005 交渉の結末
「ふふ、おっとっと、間違えた」
もはや俺と生徒会メンバーがいるだけの大天幕の中、生徒会長は悲しそうな顔で言う。
「新井くん、神園華は僕の家族なんだ。姉を返してほしい」
「……本人に言え。俺は強制してない」
「800億円なんだよね」
何の話だ? と生徒会長へ視線を向ければ、真面目な顔をして、会長は俺へと言う。
「神園華の価格の話だよ。最新鋭の戦闘機よりは安いけれどね。やっぱりそのぐらいのお値段になるんだ」
もちろん個人が払うには高すぎる値段だから、もう売却が決まってるお客様にはいろいろと便宜を図ってもらって、もう少し現実的な値段に落としているけれどね、と付け加える会長。
「……人間に値段はつかねぇだろ」
「人間じゃないからね。神園の商品だよ」
「ちッ、あんた、華は姉じゃなかったのかよ?」
「ふふ、まぁ、そういうわけだから、新井くんが返してくれないならそれだけの金額を新井くんから徴収することになるんだ」
この男はまるで、高級車を売るセールスマンのように華を扱っていた。
以前一緒に飯を食ったこともあるというのに、そのときとは受ける印象が全く違う。
これが神園。神園か。聞いていた以上に度し難い。
「……俺は、華に手を出してない」
「うん。それは信じるよ。僕は自分の家の商品を信頼している。君が神園華とセックスしたなら、君は華に溺れ、『傀儡』となり、自ら考える脳を失っていた。だから君がこうやってここで僕と話しているならそれは君が神園華に手を出していないってことはね……。それでも、神園華の心を奪っただろう君は」
それじゃあもう商品としてはね、と神園次郎は言う。
「依頼主の前で君を殺して、華の様子で楽しませるという方法もあるけど。そもそも華が戻ってくるかが怪しいし、販売後のスペックも落ちそうだからねぇ」
「なんで華を見ていないのに、華の様子がわかるんだあんたは」
神園次郎、この男……。華からは神園家の家訓にて、もっとも『凡庸』な男が次期当主として選ばれたと聞いていた。
凡庸? 凡庸なのかこれが? これで俺と同じRレアリティなのか?
「わかるさ。神園の人形が神園の元に帰ってこないっていうのはそういうことだからね」
そういえば、と彼は言う。
「花守五島は始末したのかな? 彼が生存してたら意地でも戻ってきてるだろうから、そういうことなんだろうけれど」
「花守先輩は……」
口ごもる。どう説明すればいいのかわからなかった。華があの男の心を折ろうとしていたことは確かだ。だが止めを刺したのは大罪魔王だ。
「ああ、大罪かな?」
「何を知ってるんだあんたは!!」
思わず俺は立ち上がっていた。こいつ、状況に反して知りすぎている。
なんだ? エリア3で何が起こってる? なんでこいつは、これだけ知ってて、ここにこうやって居座っていやがるんだ?
「大罪を知っていて、特殊ステータスを知っていて、エピソードを知っていて、なんで、先に進まない。進めるだろう。アンタなら、アンタらなら、なぜ、なぜ立ち止まっていやがる?」
「そこはまぁ、いろいろとね。めんどくさい事情があるのさ。……だけど、華は大罪を取得できないし、しかしやっぱり君は大罪を取得しているのか。信じられないな」
マジマジとした様子で俺を見る生徒会長は、水の入ったグラスに口をつけ、唇を濡らす。
「大罪を持っているのに新井くんはどうやって意識を保っているんだい? こうやって話しているってことは君は正気なんだろう?」
「どうしてもこうしても――まさかてめぇ、他の大罪取得者には大罪耐性がないとでも言うつもりか!」
「耐性? へぇ、耐性! そんなものがあるのか!」
耐性を知らない? そんな馬鹿な……。
(何人だ? こっちで大罪を取得してる奴は何人いるんだ? レ、レイド戦はどうなる? お、俺が大罪取得者に耐性を取得させないといけないのか?)
どうやってだ? 『妬心怪鬼』を使って正気に戻して地道にか? だがそれでは朝姫はどうなる?
『ボクはまぁ、センパイのアイテムボックスにでも入れてもらえれば――』
黙ってろ!! 『はーい』クソッ!! 朝姫に当たっちまっ『そういうところ好きですよ』黙れ!!
「うん、興味深い話が聞けてよかった。でも、話を戻そうか」
唸る俺に、会長は「ココア」と、黙って隅に立っていた女生徒を呼んだ。
「さて、僕もいろいろと立場が大変でね。神園華を返してくれるなら、『遠井ココア』を新井くんに進呈しよう」
高待遇だろ? それだけ僕が追い詰められているってことさ、と神園次郎は薄気味悪く笑う。
名称【遠井ココア】 レアリティ【SR】
ジョブ【僧侶】 レベル【34/60】
HP【3320/3320】 ATK【2000】
リーダースキル:『熱狂コンサート』
効果 :パーティーメンバー全員を『絶好調』にする。
スキル1 :『ホットパレード2020』《クール:3ターン》
効果 :回復魔法使用時に味方全体に攻撃力上昇(小)を付与する。
スキル2 :『ガーネットピース』《クール:3ターン》
効果 :回復魔法使用時に味方全体にダメージ減少(小)を付与する。
スキル3 :『なし』
効果 :『なし』
必殺技 :『セーブマイハート』
効果 :味方全体に『不屈』状態を付与する。
※不屈――死亡した際に体力が1残る。
副会長の隣で、俺たちを遠巻きに見ていた書記にしてアイドルの遠井ココアに声を掛けた会長は、遠井に俺の前に立ってステータスを見せるように言った。
(俺よりかは断然優秀だな)
『ボクにも神園華にも劣りますけど、生徒会と手打ちにできてこれなら十分だと思いますよ』
会長は商品を紹介するように言う。
「どうだい? 華には劣るが、それなりに有能だろう?」
「……遠井、はそれでいいのか?」
テレビの画面の向こう側で魅力的に歌い、踊っていた美少女は、俺の質問に意味がわからないというように首を傾げた。
「え? それを決めるのは新井くんでしょ? なんで私に聞くのよ?」
言われ唸る。そうだ。なんで俺は聞いたんだ? ジューゴのマネでもしたかったのか?
「それとも、嫌って言ったら諦めるの? ふふ、そうじゃないでしょう? 私なんかどうでもいいでしょう?」
「遠井」
黙って天幕の傍に立っていた副会長の言葉に遠井ははぁい、と気怠そうに返すと「神園に逆らうか、逆らわないか、よ。新井くん」とだけ言って、それだけだった。黙ってしまう。まるで商品のように。
「突然すぎる……。考えさせてくれ」
呟きには、真面目な顔の会長が応えてくれた。
「いや、新井くん、ここで決断をしてくれ。理解してほしい。神園華を君に預けておくのは、それだけで商品損害のリスクを抱えることになるんだってことを」
「今更だろう? 華と俺が合流してから一ヶ月以上だぞ」
「道理の問題だよこれは」
「だいたい死ねば肉体は戻るんだ。そんなに処女が大事なら殺しちまえ」
その言葉に、会長は「やはり手を出してないのか」と笑いながら言う。
――戻らないよ、と。
「特殊ステータスとエピソードだよ新井くん。ステータスはそのままだけどね。特殊ステータスとエピソードが肉体の状態を更新する。神園華を君が抱けば、神園華には必ずエピソードが付く。それが神園華の状態を抱かれた後に固定する。だからダメなんだよ新井くん。けして君に預けておくわけにはいかないんだ」
商品を汚されれば最高の品をお客様に提供できなくなる、と会長は付け加えた。
肉体の状態を更新? 言われて理解する。俺たちの状態がそうだ。俺の筋肉。朝姫の赤髪。そういうことか。
「そこまで、調べたのか? そこまで把握していながら、ここにいるのか?」
「我々は抑えだからね。くだらない有象無象にトップの足を引っ張らせるわけにはいかない。……いかないつもり、ではあるんだが……。所詮は商家だからね。限界もある。それに、いろいろと他にも、君に言えないことがいくつかあるんだよ。家の問題でね。ごめんね」
申し訳なさそうに言う会長は、どうにも善人そうに見える。だが家の問題のためか、譲れないところもあるようだった。
(それが神園華か……)
結局は0か1かなんだ。返すか、返さないか。主従のエピソードが揺れる。この感覚は華にも伝わっているのか?
だから俺は、渋々と、どうしようもない気分だけで言った。
「華は返せない」
「そうか。残念だよ」
返答はそれだけだった。
そうして俺は、大天幕を後にした。
◇◆◇◆◇
新井忠次が大天幕を出ていく。それを座ったまま生徒会長たる神園次郎は見送っていた。
「帰してよかったんですか会長? 今からでも」
副会長である宵闇黒衣の言葉に、神園次郎は穏やかに首を振った。
「いいからいいから。手を出さないようにね」
「あの程度の男を拘束するぐらい私なら。それに風紀委員を使えば」
「どうかな。彼は大罪をコントロールしてるみたいだし、赤鐘もついている」
「赤鐘? 赤鐘朝姫ですか? ですが彼女は病気では?」
怪訝そうな副会長の視線に会長は、新井くんがどうにかしたから難度が上がったんだろう、とだけ言った。
「難度? ええっと?」
「パーティーメンバーとして使えるようにしたんだよ。赤鐘朝姫を戦力化して、難度が上がるような敵と戦った」
連れていったのはそのためだろう、という会長の言葉に唸る副会長。
「それよりも、なぜ新井くんはLRじゃないんだ?」
「レアリティ論ですか。あの、まだこだわってるんですか?」
副会長の呆れた言葉に、会長は大げさな身振りで両手を掲げてみせる。
「こだわる。こだわるよ。これはね、この世界の法則、根幹に触れるために重要な要素なんだよ。証拠もある。剣崎重吾、彼の周囲ばかりレアリティが高くなる。もちろん、性能は重要だ。美貌も、出身も、役職も、だがね、やはり剣崎重吾だ。彼と親しいほどレアリティは上がる。彼は勇者なんだよ?」
「まぁ、宵闇の上忍たる私がSRで、分家の当主候補にすぎない咲乃華音がSSRなのはちょっと、と思いますが」
それとも修行が足りなかったんですかね、と副会長が小さく呟くも会長は構わず言葉を続ける。
「だから、やっぱり新井くんは特別なんだよ。剣崎重吾の親友の彼が、Rレアリティのわけがないんだ。だからきっと彼はレアリティを大幅に下げる何かを持っている。それが気になる」
「ステータスに記載されない何か。会長のように、ですか?」
うん、と静かに椅子に座り直した神園次郎は、この場にいない誰かに告げるように、言ってみせる。
「そう、僕が神園基準で『凡庸』であることを心掛けているようにね。……それと、新井くんを拘束しないのは他にも理由がある。彼にはこのまま難度を上げてほしかったりもするんだ僕は」
「彼のルートが正解かもしれないからですか?」
「保険さ。大罪の問題もあるしね。新井くんのルートは僕らには手を出せないルートかもしれない。……それに、僕は彼のことが嫌いじゃない」
「全く、この人は……」
「彼はそう思ってなくても新井くんは僕の貴重な友人だからね。ああ、でもある程度プレッシャーかけといてね。神園華は絶対に返してもらいたい」
なにしろ、返してもらえないと僕が破滅するからね、と会長は気楽な表情でそう言った。
◇◆◇◆◇
会長と副会長の会話をこっそりと聞いている者がいた。
神園華だ。
大天幕の傍、そこには風と土の隠蔽を自身に施すことで周囲から隠れ、交渉の様子を窺っていたのである。
新井忠次が生徒会に拘束された場合に対する保険でもあった。
(今の二人の会話、わざわざわたしに聞かせていましたね。念の為? それとも神園次郎はわたしが聞いていることに確信を持っていた?)
どうして? どうやって? 華は考え、すぐに結論に達する。
エリア3では大罪を用い、魔法を使って暴れた生徒がいた。
それに加え、エリア2で、忠次に対する悪評を掲示板に書き込んでいた生徒が連続して殺された。
神園次郎はこの二点から華が『魔法』を使えることを、加えて距離を離れても情報を取得でき、また攻撃が可能となったことを確信した。
(やはり、神園次郎は只者ではない。神園が二次大戦での行いから当主に凡庸さを求めるようになったとしても、その凡庸の基準が高い)
華が次郎を目視して確認できた隠しステータスからもそれは理解できる。
あの男の推察は正解だ。神園次郎は『凡庸』という、低レアリティに自身を固定するスキルを持っている。
驚くべき人間だ。隠しステータスの存在に確信を持っていなくともその事実に気づけていた。
ゆえにけして油断してはならない男だった。レアリティと本人の性能が大きく乖離しているのだ。
そんな男が忠次を泳がせる意味を華は考える。
(今はまだプレッシャーを与える程度に留めるとの指示も、本気で忠次様を攻撃せず、忠次様の進むルートを残しておきたいから、ですか)
商人特有のいやらしい手だ。自らが表舞台に上がらず、利益を掠め取ろうとしている。
(それでも、最後にはわたしを確保するためにどこかで忠次様を攻撃してくるはずですが……)
華は風紀委員会の動静が気になった。
神園の人形で構成された集団だ。学園の治安を維持する彼らが今何をやっているのか。どうして今動かそうとしないのか。
華は目を閉じ、小さく呟く。
「剣崎重吾……やはりあの男を排除しないことには忠次様の……だけど排除しては忠次様の目的が……」
隠しステータスを閲覧できるようになって華はこの世界の真相に触れた。
天使が隠している真実の断片を知ってしまった。
だからこそ、悩ましい。
全ての事実を忠次に告げることはできない。
それではきっと、何もかもが破綻してしまう。
勝利したとしても、忠次の目的は果たせなくなる。