012 憧れは手の中に
「新井、くん? ボ、ボキ、ボキは」
ボキ? 簿記? 母機? そんな思考が一瞬走るも「ボキはなんか、とてもおなかがすいて」というのでボクが濁って聞こえているだけだと気づく。
「でぶちんよぉ。てめぇ、何泣いてんだよ? あ?」
「でぶじゃないよぉ」
ぐしぐしと泣いている出部。おら、と蹴りを入れるふりをすればひぇ、と飛び上がって逃げようとするもばたりと倒れてじたばたと亀のように蠢く。
「けっけっけ。アホだなお前。ほら、立てよ」
「あ、うん。でも」
おどおどとした出部が俺の手を取りかけ、背後を見て怯えた顔をした。
背後を振り返れば半裸のボクサーである千潮くんが怖い顔ででぶちんを睨んでいる。
「千潮くん、ほら、笑え。にっこりピースしろよ」
「……新井、てめぇ、何を考えていやがる?」
背後に怯えた逢糸真琴をかばい、千潮阿月は敵を見るように俺を見た。
「何って、俺はでぶちんを救いたいだけだぜ」
「救う? なぜだ? 新井は別にそいつと親しいわけじゃねぇだろ」
「そうか? なら白陶先輩はなんであんなにたくさんのグズどもを保護してる」
「それは……そりゃ白陶先輩だからだろ」
「そうだろ? だからだよ。俺は俺だから出部藤吉くんを助けてやるのさ」
あ、新井くぅん、という感動した出部の声を聞きながら俺は千潮くんににっこりと笑ってやった。
「冗談だろ。てめぇはそういう性格じゃねぇだろ……」
「ばれたか」
新井くん!? と出部が隣で落ち込んでいるのを無視して俺は千潮くんに言ってやる。
「システム的な問題だ。この隠しステージのクリアには大罪スキルが必要になるんだよ。こいつが役に立つかはわからねぇが、とりあえず確保してぇんだ」
「ちッ、最初っからそう言えよ。あ? じゃあ、てめぇエリア4の大罪罹患者どもも確保すんのか?」
「まだ生徒会には喧嘩を売りたくねぇなぁ」
「いずれやるのかよ……。いや、いい。とにかく攻略に必要ってんなら文句はねぇよ。つか、新井が何を隠してんのか知らねぇが、あとで聞かせてくれるんだろうな?」
「どうかな。必要なら言うが信用してくれるかわかんねぇからな」
「いや、言えよ。信用ってんならそっから決めるぜ俺は」
千潮くんの突っ込みに、どッ、と二人で笑った。がははわははと笑っていれば出部が恐る恐る聞いてくる。
「あ、あの新井くん。そ、その」
「あん? なんだよ?」
「その子は、何?」
出部の視線の先を見た。ちろちろと上気した顔の朝姫が俺の指を舐めていた。
「ああ、そうだな。そうだったな……」
忘れていた。だが、これはどっちだ? 傲慢の影響か? それとも舐められすぎて朝姫の舌の感触がわからなくなっただけか? 指で朝姫の舌をつまめば、朝姫の舌が器用に俺の指を振り払って絡みついてくる。
「とりあえずでぶちん。お前、俺のギルドに入れ」
パーティー申請を送り、そうして出部に大罪耐性を付与しようとして、これを維持し続けるのが面倒くさいことに気づく。
(ううむ、出部が自力で大罪耐性を取得するまでは一応、エピソードを組むか)
だが出部とか……出部とかぁ。
(それまで『付与【傲慢たる獅子の心』が使えなくなるのは痛いが……必要なコストだと思えば……)
いや、出部とはなぁ。このおデブちゃんとか。やるしかねぇけど。
(ふむ、いろいろと感覚の把握にも慣れてきたからエピソードを組むのは問題ないな)
エピソードをこれだけ作ったうえに、華との『主従』を意識し続けることでエピソードの感触は把握している。
理屈はわからねぇが特殊ステータスとエピソードには閾値がある。
作成にはある種の壁を突き抜けなければならないのだ。
そう、それにはただ知り合うだけでもダメで、表面上友人になることでもダメで、やはりどこか突っ込んだ関係でないといけない。
しかも難しいのはその後だ。やたらめったらとエピソードを作れば強くなれる。
だが、エピソードで一番難しいのは、それを維持することだ。
(『主従』を維持するより難しいことはないだろうが……いや、人間どこがどうなのかわかんねぇからな)
さて、俺と出部をどういった関係にしようかと頭を働かせながら俺は出部に目を向けた。
「か、感動だよ新井くぅん。ギルドってのはよくわかんないけど、ボキと一緒にパーティーを組んでくれるんだね!」
パーティー申請のウィンドウを宝物みたいに抱えた肉塊みたいな小男がにじり寄ってくる。心理的に引きたくなる気持ちを抑えて、笑顔を見せてやる。
(……ああ、なんだろうな……)
俺はどうしてか、目を輝かせて俺を見てくる出部を見て、既視感を覚えた。
この顔には見覚えがある。
これは、そうだ。茂部沢たちと同じ顔だ。俺が最初に茂部沢に声をかけた時の……パーティーを組んだときの……。
(おい出部お前、なんで俺をそんな……)
――憧れた目で見てやがるんだ?
『新井忠次はエピソード8【今度は失敗しない】を取得しました』
『出部藤吉はエピソード3【憧れは手の中に】を取得しました』
◇◆◇◆◇
『エピソード8【今度は失敗しない】』
効果:『出部藤吉』と同一パーティーの際、『新井忠次』のステータスをHP+400 ATK+400する。
『新井忠次』は『出部藤吉』と同一エリアの際に『出部藤吉』に『大罪耐性(中)』を与える。
また、その場合『付与【傲慢たる獅子の心】』が使用不可になる。
『エピソード3【憧れは手の中に】』
効果:『新井忠次』と同一パーティーの際、『出部藤吉』のステータスをHP+400 ATK+400する。
◇◆◇◆◇
エピソードを組んで出部に大罪耐性を与えた俺は不健康そうな色合いの『死病剣朝姫』を腰のベルトに吊るした剣帯に差した。
この剣帯は『魂魄武具化』コマンドができたその日に朝姫が徹夜して『狂王艶皮』から作ったものだ。
装飾品としての効果もあるが、単一素材だけで製作したこれはそこまで強くないのでバトルの際は他の装飾品で効果が潰れるように装備している。
朝姫を剣化させた際に周囲から驚きの声もあがったが、隠しエリアに大罪スキルに出部の加入と驚き疲れたのか千潮くんも逢糸も「また新要素か」という顔で追求はしてこない。
「あ、新井くん」
剣化をびっくりして見ていた出部だが、今度はもじもじとした顔で声を掛けてくる。
「おう、なんだ?」
俺の返答に出部はにたぁ、と笑った。
「な、なんでもない。ふひ、ふひひ」
(うっぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ)
いらっと来たので出部の頭を脇で抱え『死病剣朝姫』の柄でごつごつと殴ってやる。
「でぶちんよぉ。調子乗るなよてめぇ。なんだ今のは? ああ?」
「いた! 痛い! あ、ぼ、ボキ、女の子で殴られてる! えへへ! ふへへ!」
『あのー、センパイ。使われるのは嬉しいんですが、殴る相手を考慮してくれませんか?』
おら出部、なんでてめぇ殴られてんのに嬉しそうなんだ? ああ? 舐めてんのかおら?
「ねぇ新井くん」
遊んでいる俺たちを呆れた目で見ていた千潮くんの背後から逢糸が声を掛けてくる。
疲れた表情だった。明らかに変化する状況についていけていない顔をしていた。
「そのさ、ギルドハウスがあるんでしょ? なんだかわかんないけど出部くんがなんとかなったんなら移動しない? 疲れちゃったよ」
「ああ、そうだな。そうしようか」
全員集合、とボクシング部の二人に呼びかけながら俺は出部を解放してステータスコマンドを開く。
向かう先はギルドハウスがある『朱雀の養鶏場』だ。
「よし、行くぞ!」
俺に反応して、おう! 行くぜぇ!! と叫ぶ千潮くんの声に、出部と逢糸の二人がびくついた瞬間――
◇◆◇◆◇
――俺たちは転移を終了して『朱雀の養鶏場』へとやってきた。
そこは光苔のみが光源の岩だらけの岩場だ。
もっとも殺風景という印象はない。以前に俺たちが訓練したときに作ったトレーニング器具や生活した痕跡が残っているし、中央にはででんと巨大なギルドハウスが建っている。
(エリア3に華を置いてきちまったが、あとで回収に行かないとな)
合流できなかった場合はあちらでの情報収集を指示しておいたから勝手なことはしないと思うが、それでも何かやらかさないかと少し心配だ。
(一応、暴れるなとは言っておいたから大丈夫だとは思うが……)
「ん? んんんん? これは? この匂いは?」
くんくんと俺の隣に立っていた出部が鼻をひくつかせ、駆け出した。
「おいおい、あのでぶちんは何やってんだァ?」
『走るのすごく遅いですよね。あのひと』
千潮くんの呆れた声に脳内に響く朝姫の声。どすどすとひぃこら走る出部の進路の先を見る。
「……あいつ、何やってんだ?」
「新井くん、あいつって? んー? あー! アンドリューじゃん!」
おーい、と逢糸が大きく手を振れば、ギルドハウスの前でフレポから手に入るバーベキューセットを広げていたアンドリュー・スミスがこちらに手を振ってくる。
手にはバーベキュートングを握っていて、そのトングは巨大な肉塊を掴んでいた。
『あの大きさ、狂王肉ですよね。あれ』
あいつは饕餮牧場には行っていないので、ギルドハウスの冷蔵庫に入れておいた奴だろう。
「肉ぅうううう! 肉ぅううううううう!!」
叫び走りこける出部。あああああああ、と転んだまま這いずって泣き出す出部。
「新井、あのデブどうすんだよ」
お前が連れてきたんだからどうにかしろよ、という千潮くんの言葉に俺は「とりあえず動こうぜ」と全員で歩き出す。
チュージ、おかえり! と改造人間はそんな俺たちを見ながら笑っていた。
アンドリュー・スミス。
留学生のまとめ役である金髪美少女がアメリカ軍との連絡員にと、このエリアに残し、俺たちのギルドに所属させた留学生だ。




