けばよ~。『引率』も楽にできると思うんだが~?」
「ダメです。絶対に」
「ちッ。まぁいい。何度も言うがその特性バレんじゃねーぞ。御神体様よぉ。奪い合いの殺し合いになるからな」
舌打ちをした兵助が去っていく。その姿を見送りながら、繭良は心の内だけで呟いた。
(兵助くん。神園は知ってますよ。これだけ人が集まってしまっているんですから、忍者の一人や二人、入り込んでるに決まっているでしょう)
この会話も聞かれているだろう。だけれど神園は手を出してこない。
彼らは繭良の正体がバレて殺し合いになることを望んでいない。大罪の発生要因になりかねない争いを望んでいないのだ。
(所詮は弱腰の商家。惰弱な当主候補に率いられれば優れた道具も鈍らになるというもの)
「白陶先輩! また男子が喧嘩を!! ギャンブルの負け分がどうとか!!」
フォークを再び眺めながら考え事をしていれば慌てた様子の女子生徒が廃屋へと入ってくる。
「いますぐ向かいます」
心の中だけでため息をつきながら繭良は立ち上がる。
――忠次くん。繭良は頑張っています。
(いつでも、何度でも、忠次くんは私を助けてくれるんですよね?)
スカートのポケットに入れたフォークの重さを確かめながら、繭良は廃屋から外へと出ていく。
◇◆◇◆◇
『現人神』:貴女の血肉はアイテム化する。
◇◆◇◆◇
ようやくのことで保護している生徒同士の争いを止めた繭良は、現れた副会長に定例会議を開く大天幕に来るように言われ、やってきていた。
「ああ、どうも白陶繭良さん。わざわざ来てもらって悪いね。どうぞ、かけてください」
指し示された椅子に座った繭良は怪訝そうに正面の生徒会長を見た。呼び出されるようなことをした覚えがないからだ。
「ごめんね。ええと単刀直入に言います。新井忠次くんともう会わないでください」
「応じられません。彼は支援をしてくれています」
繭良は即答した。神園次郎が目を瞬かせ、ああ、やっぱりという顔をした。
「僕から同じものを供給するといっても?」
「パンと水を300個。3日ごとにでもですか?」
「え? 本当に?」
「嘘を言ってどうなるというのです。会長、忠次くんはそれだけの数を私に何も要求せずにくださいました」
「何もないってことはないでしょ。こうして恩を売ってるみたいだし。でも、そうか。300か。黒衣、どうだい?」
会長の背後に立っていた宵闇黒衣が「わかっていますよね」と言葉を返す。
「無理ですよ。そもそも彼女たちにそれだけの支援をしていたら他の生徒も怠惰になります」
「ああ、うん、やっぱり無理だよね。ごめんね。白陶さん」
「わかっていました。あなた方が私を助けてくれないのは」
「いや、自分で背負い込んだんだから自分で解決しなよ」
会長の冷たい言葉。生徒を統率するべき立場にあらざる発言だ。
繭良が神園次郎を見る目は諦めた目だった。
何も期待していない目だった。
「ねぇ、白陶さん。たった10体のモンスターを倒すことがそんなにも難しいのかい? 難度が上がっているとはいえまだ苦戦する時期ではないだろう?」
「苦戦する時期じゃない? 会長は、敵の現在HPがどれだけなのかわかってるんですか?」
「知ってるよ。一番弱い敵で4000だ」
「知ってて、知ってて言ってるんですか!」
「だが攻撃力は144だよ? 厄介なのはボスぐらいなもので、現時点ならダメージ減少のリーダースキル持ちがいれば道中戦は無傷で突破できる。そういえば君も持ってただろう? 常時500もダメージを軽減する優秀な奴を」
次郎の言葉に繭良は唇を噛む。繭良のフレンドは全て保護している生徒で埋めてある。彼らを中心として、パーティーを作れば確かにデイリーミッションの条件である10体程度なら突破できる。だが、それでも彼らは戦おうとしない。それは……。
「もう、彼らは戦闘に、耐えられないんです」
そう、いくら無傷でも巨大な亜人型モンスターが振り上げる拳を何時間も敵が倒れるまで何回も喰らい続ける勇気のある生徒はいない。それは繭良のシャドウを先頭に立たせ、ダメージを集中させても同じだった。
「はぁ。わかるよ、辛いのは。ソーシャルゲームのスタミナをシステムで再現してるとかゲーム好きな生徒は言ってたけど、戦闘エリアに蔓延する奇妙な雰囲気。あれはたぶん大罪だろうからね。長時間いればきついだろうさ」
「……たすけてください」
「助けてあげたいけどね。助ければ他の真面目な生徒が可哀そうだろう?」
「どうして助けてくれないんですか?」
「見捨てれば? 彼らもいよいよとなったら自力でなんとかするよ?」
彼らはお優しい君に甘えてるのさ、と会長はおどけるように言ってみせた。
「忠次くんなら」
「新井くんなら?」
「助けてくれます」
はぁぁぁぁぁぁ、と会長は不快そうに顔を歪め、大きくため息をつき、直後に歯をむき出しにして激怒した。
「白陶繭良ッッ!」
「ッ―――!?」
「化物が一般家庭の! ただびとの! 新井くんに迷惑を掛けるんじゃあない!!」
「あ、ああ、ああぁぁ」
「華や赤鐘もだ! 白陶繭良! お前らみたいな化物が一般人である新井くんに迷惑かけてはいいわけがないだろう!!」
「神園次郎。ど、どうしてそんな酷いことを」
震える繭良の手が次郎へと伸ばされる。だが、次郎はその手に唾を吐きかけた。
「分際を弁えろ。遺失血統」
繭良の目から涙が零れた。助けて、と呟きながらポケットの中のフォークをぎゅうぎゅうと強く握りしめる。
「わ、私を、わわ、私を、た、助けてはくれないのですか?」
ふらつく繭良が、必死で絞り出したその声に、神園次郎は目を瞬かせ、やってしまった、という顔をした。
「しまった。まずいな、壊れてるよこれ。クソッ、ここまで追い詰められていたのか? おい、黒衣、どうにかできないかい?」
「無理ですよ会長。それと変に追い詰めないでください。エピソードが発生したらどうするんですか?」
「ごめん。僕も苛立ってたみたいだ。ごめんね。繭良さん。繭良さん? ああ、ダメだ。どうしようこれ」
「ああ、もう。会長は」
黒衣が繭良へと向かって歩いていく。自身へと近づいてくる黒衣を見て、怯えた様子の繭良は立ち上がると、ふらふらと後ずさりながら忠次から貰ったハンカチをアイテムボックスから取り出して、涙を拭った。
「うぅ……うぅぅ……うぅぅぅぅ……」
ふらふらと天幕の出口に向かって歩く繭良。その脳裏には、颯爽と現れ、朝姫の手をとって消えた忠次の姿があった。
ずるい。
ずるいずるいずるいずるいずるいずるい。
なんで、私だけ? 赤鐘と一緒で私も遺失血統なのに。どうして朝姫だけ? なんで自分はここにいるの?
でも、でもと繭良の口角が釣り上がる。
言ってくれた。忠次くんは言ってくれたんだ。助けてくれるって! いつでも助けてくれるって! 私を助けて、連れて行ってくれるんだって! 甘えさせてくれるって! 頼ってもいいんだって! 愛してくれるって! 酷いことをしないんだって! 忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん忠次くん!! 忠次さ――「眠りなさい」
そうして、繭良の意識は途切れる。
その背後には、繭良の首を優しく絞め、脳への血流を断った宵闇黒衣が立っている。
「こういうのに優しくするとか、新井くんも酷いことをするよねぇ」
「番犬は何をしてたんでしょうか?」
「兵助くんのこと? おいおい、黒衣。これの効能知ってる信者に人間的なものを期待しちゃいけないよ」
次郎は冷たい目で繭良を見下ろしながら言う。
「それが接し方としては一番正しいんだけどね。変に懐かれたら怖いよこいつらは」
『白陶繭良はエピソード2【切望を積み重ねて】を取得しました』
『エピソード2【切望を積み重ねて】』
効果:『超人』を付与時、新井忠次のみ『英雄』を付与する。
甘えさせてください。頼らせてください。助けてください。
心臓を取り出さないで。食べないで。啜らないで。助けて。




