015 恋の脈拍
出部の大罪耐性の獲得には多少の時間がかかるだろうと予測されたし、実際そうだった。
「ぶひぃ、ぶひぃ、ぶひぃぃぃ」
朱雀の養鶏場、その岩場の一画に出部が転がっている。
汗を流し、ぜぇぜぇと息を吐いていた。
一通り運動をさせてみたのだ。こいつの学力は平均以下だし、俺に教えられる頭もないので動ける小太り野郎にしてみようと思ったのだ。
俺もそうだが、だいたいの男子は筋肉をつければ自信が出る。
ちなみに千潮くんとアンドリューはトレーニング室だ。逢糸は食堂で、朝姫は鍛錬する俺と出部を、近くに置いた椅子に座りながら見ていた。
「でぶちん。てめぇに足りないのは自信だ。わかるか? 大罪は基本的に精神力で制御するもんだ。暴食ってんなら食欲を抑える努力をするんじゃない。食欲をコントロールするメンタルを得ることが重要だ。わかるか?」
未だ出部は大罪耐性を得られていない。切っ掛けすらも得ていない。
内心のみで舌打ち。会長や千潮くんの言葉から難航するのはわかってたが、やはりな……。
「ぶひぃぃ、新井くん、ボキには無理だよぉ」
低レアリティ特有の気合のなさにキレそうになるも、俺は怒りを抑え、ステータスのフレンド欄を見た。
(……まずいな。まずいぞ。やばすぎる……)
華のフレンド欄だ。寂しいです、との記述。そのあとに、単独行動3日目なのでそろそろ合流したいです、とも書かれている。
3日だ。華をエリア3に置いてから3日経っている。
主従に反応はないが、俺の冷や汗が止まらない。くそ、華はあとどれだけ我慢できる?
現状の華はゴム風船に水を注ぎ込んでいるようなものだ。溜め込ませてしまっている。破裂する瞬間が恐ろしい。
「ふんふーん。ボクがなんとかしましょうか? とにかくぶっ叩けばなんとかなると思いますよ?」
ぷぎぃ! と出部が悲鳴を上げて朝姫に恐怖の視線を向けた。
「やめとけ。お前に他人は育てられねぇよ」
「えぇ!? そ、そうですかね? 自信あるんですけど……」
そうだよ、と朝姫に言葉を返す。朝姫め。自信があるからと任せてみたら、鍛錬初日に出部を四凶獄刀で切り刻んで殺しまくってから「センパイッ、出部藤吉ほんと才能ないですよ!」と嘲ったことを忘れたのか?
朝姫は朝姫で毎日調子に乗っていた。四六時中ひっついてくるわ。華がいないために俺の布団に毎夜潜り込んでくるわ。
どうやって部屋に侵入しているのかわからないが本当にやめてほしい。朝起きたときに布団の中に誰かいると普通に怖いんだよ。
とはいえ、朝姫の機嫌がこの程度でよくなるならと許してしまってもいるが……。
「ちッ、仕方ねぇなぁ。短期での耐性獲得は諦めた。俺は華を迎えに行ってくるからでぶちんは……そうだな。縄で縛っとくか?」
獲得した『エピソード8【今度は失敗しない】』は同一エリアでないと効果を発揮しない。耐性がない出部が他人に害を加えないようにしないといけない。
「え、ええええええ!? ぼ、ボキの大罪どうするの!?」
「だから縄で縛るんだよ。華を回収ついでにあっちで勧誘やってくるから、てめぇ連れてったら転移枠がもったいねぇだろうが」
「や、やだー! やだやだやだやだやだーー!!」
「もー、出部藤吉うるさいです」
朝姫が四凶獄刀の柄で小突きつつ、地面でじたばたする出部の動きを抑えて、手際よく拘束していく。
新井くーん! 新井くーん助けてー! という言葉は鬱陶しいものの、エピソード消失の気配がないことには安堵する。
華の回収を3日も遅らせたのは、出部とのエピソードが消失しない最低限の交流が必要だったからだ。
「さて、エリア3の隠しエリアに転移してから、そこを突破か」
華がいねぇし、そもそもフルメンバーじゃねぇからな。難度2ともなれば普通にボス戦で全滅する。
――ちょっとズルするか。
俺は朝姫とパーティーを組むと『明けの明星・真』を装備し、隠しエリア3『白虎の蜜林』へと転移するのだった。
◇◆◇◆◇
転移後すぐに、俺たちはジャングルっぽい木が鬱蒼と茂るバトルエリアへと侵入した。
「それで、戦闘はどうするんですか? 一応ボクも頑張ってみますけどフレンドの御衣木栞じゃ回復足りませんよね?」
ぐっぐ、と朝姫が手足を屈伸させながら四凶獄刀を試し振りしながら俺に問うてくる。
朝姫の言うとおりだ。華のフレンドシャドウはエリア3での衣装変更からの新ジョブ露見に備えて、魔法使いのジョブに設定している。新春巫女ではない。
(というか、そもそも回復が足りていようが無理なんだよな)
難度2の状況で、俺と朝姫の二人だけのパーティーだと俺はエリアボスのターンに入ったら即死させられる。
魔法使いの華でもダメだ。特殊ステータスやエピソードの数値補正のない華ではボス戦でのATKが足りない。どうやっても全滅する。
俺と朝姫の二人でまともにやれば絶対に突破できない。
表のエリアには出られない。華を迎えに行けない。じゃあ、どうするのか。疑問顔の朝姫に見せてやることにする。
「こうすんだよ」
道中の初戦闘は密林から飛び出してくる白い虎との戦闘だった。
『大白虎』とネームの出ている五体の巨大な虎に対して俺は手のひらを向けた。
「跪け、『傲慢の天』」
ぐしゃあ、と音を立てて大白虎どもは地面へと蹲る。状態異常ではない。『攻撃力低下(小)』しか相手には入っていない。それでも彼らはもう動けない。
「ほら、切り刻むぞ。朝姫」
「あ、はい。そういう使い方もできたんですね大罪」
「疲れるから普段はやんねーけどな」
この装飾品を手に入れたときの検証には朝姫もいたはずだが……こいつ、この世界のシステム面にはほんと興味ないよな。
とはいえ、これは便利だが雑魚専用だ。オリジナルの大罪魔王には効かない。奴らは精神力が強い。
コピー品の再戦魔王には効くと思うが、やっていない。
大罪めちゃくちゃ疲れるんだよ。だから華がいるなら使う必要はねぇんだ。あと俺の傲慢が増長するから嫌なんだよ。
それでも他に方法がないので、俺は大罪を多用しながらどこまでも密林が広がるエリアを朝姫と進んでいき、エリアボスの『極点・大暴白虎』『シャドウカカオマン』を倒した。
ボス戦のドロップアイテムに『男子用冬服レシピ』が含まれている。パターン通りならジョブチェンジ用のレシピだ。
「ジョブチェンジします? ちょっと周回すれば素材のアイテム溜まりますけど?」
「いや、やめとく。さっきも言ったけど、大罪使いながらの『傲慢の天』はめちゃくちゃ疲れるんだよ。あとやりたいこともあるしな」
「やりたいことですか?」
HPバーが存在するカカオの木らしきものをぶん殴りながらの朝姫の問いかけ。
『【ボス:極点・大暴白虎】【ボス:シャドウカカオマン】を撃破しました』
『【エリア3:朽ち果てた村】へ帰還できます』
俺が『YES』を選択し「秘密だ。そのうちわかるぜ」と言えば、朝姫は「そうですかー。楽しみにしてますね」と大して興味もなさそうにカカオの木らしきもののHPバーを削り切った。
ドロップアイテムが入るのを確認しつつ、転移前のこの空白の時間、俺は少しだけ緊張する自分がいることに気づく。
(この緊張感。なるほど。俺は華にビビってんのか……)
へッ怖くねぇぞ、と心の中だけで呟きながら俺たちは転移する。
視界が密林から滅びた村へと変わっていく。
「さて朝姫、これから華を――」
瞬間、耳に『忠次様』と華の囁きが入り込んできて心底ビビる。
うぉ、び、びっくりした。心臓がバクバクなってるぞおい。
「センパイ? どうしました? んー?」
きょろきょろと周囲を探る俺を不審がった朝姫が周囲を確認する。
「あ、神園華だ。センパイセンパイ、そこにいますよ神園華」
朝姫が指をさす方向を見れば確かに俺たちに分かる程度にステルスを弱めた華がじっとこっちを見ている。
その恨めしい視線に俺は苦笑いしか浮かべられない。
ああ、華、ずっとそこにいたのかよ。
「あ、違いますねあれ」
「あ? どういうことだ――」
「忠次様」
耳元で声が聞こえる。視線の先に華はいるはずなのに、吐息に含まれる恋情は耳を熱する。隣に華がいるのだと実感させる。
「華?」
「やっと、やっと会えました」
声の聞こえる方向に顔は向けられない。
ただ幽霊でも見たように、朝姫の顔が引きつっているのでどうしようもなくなっていることを確認する。
あんまりにもびっくりしすぎて俺の心臓がバクバクと鳴っていた。
抱きしめられる感触。細く、柔らかい腕。華の豊満な胸が俺の身体を接して潰れる感触。華の体温。華の鼓動。肩に鼻先があてられる。すんすんと確かめるように体臭を嗅がれている。
字面にすればまるで恋人同士の逢瀬にも似たそれに俺は――
――恐竜映画で肉食恐竜に接近された登場人物の気持ちにも似た恐怖を……。
「うわ、センパイ。周りの人たち、ボクたちに気付いてませんよ」
朝姫が周囲を警戒しながら俺の隣に殺意を向けた。落ち着くように朝姫の頭を撫でながら、俺は華を極力見ないように説明してやる。
「原理はわかんねぇが華の仕業だ。それより、さっさと移動しよう。出部も心配だが、済ませたいこともいくつか――」
「忠次様、出部とは?」
「エリア3の隠しでぶっ倒れてた大罪所持者だ。耐性はない。あれ、でぶちんのこと知らないのかお前?」
「神園の関係者以外の生徒のことはよく知りませんので」
移動しようと俺が動けば、俺の動きを阻害しないように華の気配が動く。視線は向けない。俺の腕に絡みついた華の感触は離れない。
さきほど感じた恐怖を傲慢で抑制する。朝姫が対抗するように俺の腕に手を回してくる。
(さすがに鬱陶しいが。これは、どうすりゃいい?)
突き放すのが正解か? それともこいつらの機嫌をとっとくのが正解か?
傲慢に、自儘に振る舞えばいいとの傲慢の指摘に俺は、自制しようが相手を思い通りにしようとするのもまた傲慢だろうと返す。
「華」
「はい?」
決心してようやく華と顔をあわせる。
3日ぶりに見た華の顔は以前と変わらないものだった。
綺麗な顔だ。何を考えているのよくわからないが、俺の腕に腕を絡めて心底楽しそうにしている。
「びっくりしたぜ。次からは普通に出てこいよな」
「ずっと暇だったので、忠次様をびっくりさせることばかり考えていました」
すみません、としゅんとした華に俺は、ほどほどにな、とだけ返した。




