008 タイマン上等
歩き疲れてきたのでエリア3の人が寄ってこない片隅へ、朝姫を連れて移動する。
エリア3も相応に広いのだが、このエリアにいる生徒の数は多く、人がいない場所というのはなかなか見つからない。
「うーん? このあたりにします? じろじろ見られてますけど」
「とりあえず有象無象がそばにいなけりゃそれでいいが。っていうか見られてるか?」
「この気配は宵闇の下忍ですかね。あそこの廃屋のとこからこっち見てますよ」
俺たちの「え? どこ?」「あそこですあそこ」「あー? わかんねー」「あ、逃げちゃいました」「他にもいんの?」「あっちの廃屋の陰とか?」「へー」そんなやり取りのあとに「じゃあ」と朝姫は前置きをしてそれを話し出す。
「さっき言った繭玉の会について、ですけど」
うん、と頷いて先を促せば朝姫は「宗教団体ですね」とだけ言った。他には? と待っても説明しましたよ、とばかりに朝姫は黙ってじぃっと俺を見上げてくるだけだ。
端折りすぎだ。つーか、絶対説明めんどくさがったよな……。
「あー、本当にそれだけか?」
「うーん? 1000年以上続く民間宗教団体で、人間は頑張れば超人になれるっていう思想を根本に持ってて、全世界に信者がそこそこいて、信者の大半は傭兵みたいな活動をしている、とかですかね?」
それを言え、とは言わない。よく説明してくれた、と髪を撫でてやれば、朝姫は頬を緩めてほにゃりと笑う。
「なるほどな。だから神園に対して強く出られるのか。それで、白陶繭良も傭兵か何かなのか?」
女子高生傭兵、なんてあんまりにも現実的でないが、忍者や魔法少女がいるなんて聞いた以上、もうそんなことに驚く段階ではない。
そんな気分で放った俺の問いかけに朝姫は、わかりません、と返してくる。
「わからない?」
「繭玉の会は宗教団体なんで情報のガードが堅いんですよね。というか、そもそも学内で危険視すべき勢力はもっとあって――」
説明のために口を動かしていた朝姫だが、突然不機嫌そうになって、口をへの字に曲げる。
「あの、なんでボクがこんな面倒なこと考えてるんですかね?」
いや、知らねぇよ。四凶獄刀を顕現して、朝姫はぶんぶんと振りだした。
「斬れば一発なんですけど! あああああー、センパイセンパイ! 白陶繭良も生徒会長もボクが斬ってきましょうか! 走ればすぐですよ! すぐ!」
やめとけやめとけ、と言いながら俺はため息をつきたくなる気分を抑えて、確かに、と内心だけで朝姫に同意した。
(マジでめんどくせぇぞこれは……だいたい俺はジューゴに勝ちたいだけで、他のあれこれとした面倒なんぞどうでもいいんだ)
ジューゴに勝つついでにラスボスを倒して有象無象も俺が救ってやろうと思ったのに。なんでこんなことになってやがる?
神園? アメリカ? 魔法少女? 畜生、全員まとめて死ねばいいのに。いや、いますぐにでも傲慢の大罪で全員を跪かせれば……。
(難度とエピソードが邪魔すんだよな……。クソ、天使め。何考えてやがる)
「んー、センパイ、誰かこっちに来ますよ」
警告。瞬時に弛緩から警戒へと移行した朝姫が四凶獄刀を構えた。
「誰だ? いや、ありゃ……」
朝姫の視線の先にいるのは、二人組だ。
鍛え上げた筋肉を周囲に見せつけるように、上半身裸で堂々と歩いてくる男子生徒。
その後ろにはタオルを持った女子生徒。
有名な生徒だ。見覚えがある。会話もした。一緒に遊んだこともある。友人ではないが。
「ボクシング部のエース、千潮阿月だな。後ろのはマネージャーの逢糸真琴か」
「センパイって」
ん? と朝姫を見た。ちょっと信じられないような目で俺を見てくる。
「あの、全校生徒全員の名前と顔、覚えてるんですか? 所属とかも?」
「いや、あんまりにも雑魚すぎる奴は知らねぇけど。たいていの奴は」
実際、病院に叩き込まれていた朝姫について俺はよく知らなかった。
それに特別なことでもない。ジューゴだってこのぐらいはできる。やらねぇが。
(つか、俺があいつらを知ってんのは、ジューゴと関わり続けていくうえでどうしても必要だったからだ)
ジューゴの無軌道な興味を満たすために様々な奴らと関わる必要があった。だから知り合いが多い。それだけの話だ。
俺が朝姫と話している間にも、ボクシング部エースの千潮くんはこちらに近づいてくる。
千潮くんは、警戒する朝姫の構える刀が届かない距離に立つと、口を大きく開き、息を吸って叫んだ。
「おう! 新井! 勝負!! 勝負!! 勝負だ!!」
ワンツーワンツーと拳を俺に向けて、しゅしゅっと振るう千潮くん。大真面目に馬鹿みたいなことをしている。笑えてくる。だが、こうして時間が経っても変わらないものがある。口角が緩む。
この男には神園も忍者も魔法少女もアメリカ軍も関係がない。ただの学生。男子生徒。ボクシング部のただのエースだ。
「ったく、千潮くんよぉー。なんなんだよてめーはよー」
俺の返答に千潮くんは届かない距離から拳をしゅっと俺に向かって振るってみせる。
「新井ー! 俺と勝負だ! 一騎打ちだ! お前が負けたら運動部に神園先輩を渡せ!!」
嫌だよ。馬鹿か。俺がボクシングのエースと殴り合いして勝てるわけねぇだろ。
隣の朝姫がちょいちょいと俺の袖を摘んでくるのでそちらを見れば、あれぶっ殺しときますか? みたいな顔をしていた。
頼めば秒もかからないだろう。だが俺の興味は別にあった。
「で、千潮くん。俺に勝ったとしてよ。それはどうやって成立させるんだ?」
奇しくも先程朝姫が言ったとおりだ。ギャンブルで最も困難なのは取り立てである。俺と勝負をして、勝ったとしてもこの場に華はいないし、俺だって逃げようと思えばいくらでも逃げられる。
「おう! 逢糸!!」
そんな疑問に応えてくれたのはボクシング部マネージャー兼千潮くんの幼馴染系女子の逢糸だった。
ちなみにこの二人は同学年、俺の同級生である。
「新井くん。はい、これ。クエストに出したから受けるなら受けてね」
依頼名:決闘依頼
依頼者:運動部連合
内 容:ギルド『世界を救う同好会』はギルド『運動部連合』と決闘を行う。
報 酬:ギルド『運動部連合』が勝利した場合、『神園華』はギルド『運動部連合』に移籍する。
「マジ? クエストってこんなに細かく設定できんの?」
クエスト関係はそこまで弄っていないので確認をしていない。なので逢糸に聞けば、ええと、と教えてくれる逢糸。
「ちょ! センパイ! 変な女に近づかない!! 護れませんってば!!」
操作を教えてもらう関係から俺と逢糸は肩と肩が触れ合う距離だった。だが特に恋愛的な意味はなく、こんなもんだろ的な距離感である。千潮くんも変わらず拳をしゅっしゅしてるしな。
「いや、でも気になるし」
「もー! もー!!」
「かわいい彼女だね? あれ、てか、新井くんって神園さんとはどうなの? 付き合ってるの?」
「いや、どっちも彼女じゃねぇよ?」
えー、新井くんひどーいと言われてひどくないひどくないと否定する。って、おい、朝姫お前、一緒になって今ひどいとか言ってなかったか? 言ってない? そうか?
「で、と、ありがとな。なるほど。クエスト機能はこうなってるのか」
「詳細設定って項目でギルドか個人か選べて、所属人員を報酬に出せたりするよ。あとは自分で調べてね」
助かった、ありがと、と言いながら俺もポチポチとクエストを設定してみる。
依頼名:決闘依頼
依頼者:世界を救う同好会
内 容:ギルド『運動部連合』はギルド『世界を救う同好会』と決闘を行う。
報 酬:ギルド『運動部連合』の勝利時『神園華』は『運動部連合』に移籍する。
ギルド『世界を救う同好会』の勝利時『逢糸真琴』は『世界を救う同好会』に移籍する。
それを見て、逢糸の顔が引きつった。
「おい、受けろよ」
傲慢が嗤う。腹の底から、この狂った世界に向けて、こんな依頼をしてくる奴らに向けて。
えっと、と逢糸が助けを求めるように千潮くんに向けて口をぱくぱくとさせる。拳をしゅっしゅと振るっていた千潮くんは「あん? なんだよ真琴」とこちらに近づいてくる。
近づいてきた千潮くんにウィンドウを見せれば、千潮くんは不機嫌そうに舌打ちした。
「ちッ、じゃあ新井。お前が負けたらお前も運動部に入れよ。俺が負けたら逢糸と一緒にお前らのギルドに入ってやるから」
よしよし、と俺がその場でクエストを作り直せば、おらよ、と千潮くんはクエストを即座に受けた。
「っしゃー! じゃあ、はじめっぞ。新井、ド素人相手に本気になって悪ぃが、こっちも部費の増額がかかってんでな」
この世界で元の世界に戻ったあとのことを語る千潮くんに口角が緩む。
――千潮阿月は、当たり前のように、元の世界に戻れると考えている。
(こいつ、こんな面白い奴だったのか)
そんな千潮くんは「新井! 来いよ!」とこっちに拳を向けてくる。
(つか、この勝負。バトルシステムの補助はないのか? それに、千潮くんはマジでなんもねーのか……警戒はしてたがな……)
不満そうな朝姫もそうだが、この状況を魔法で観測してるだろう華の援護や忠告がない。
千潮くんは一般人。正真正銘、ただのボクシング馬鹿だ。
運動部め。赤鐘相手に一般人をぶつけてくるのか? こっちの戦力を測るための捨て駒か?
それともこっちが決闘を受けると思ってなかったのか? 俺だって馬鹿じゃねぇんだ。俺たちが勝てると思ったら、普通に条件ぐらい追加するだろ。
(つまり、千潮くんレベルなら失っても惜しいと思っていないってことか……馬鹿にしやがって)
俺は運動部の幹部連中に内心でイラつきながら、朝姫の肩に手を置き、問いかけた。
「朝姫。いけるな?」
「とうッぜんッです!!」
「あ? 新井、その後輩ちゃんかよ? 刀? 剣道部かぁ? つか、髪なんか赤く染めやがって、俺みたいに坊主にしろ坊主に!」
相手は女の子だよー、という逢糸の言葉も聞かずに拳を構える千潮くん。
堂に入った仕草だ。千潮くんの試合は見たことがある。油断していない。誰が相手だろうときっちり仕留めにいくつもりらしい。
「へぇ、この人、赤鐘相手に余裕ですね? たかが拳闘家がボクに勝てると思ってるんですか?」
「は? 思ってるよ。つか赤鐘かよ。それならてめぇらのことは知ってる。剣術家ってやつだろ。だがな、赤鐘は真昼を見て知ってるし。つーか、この俺が女子に負けるとでも思ってんのかよ。俺はプロのライセンスも持ってんだぞ」
「真昼って、馬鹿ですかこの人。姉で赤鐘がわかるわけないじゃないですか」
「言ってろ。後輩の女子相手だ。殺しはしねーが、秒でボコって泣かせてやんぜ」
四凶獄刀を片手に持った朝姫が嘲笑を浮かべながらずんずんと千潮くんに向かって進み。
拳を構えた千潮くんは、朝姫の刀を全身で警戒しつつ歩を進めていく。
二人の距離が近づいていく。
「ちょ、ちょ、まだはじめ、って言ってな」
慌てた逢糸が「はじめ!!」と叫べば、二人はもう接触間近だ。
疾ッ、と朝姫の身体が沈み、だが刀も同時に動いている。龍が地より天に昇るがごとくの大げさな斬り上げ。
「はッ! 見え見え――」
千潮くんがその刀を躱そうと身体を傾け「――だ――」超速で朝姫の腕が動き、千潮くんの脇腹に四凶獄刀の柄が叩きつけられ「――ぐぇッ、ちぃッ――」それでも千潮くんの拳が朝姫に向けて放たれる。
手加減なしの千潮くんの拳。朝姫が受ければ簡単に吹き飛ばされてもおかしくない威力の攻撃。だが、それは当たることはない。
――千潮阿月の首から血が噴き出した。
困惑と恐怖に顔が染まる千潮くん。首に手を当て、血を抑えようとしているも、血は止まることなく流れ落ちていく。
ガクガクと震え、崩れ落ちるボクシング部のエースに対して、朝姫は血を浴びないように距離を取りながら、馬鹿にするような視線を向けた。
「本当に弱いですね。姉の真昼の剣だってもっとマシだったような?」
んん、と首を傾げた朝姫は「すみません。ボク、弱い人の剣は覚えてないんですよね」と申し訳なさそうに言った。
(こんなだから毒を盛られたんだよなこいつ……)
悪気がないあたりが最悪だった。赤鐘朝姫という少女は、弱い奴の気持ちなんか欠片も理解できない怪物なのだ。
だが、それでも。
「あ、センパイ! 勝ちましたよ! いぇーい!」
朝姫が走ってきて両手を向けてくるのに合わせて俺も「ひゅー! いぇーい!」と両手を合わせてやる。
小さな、だが力強い手の感触。俺の剣。魔剣だ。便利で可愛らしい、少女の形の暴力だ。
「あ、あっくん!!」
そんな俺たちを全く見ず、逢糸が倒れて消えていく千潮くんに手を伸ばし。
「なんで負けちゃうのーーーー!! わ、私、元の世界に帰ってからお父さんになんて言えばいいのよぉおおお!!」
神園に敵対してる俺の仲間になったからめでたく無職だなお前らの親父。ふふ。ははは。
「ぶははははははは! あッははははははッッ!!」
指さして嗤ったら、逢糸に怒鳴られた。それがおかしくて、めちゃくちゃ笑えた。
『クエスト報酬を処理しました。【逢糸真琴】【千潮阿月】がギルド【世界を救う同好会】に加入します』