010 咲乃華音は悩んでいる/剣崎重吾は楽しんでいる
エリア6『城への道中』。乾いた風が吹く、彼方まで砂と石しかない荒野に剣崎重吾のパーティーは戻ってきていた。
とはいえエリア5を突破するのにいくらか手間と時間がかかり、彼らは戻ってすぐに休息を行っていた。
そんな身体と心を休めるべき時間に、その掲示板の書き込みを見て、華音は口を閉じるしかなかった。
(は? なにこれ?)
内心は驚愕で満たされている。しかしそれを顔に出したりはしない。
時折中学生にも間違われる幼さの残る美少女顔に、他者を惑わすための薄っすらとした笑みを貼り付けながら、華音はその書き込みを自分が誤読したのではないかと何度も確かめていた。
宵闇の暗号文で構成されたそれを何度も何度も解読する。誤読ではないと確信しながらも、間違いがないことを再三確認する。
(『もうむり ゆるして かかわりたくない』 ざっけんなッ、三下どもめ。何やってんだっつーの。忠次が上がってきた今だからこそ叩き続けなきゃいけねーんだろうが)
報告は手下にしている三人の下忍からのもの。
新井忠次とは関わりたくないとの唐突な懇願。
だが華音にそれを許容することはできない。
新井忠次は蹴落とさなければならない。何度でも、何度でもだ。
――でなければ追いついてくる。剣崎重吾のもとにやってきてしまう。
(下忍どもを勝手に使ってんのを黒衣に知られるとめんどくせーから直接的な攻撃は控えてたけど、こうなったら殺害指示を出すか?)
容姿や表情と乖離した酷薄な思考。
忍者らしいといえば忍者らしくもあるそれだが、それは自分を殺して組織のために身命を捧げる宵闇の忍者としてのものではない。
剣崎重吾のために生きると決めた、一人の女としての思考だった。
(つーか忠次……あのクズ、やっと消えたと思ったのによぉぉぉ)
這い上がってきやがった、と心中で呟く華音。
そうだ。いつだって、今だって、どこでだって剣崎重吾の傍には新井忠次が纏わりついている。
こうやって離れて、叩き落としてなお、新井忠次の影は、呪いのようにこびりついている。
華音が重吾と出会うのが忠次より先だったなら、絶対に関わらせなどしなかったというのに。
(ジューゴも、アタシのほうが、便利だっつーのに……)
どうして忠次を重用する? あんな地上を這い回るしか能のない凡人を。
東郷や、栞ならばわからないでもない。
だが忠次は凡人だ。血統も名声もない、ただ傲慢なだけの凡人。
寛容と優しさがあるように見える瞬間もあるが、それらは見栄と小胆でしかない。
それは忠次と親しい人間ならば誰だって知っていることだ。
――才能も異能もない、本当の凡人。
「咲乃さん、どうしたの?」
「赤鐘、真昼……なにさ?」
「私もね。困ってるんだ」
赤鐘真昼。休息している風を装っている華音に声をかけてきたこの少女も、華音にとっては邪魔な人間だ。
剣崎重吾を中心とした四人、そこに不和が発生したために受け入れざるを得なかった異物。
剣術家の大家たる赤鐘の次期当主。
(はッ、赤鐘の次期当主って結局ハズレだから警戒するほどでもねーけどよぉ)
赤鐘では剣才に恵まれた者ほど当主の座には固執しない。
真なる赤鐘ほど現世の権益とは別の部分に理想を見てしまうからだ。
現に朝姫と同等の才のあった赤鐘の長女は、とある企業の代表の剣となって戻ってきていない。
現在の当主候補は、長男か真昼かのどちらかだが、その二人の剣としての技量はさほど高くない。
華音が調べた限りでは朝姫が復活し、忠次の魔剣となったらしいが、魔剣化した赤鐘は所有者の器量によって性能が変わる。
如何な剣才に優れようとも、赤鐘は赤鐘。所詮は剣でしかないからだ。
(だから赤鐘朝姫は警戒はしなくていい。所詮、主が忠次だし。つか真昼も、ほんと赤鐘としては出来損ないっつーか)
今も、華音に向かって喋り続ける真昼の髪は黒いままだ。
定期的に重吾の血を摂取しながらも、魔剣化が進んでいない。自己保身の念が強い真昼では、魔剣化の要である自己を捨てる自己暗示が上手く働かないのだ。
赤鐘真昼の魔剣化には、本人に精神的なブレイクスルーが必要だった。
「――ってね? ねぇ、聞いてる? 咲乃さん」
「あー、はいはい。聞いてるって。朝姫がいると調略した赤鐘の眷属どもが騒ぎ出しそうってことってことでしょ」
「そう! だから朝姫をどうにかしたいんだけど。何かいい方法はないかなって。私があっちにいれば直接どうにかしたんだけど。ね?」
(てめーでやれよカスがッ。うっぜぇぇぇぇぇぇ)
舌打ちする華音。とはいえ赤鐘の権力を使えるなら、それを忠次にぶつけてみるか? と考える。
(どうすっかな。情報操作も限界だし、赤鐘と協力して忠次を直接やるか? 殺せなくても拘束するなりなんなりとやりようはある。手間はかかるがエリア4の風紀委員の真似をしても――)
華音の思考が一瞬止まった。脇に置いてあったステータス画面、そこに映る掲示板のスレッドに書き込みがあったからだ。
華音と下忍たちが連絡をとりあうために使ってるスレッドの一つ。そこに。
――かのんさん かみさまに いじわるは やめてくださいね
「符号がバレ……かみ? いや、待ってこれって」
「何? 符号? 掲示板見て? この書き込みが何? おせち料理のレシピ? 宵闇の忍者ってこんなの符号に使ってんの?」
「いや、これは……符号もあるけど。いや、こんな、そんな……こんなことを」
吐きそうな気分を抑える。下忍たちが関わりを断ちたくなった理由を理解した。
相手が悪い。なんだこれはなんだこれはなんだこれは。
華音も残酷なことは経験してきている。宵闇の任務で殺人や拷問をしたこともある。
それでも、それを直視したくはなかった。その書き込みの意味に気づきたくはなかった。
どうしても気づけるように書かれていたために気づいてしまったが、正直なところこれは、華音の手に余る。
「新井忠次と、赤鐘朝姫には、手を出さない」
「え? 何? 咲乃さん、急に。っていうか朝姫がいると困るっていう話を」
「出せない。相手がやばい。ちょっと考えないと……」
「え! ねぇ! 何? なんなの?」
消去法で、やった相手はすぐにわかる。情報は収集している。華音の手下たる下忍が襲撃された時間、忠次と朝姫は千潮阿月と一緒にいた。ならば残るは一人だ。
「敵は神園華よッ!! くそ、何が起こってんの!? 愛玩人形でしょ!? こんなことやれる奴だったの!?」
人間で、■■■■■? それも殺さずに生かしたまま? エピソードを取得させて……わざわざそのあとに人間の形に戻して? 形状を固定しないようにか。そこまで理解しながら■■■■■に? 吐きそうだ。どうやった? なにをやった? どうしてそんなことができる? 馬鹿げている。馬鹿げていた。世の中には、やっていいことと悪いことがある。
命の価値が大暴落して他者も自身も簡単に殺せる忍者にだって、そんなことぐらいはわかるというのに……。
いや、違う。下忍たちの心を折るだけならそんなことをする必要はない。
これはメッセージ。咲乃華音に向けたメッセージだ。
――まっててくださいね いずれ あいにいきます
ぞくりと身体が氷のように冷たくなる。背筋に氷柱を突き刺された気分になる。
目をつけられた。
咲乃華音は神園華から宣戦布告を受けていた。
◇◆◇◆◇
遠くに華音と真昼が見えている。どうせくだらないことだろうと剣崎重吾は二人を意識から外し、ステータス画面を見ていた。
無言で隣に座る栞のフレンドから表示させた新井忠次のものだ。
「忠次はがんばってるなぁ」
「わかるの?」
「直接はわからないけどね。掲示板使いながらならそれなりにわかるからさ」
タイマンで戦ってボクシング部のエースを引き抜いたらしい。重吾の知る忠次は負ける勝負をするぐらいなら諦める。ならば赤鐘朝姫を使ったんだろうな、と重吾は想像する。
(あの死にかけの後輩が復活か。さすが忠次だ。面白い。面白いな。どうやったんだ? 今度聞いてみていいかな? 聞くだけでも楽しそうだ)
たぶんキレながらも忠次は説明してくれるだろう。忠次はそういうところがある。重吾に見栄を張りたがるのだ。
ふふ、とそんな忠次を想像した重吾は赤鐘朝姫について思い出す。
(あの寂しい病室で、一人で死にかけていたあの後輩か。面白そうだから目をかけて、神園華を見つけたから放置した。……結局、さほど交流はなかったが、ふふ、元気になったか)
朝姫が忠次に誘拐されたと聞いたときに期待をした。だが、その期待が叶う可能性は低かった。忠次が朝姫を壊す恐れの方が高かった。
(忠次、キレやすいお前が我慢したんだな。偉いぞ)
「じゅーくんは」
「ん? なに?」
「ちゅうくんがいないのに楽しそうだね」
「楽しい? ああ、うん。そうだね。楽しいよ」
「どうして――ああ、そう」
フレンド画面から栞の顔へと重吾は視線を移動させる。
栞は笑っていた。しょうがないな、という顔だった。
「じゅうくんは、ちゅうくんと遊んでたんだ」
それは、重吾が切り捨てられなかった幼馴染の顔だ。
忠次以外の全てを予測できる身でありながらも、栞のこの献身だけは重吾にもよくわからなかった。
女生徒たちに片っ端から手をつけてきた重吾が、栞に手を出していないのも、手を出せば忠次が本気で怒るからもあるが、この奇妙な献身に、抗いがたい衝動を覚えていたからでもある。
――手をだせば、戻れなくなる。そんな予感がある。
栞への感情を振り払うようにして重吾は忠次について語る。
「……どうかな。忠次は、きっと怒ってる。たぶん喧嘩になる」
「それでも、ちゅうくんは許してくれるよ」
そうかな、という重吾の呟きに栞は、うんと自信満々に頷いてみせる。
二人の手が微かに触れ合おうとした瞬間、声がかかった。
「おい、ジューゴ、連れてきたぞ」
「はぁぁぁぁぁぁ、連れてこられましたわ」
声をかけてきたのは東郷浩之だった。背後に一人の少女がついてきている。
日本人らしからぬ西洋人形のような金髪紅眼の美少女。制服の飾りの色は青。重吾たちの後輩、一年生だということがわかる。
「カミラちゃん! 来てくれたんだ!」
重吾の口から気怠げな口調が消え、明るいものになる。
対後輩系生徒攻略用の口調と性格だ。人格を変えるように対象の好ましい性格で接するのが重吾の対象攻略の基本である。
「東郷さんに言われたからですわ。一応、これでも親戚ですから」
校内でも有名な金髪紅眼の一年生。ドイツ人とのハーフである馬鳥カミラだ。
『SSR』レアリティの『魔法使い』であり、攻略組としてこうして前線に来ている一人でもある。
「親戚だぁ!? ババアめ。若作りしやがって。なんでアンタ後輩なんだよ」
「うるさいですわ。東郷兄さん」
うわあああああ、と東郷が叫んで地面を転がる。
「キモいキモいキモい! キモすぎる!! ジューゴ! やめようぜ! このババアを仲間にするのは!!」
「ババアとかきもいとかわけわからないこと言うのやめてくださいな。あー、もう。それで剣崎先輩、本題に入ってください。話が進みませんわ」
東郷の失礼な態度でカミラの額には青筋が走っているが、怒ることもなく微笑むように穏やかに立っていた。
「うん、本題だ。カミラちゃん。君たちとギルドを組みたい」
「『勇者』からそれを言われるとは思いませんでしたわ。以前、私たちから申し出たときは断りましたよね」
「状況が変わったんだ。そもそも単体パーティーでの攻略競争は神園から言われてたことだしね。でも難度が上がり続ける今、こうやって足踏みしていれば俺たちはこの世界に閉じ込められてしまう。それはダメだと思うんだ」
「ふむ……まぁ、いいでしょう。私たちもボス戦攻略の目処が立ってませんし。それで、剣崎先輩が説得するんですの?」
「いや、俺ではダメだからね。君からお願いするよ。君を呼んだのもそのためだしね」
「わかりましたわ。灰子は私が説得します。でも先輩も謝ってくださいな?」
わかっている、とカミラの厳しい視線に対して重吾は自信満々に頷いた。
「灰子ちゃんは忠次の妹だからね。ちゃんと謝るよ」
「剣崎先輩のことはそこまで好きではありませんが、彼女をレアリティで呼ばなかったところは評価します」
ぺこりと上品におじぎをして去っていくカミラに対して、東郷だけが地面を転がりながら若作り婆キモいいいいいいと苦しんでいた。




