011 暴食の大罪
勧誘に成功したボクシング部の二人を連れ、俺はエリア3の隠しエリア『白虎の蜜林』へと転移した。
生い茂る密林。湿度の高い空気。濃密な植物の匂いに千潮くんと逢糸が目を瞬かせた。
なお華は連れてきていない。パーティー制限があるからだ。
もちろん、朝姫を武具に変換すれば枠が空いて問題なく華も連れていけるのだが、せっかく勧誘に成功したのだからわざわざ不気味なものを見せる必要はないし、問題が起こって台無しになる前に、とにかくギルドハウスのあるエリアまで二人を連れて行きたかった。
もっとも、わざわざ二人を連れてこの『白虎の蜜林』に転移したのは、転移先にここを開放しておかないとエリア移動に少し時間がかかるからでもあったが。
(そろそろ表エリアの転移キーが欲しいな……)
こうして『白虎の蜜林』を開放したら心配はなくなったが、それでも今後何かあったときに表エリアにすぐに移動できないのは不便だ。
(今まで取得してこなかったのは、鍛錬に集中するためで。ついでに言えば生徒会やジューゴたちと接触を避けたかったからなんだが……)
念の為で取っておかなかったのは、俺は俺がそれほど我慢強い人間ではないと知っているからだ。
手に入ったら使う。使えば何かしら人間関係で問題が起きただろう。というか、実際起きてしまった。
(くそ、失敗した。どっちにしろ問題が起きるなら取っときゃよかったぜ)
もちろん神園だのアメリカだのを最初から予想していたわけではない。あんなものわかるわけがない。
ただ俺はあんな劇薬みたいな華や朝姫を他の連中と接触させればなんらかの大きな変化があると思っていた。
だから、それまでに生徒会やジューゴたちとの接触を控えて、何名かの生徒を勧誘しておきたかったのだ。
(前回取らなかったのはエリア2に人が残ってると思ってたからなんだよな)
そこで時間をかけて次の生徒を勧誘したかったのに。ったく、生徒会があんな大規模な手をとったせいで予定が狂っちまったぞ。
しかし会長め。エリア3に生徒を全員あげていいのか? 何か解決する手段でも用意してあるのか? 難度が上がってる以上、エリアを進むのはいろいろと問題があるだろうに。
「はぁぁ。ったく、おい、お前ら! 移動するから落ち着け!!」
俺は木々が生い茂るジャングルを見て騒いでいたボクシング部の二人に声をかけた。
「うぉおおお! なんじゃこりゃー!! ジャングルじゃねーか! ゴリラとかいんのかやっぱ!?」
「すっごーい! あっくん、ジャングルだよジャングル。すっごーい!!」
木に向かってストレートを繰り出す千潮くんに、地面の土やら草やらを触って感動する逢糸の二人。
俺の話を聞いている様子はない。頭を抱えたくなる。
いや、いい。転移しちまえばいいんだもう。パーティー組んでるんだからそれでいいんだ。
「ギルドハウスに――」
「センパイ――」
だが転移コマンドを使用するためにステータスを開いた俺の手を、周囲を探っていた朝姫が触れた。
「――そこに人がいますよ」
「ひ、と? え、人ぉ!? え、どこ?」
「そこです。男子生徒ですね。僕の一学年上っぽいです」
うぉ、マジだ。朝姫が指をさした先を見れば、生徒が一人いる。
男子生徒だ。背は低く、横に大きい。
そいつは地面に座って、何かを貪り食っている。
「ありゃ……確か、でぶちんってあだ名だったような……」
名前は、ええと、二年の出部藤吉だったか? 会話した記憶はないが、大食いで有名な生徒だったはずだ。
そいつがなんでここに? 一人でか? 難度上昇してんのによく餓死もせず元気だな。
「はふッ、むしゃッ、がつッ、がつッ、ぐじゅるッ」
ふしゅるふしゅると口から荒い息を吐いた出部は、手に持った肉の塊に食らいつく。
「肉」
「肉ですね。つまり雑魚相手なら勝てるってことですよ」
肉をドロップ品と判断したのだろう。朝姫はそう言いながら四凶獄刀を構え、俺の前に立つ。
だが、妙な予感が俺の背筋を這った。
(……あれは本当にドロップ品か?)
レベル1だったとはいえ、華が一体も敵を倒せずに死んだ隠しエリアだぞ。
もちろん花守五島のように、なんらかの手段を用いて勝利していたのかもしれない。
だが、出部だぞ。このクズが一人で難度の上昇している隠しエリアの敵に勝てるか?
俺は出部の知名度と成績などから判断して、どうせR以下の雑魚だろうと即断していた。
「朝姫、警戒しろ」
「え? あの人、隙だらけですけど」
「それでもだ」
背筋がゾクゾクする。生徒会長と会話していたときやアメリカの連中と会ったときのものではない。
もっと別のもの。例えるなら、華や朝姫から感じたおぞましさにも似た――
「おいおい、ありゃ、マジか」
あいつが食ってる肉、あの形、あの色は……。
「えっと、あの人、ご自分の身体を食べてますよね?」
俺たちに気づく様子もなく、出部は自分の肉を食っている。食っていた。食い続けている。
「はしゅッ、おなかッ、おなかいっぱいにならなッ、ああ、おなかッ、はしゅッ、いたッ、はしゅッ、いたいッ、むしゅッ」
歯で自分の腕に食いついている。皮も肉も食いちぎっている。咀嚼している。飲み下している。血が吹き出ている。それにも関わらず食い続けている。
異常だった。異質だった。目は充血し、顔から身体から汗が吹き出て、なおかつ激しく運動しているように出部の身体からは湯気が出ている。
「……なんで死なない?」
あれだけの出血。ダメージは相当なものだ。だがこいつはずっと食い続けていた。HPの高い戦士職か? それとも僧侶? 特殊な装備? 俺が難度を上げる前にこのエリアでジョブチェンジを可能にしていた?
「そもそも、なんで食ってる? 痛いだろ普通……」
「ありゃ暴食の大罪だな」
言葉に振り向く。俺の隣に、真面目な顔をした千潮くんが立っていた。
「千潮くん――あれが暴食? あれも大罪なのか?」
「あっくん? 暴食って何? 大罪って?」
怯えたような表情で逢糸が千潮くんの背後で出部を見つめていた。
「出部か。どこに消えたかと思ってたがこんなとこにいやがったか」
「消え……は? いや、掲示板で何もなかったじゃねーか。出部が消えたとか。つか消えたのは俺と華と――」
「新井てめー馬鹿か。おめーと違うんだよ。このクソデブごときの話題が何ヶ月も持つと思ってんのかよ。このクソデブなんぞ全校生徒の頭の片隅にも残ってねーよ。つか、おらッ、グズッ、てめー、自分の肉食ってんなアホが!!」
拳と手のひらでパンパンやりながら千潮くんが出部の身体を足蹴にして自傷行為をやめさせた。
「おにくッ……おにくぅううううううう!!」
反射的に千潮くんの足に噛み付こうとする出部から離れる千潮くん。
「クソデブめ。ぶくぶく太りやがって。一回リセットしなきゃダメかこりゃ?」
「リセット、ですか?」
「おう、赤鐘。おめーも手伝え。こいつを一回殺して膨れ上がったHPをリセットする」
暴食にHP。聞いて納得する。こいつが死なないのは自分の肉を食らってHPを回復していたからか。膨れ上がったってのはつまり、出部は最大値を超えてHPを抱えている。
じゃあ出部の大罪スキルはダメージ吸収系か? いや、喰うならHP強奪か? 自傷でもいい? それでHPが上昇するってことは、まさか与えた以上を回復している? すげぇなおい。
(出部、理性さえ残ってれば引っ張りだこだったろうな……)
「センパイ、いいですか?」
刀を構えた朝姫の問いかけに頷けば、朝姫はすぐさま出部の身体を削りにかかる。
それを横目にしながら俺はアイテムボックスから剣を顕現させた千潮くんに言った。
「千潮くん、あとで説明して貰うぜ」
「深い理由なんかねーよ。俺が新井に決闘を挑んだのと同じだ」
――俺がただの運動部の使いっ走りだったってだけだよ。
そんなことを言いながら、千潮くんもまた出部の身体に剣を突き立てるのだった。
◇◆◇◆◇
「新井お前、このデブを連れてくって、マジで言ってんのか!?」
「マジもマジだよ。こいつ、使えそうだ」
蘇生地点で蘇生した出部を囲みながら俺は千潮くんにそう言った。
理性のない出部は復活した直後に自分の腕を食おうとしたので、朝姫が出部の背に四凶獄刀の柄を押し付け、痛みで行動を停止させている。
「いや、つーか新井、大罪罹患者はエリア4の風紀委員会に引き渡した方がいいって生徒会が」
「風紀委員か。掲示板は見たがよ。なんなんだそいつら、元の世界じゃ普通の連中だっただろ」
友達ってわけでもないが全員の顔は知っている。それなりに遊んだ記憶もある。ジューゴ関係ではなく、俺個人で親しい奴も中にはいた。
そんな俺を朝姫は呆れた顔で見ていた。
「センパイの普通がどんなものかはわかりませんが、風紀委員は全員神園の人形ですよ。神園華の護衛とか、生徒の情報を探るとか、まぁいろいろやってた後ろ暗い連中です」
「……あー、人形、人形ね。華みたいなもんか?」
「ちょっと違います。神園華は商品ですけど、風紀委員は神園が自分たちで使うために作った、道具のようなもので、花守五島みたいなものです」
「……可哀想な奴らってことか?」
「ぷッ、ちょ、センパイ、笑わせないでくださいよもー」
笑いながらべしべしと足で出部を叩く朝姫。痛い痛いと出部が悲鳴を上げている。おい馬鹿やめてやれ。
「いや、花守先輩に関しちゃ俺もよくわからないからな? ただ勝手に連れてこられて勝手に殺され続けて終いには消えちまった哀れな人だったとしか知らねぇよ」
「……そうでしたっけ? ボクはあんまり記憶ないですけど」
「で、そもそもどーすんだよ新井。デブは大罪とやらで判断力なんかねーぞ。連れてくだけ荷物だぜ?」
「こうすんだよ」
千潮くんの言葉に俺は『明けの明星・真』を顕現してみせた。
「……新井、なんだそれ? 気分悪ぃぞ……」
「いやッ! キモいッ!!」
千潮くんが気分悪そうに口元に手を当て、逢糸が悲鳴をあげて目をそらす。その反応にギョロギョロとした目で周囲を睥睨する首飾りの目が気分良さそうに瞼を緩める。
「センパイ、それ、成長してません? 威圧が前より強くなってますよ」
「そうか? ち、めんどくせぇが。おらッ! てめぇら、気合入れろ!!」
念のために『付与【傲慢たる獅子の心】』を撒いておく。これで大罪耐性がパーティーメンバーである三人に付与されたはずだ。
「んん、おお? 新井、なにやったお前?」
「俺の大罪だ。種別は傲慢」
「た、大罪だァ!? 新井が? はぁぁぁぁ!?」
なんで正気なんだてめぇ、と千潮くんがいろいろ聞いてくるが俺はあとでな、と言いながら出部の前に立った。
こんな派手なやり取りをしながらも出部は何一つこちらに意識を向けてこない。芋虫のように蠢いては朝姫や自身の腕に食らいつこうとして、朝姫が力を籠めることで動きを止める。
人間性を喪失した木偶。俺の中の傲慢が哀れな出部を嘲笑う。
「『傲慢の天』」
その傲慢を『明けの明星・真』を使って放出する。大罪の圧力が、自身の大罪にすら耐性を持たない出部の身体を地面に沈ませる。
物理的な圧力など何もないのに、出部は地面に張り付いている。
傲慢の権能が撒くのは、魂に加わる圧力なのだ。
俺は暴れるわ沈むわで土が顔や身体についた出部の前に立ち、朝姫の持つ四凶獄刀の刃に自身の指を滑らせた。
俺の行動に周囲が声を上げるが俺は構わず朝姫に血の滴る指を向ける。
もちろん、俺の血を摂取して自身を強化する、朝姫の『エピソード2【赤く染まる刀身】』を発動させるわけではない。
だからそれに気づいた朝姫が焦った顔をしながら俺に抗議してくる。
「え? えぇぇぇぇ? せ、センパイ、ここでやるんですか?」
「ああ、出部はもう抑えなくていい。ほら、咥えとけ」
「いや、ちょっと、ボクが刀になって、それでアイテムボックスに入れてもらうとか」
「それじゃ千潮くんたちが騒ぐだろうが。状況を複雑にしたくねぇんだよ。ほら、ごちゃごちゃ言うな。切るぞ」
「わああああ、待って待って待ってください!!」
俺の嫉妬を源泉とし発動している『妬心怪鬼』は『エピソード5【魔剣の所有者】』の効果で朝姫に常に作用し、『狂気の淵』というデメリットしかない朝姫の特殊ステータスを停止させている。
エピソードは関わりだ。無効にすることはできない。それでもそこに特殊ステータスが関わっているなら、その部分だけを無効にすることは可能だった。
俺は電源を落とすように『妬心怪鬼』の発動を切る。
急いで四凶獄刀をアイテムボックスにしまった朝姫の目から正気が抜け落ちた。
「あ、う」
朝姫は、頭を振った。周囲を見回した。人を見つけた。獲物を見る目。手を開き、閉じる。四凶獄刀を顕現しようとしていた。
「朝姫」
俺の方を見る朝姫。行動が止まる。執着した目だ。恐ろしい目だ。ゆらりと近づいてくる。
「センパイ」
このままだと狂気によって行動に制御が効かないようになる。なってしまう。
狂気のバッドステータスは知能が落ちるわけではない。朝姫の場合、何もなければ倫理観が完全に吹っ飛んで見境なく俺以外の周囲の人間の殺戮に走るだけだ。それもただの殺人鬼ではない。とても狡猾に、とても恐ろしい剣鬼として、魔法を駆使する華と互角に戦えるほどに(一度試しにやってみたことがある)。
だが、俺の血をちらつかせれば結果は変わる。
俺は血の流れる指を振って、朝姫の口に向けた。
「センパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイセンパイ」
俺の指を咥えた朝姫が俺の指先を舐めしゃぶる。舌の感触がくすぐったいが構わず俺は朝姫を見て動揺した様子の千潮くんに聞く。
「出部の大罪スキルはわかるか?」
「え、あ? あ、ああ。た、確か『過食衝動』だったはずだ」
やはりな。生徒会でのやり取りで鑑定スキルを使った奴がいたから出部も鑑定してるとは思ったが当たっていたか。
「『過食衝動』……『過食衝動』ね」
傲慢で出部を押さえつけながら俺は俺の指を舐め続ける朝姫の頭を撫でながら口角を吊り上げる。
「そんなに食えて、羨ましいなぁ! おい!!」
千潮くんから聞いたスキルを封じるべく、出部の体内を『妬心怪鬼』で探る。
無論それだけじゃない。『妬心怪鬼』はただ発動するだけでは発動率が相手の抵抗力に左右されてしまう。だから俺は『傲慢の天』の出力を強め、出部の魂のスタミナを徹底的に削り取る。
「ぷぎぃッ!!」
魂を締め付ける恐怖に出部の身体が跳ね上がり、目の端に涙が浮かび上がり、口の端から泡を吹く。
楽しくもない作業……いや、俺の中の傲慢は他者を蹂躙することに歓喜を覚えていた。
「はッ、胸糞悪ぃぜ」
怠惰の魔王との戦いで俺の傲慢は成長した。小胆はもう縮み上がってあまり機能していない。
朝姫の育成も問題だった。傲慢と嫉妬の大罪の同時発動に慣れてしまった。
「お、おい。新井お前、大丈夫か?」
「気にすんな。すぐに終わらせる」
なんとも言えない表情の千潮くんに笑いかけてから俺は指先の感触に集中する。
一心不乱に俺の指を舐める朝姫の舌。くすぐったいが、これが今の俺の生命線のようなものでもあった。
(傲慢は肉体と精神の感覚を希薄にする。だから、朝姫の舌の感触が感じられなくなったら傲慢の大罪を弱める。弱める。弱める。よし)
千潮くんが心配するのもわかる。
俺は今、かなり無茶な大罪の使い方をしている。
――俺の心がばらばらになりそうだった。
同時使用に慣れたといっても、エピソードの補助で常時発動させている朝姫と出部では事情が違う。
『妬心怪鬼』の嫉妬を出部に向けながら、傲慢がやりすぎないように『傲慢の天』の出力を調整しつづける作業。
自分の心が、自分の感情で引きちぎられそうになる。人格が引き裂かれそうになる。
(よし、見つけた)
『妬心怪鬼』が『過食衝動』らしきスキルの感触を見つけ出す。ステータスが見えればわざわざ探すような真似をしなくて済むんだが、やはりステータスが見えなきゃ至近距離でも精度はこんなもんか。
(考えたくもねぇが、それとも、大罪が成長すれば変わるのか?)
『過食衝動』を『妬心怪鬼』で封じていく。『傲慢の天』が出部のスタミナを削っていてくれたおかげか、すんなりとスキル封印は成功した。
「あ、あ、え……」
出部の目に正気が戻っていく。『傲慢の天』を停止させていく。
「あ、あ、新井、くん?」
脂肪のせいか分厚い顔の肉に埋もれた小さな目をぱちぱちさせた出部に、俺は精一杯の笑顔を作ってやった。
「よぉ、でぶちん。元気かよ?」




