025 鉄を鍛える
「健啖、だな」
朝姫の魔剣エピソード取得後のことだ。
騒ぎがやっと収まったので、シャワーを浴びて寝汗を落としてから朝食を食べに食堂に来れば、先にテーブルについていた朝姫がモリモリと肉を食っていた。
まだ数の少ない狂王希少肉や饕餮希少肉のステーキだ。華が次々と焼くそれを、付け合せの饕餮草と朱雀草と一緒に朝姫は食べていく。
「神園華、ボクじゃがいもが欲しいんだけど。ステーキにはじゃがいもついてないとダメでしょ」
「いらないならもう焼いてあげませんよ?」
「うそうそ! 美味しい美味しい! もっとちょーだい!」
仕方なしとため息をついた華が朝姫のテーブルに追加のステーキとパンを置く。
「朝からステーキ……つか、パンなんて作れたのか……」
それもショップで購入できるコッペパンではなく、焼き立てのパンのようだ。
傍には見覚えのないバターの塊まで置いてある。
「ベーキングパウダーやイースト菌やらオーブンやらがギルドハウスの厨房にありましたから、設備と道具さえあれば簡単でしたよ」
簡単……そうなんだろうか? 設備があろうが俺にパンは作れない。
「バターまであるが……」
「ええ、狂王乳で作りました。わたし、花嫁修業もしてますので材料があればたいていのものは作れますよ」
「え? 奴隷修行の間違いじゃないの?」
「花! 嫁! です!!」
「朝っぱらから喧嘩するなよなお前ら」
「はーい!」
「あの、忠次様。わたしたちは戯れていただけです。けして喧嘩など「華ー、めしー」……はい」
心なしかしょんぼり気味の華が、リクエストはありますか、と問うてくる。
「あー、ステーキはいいから、適当に軽いもの出してくれ。軽くだぞ?」
さすがに朝から肉の塊を食べる元気はない。頷いた華が調理スペースに引っ込んだので俺は眼の前でもりもりとステーキを食べている朝姫へ先程から思っていたことを問いかけた。
「なぁ、そんなに食べて死なないのか?」
「え? だって結局病気じゃなかったんでしょボクって」
けらけら笑いながら朝姫が少しだけ肉のついている腕をパンパンと叩いてみせる。
「だからいっぱい食べて、運動して、すぐに筋肉つけて、センパイの役に立てるようになってみせますから!!」
「お、おう」
「神園華ー! おかわりー!」
狂王乳をピッチャーでがぶがぶと飲みつつ、赤鐘朝姫は朝から元気そうであった。
◇◆◇◆◇
さて、食事を終えればやることは決まっている。
「ランニングするぞー!」
ギルドハウスのトレーニング室にあったジャージを着た朝姫と華が、おー、と片手を突き上げて意気を示してくる。
このエリアは少し涼しい気温のエリアだ。涼やかな風も吹いており過ごしやすいといえば過ごしやすい。
そんな中で華は、下はハーフパンツ(素足が眩しい。言ってはやらないが)、上は長袖、鉢巻をしている。
赤鐘後輩は長袖の上下だ。動けるようにはなっているが、肉がついていないせいか少し寒いらしい。
「んじゃ、今日はジョブの解放を目指すぞ」
で、俺も当然ジャージだ。運動するならやっぱジャージだよな。
でだ、このジャージというアイテム、着てもジョブは変わらないアイテムである。
ゲームで言うところの、衣装アイテムみたいなもんか。
装備箇所は装飾品枠で、特殊能力はない。
ジャージであることが能力ではあるかもしれないが、システム的な効果は何一つない。ステータス補正もだ。
とはいえ、やはり運動と言えばジャージだし、これでトナカイ着ぐるみみたいな奴が出ても普通にランニングできると思えば結構嬉しいアイテムなのだ。
(食堂の食材しかり、トレーニング室のジャージしかり、ギルドハウスはマジで作ってよかったな)
風がそよそよと吹く饕餮牧場の戦闘エリアを移動しながら、少しだけ周りを見た。
饕餮牧場に放置した花守先輩の姿はない。
(隠れているのか?)
「いませんよ。恐らく戦闘エリアに退避しているのでしょう」
俺の視線から誰を探しているのか気づいたのか華が囁きかけてくる。
「そうか、元のエリアに戻した方がいいか?」
花守先輩が望めばいつでもできるが、華はお好きに、と言った。
「閉じ込めるも解放するも忠次様のお好きなように。ただ」
「ただ?」
「あまり彼を舐めない方がいいかと」
華の評価が高い。いや、華が他人を評価するのは初めてだ(朝姫に関しては前の状態では正しい評価もなにもないからな)。
「危険なのか?」
「念入りに心を折ったはずですが、もう復帰して動けるようになっています。それに、あれだけのことをして特殊ステータスもエピソードも発生しませんでした。わたしの責めでは彼が過去に受けた対拷問訓練を超えられなかった」
「……つまり、ええと?」
「何かを画策するかもしれない。警戒した方がいいかもしれません。もっともわたしがいる以上、あの男に何ができるわけでもありませんが」
「そう、か。わかった。注意しとこう」
一番良いのは、和解することだ。
花守先輩を味方につけて、最後のパーティー枠に入れること。
(味方につける、か)
そもそも敵なんだろうか彼は? 俺は華と彼の確執を知らない。
だから懐柔は安易に決められることではないし、そもそもあそこまで華がやった後だ。簡単に和解ができるとは思わない。
俺の傲慢の問題もある。俺と花守先輩の相性が悪い場合は、残念ながら和解が成立してもパーティーには長く居続けられないだろう。
(簡単なのは関わりを避けて難度を上げてしまうことだな……)
彼を放置し大罪魔王を殺し続ける。それだけで花守先輩はエリア2のステージ1の敵さえもいずれ倒せなくなる。出られなくなる。何もできなくなる。
そもそも彼がまだここにとどまっているのはここのボスを倒せないからだ。華並のステータスを持ったフレンドがいないからだ。
だから難度さえ上げてしまえば花守先輩の問題は消失する。難度1になっただけで出現モンスターのHPは2倍になった。次にまた難度が上がれば花守先輩ではステージ1の道中雑魚さえ殺せなくなる。このエリアからは絶対に出られなくなる。
俺は息を吐いた。傲慢が嘲笑っている。苦境に置かれる先輩へ同情を持てなかった。ただ優位に立っているという暗い喜びだけがあった。小胆が諌めるのを自覚する。悪趣味だという自覚もあった。
――栞の泣き顔が浮かぶも、幼い頃の栞の顔はぼんやりとしている。
傲慢のせいだろう。きっと。
「とりあえずだ。花守先輩に関する優先度は低い。放置する。で、今はランニング。それをやる。予定だからな。行くぞ」
はい、と華が頷いた。俺に向けて手を差し出してくる。たまには機嫌をとってやるかと手をとって、歩き出そうとすれば。
「センパイセンパーイ! 早く! はーやーくー!」
戦闘エリアへの侵入口で朝姫が動かない俺たちに向けて大きく手を振っていた。
◇◆◇◆◇
マニュアル攻撃のコツを教えずとも掴んだのか、それともこの数日のランニングで覚えたのか、戦闘が始まるや否や、朝姫が踏み込みと共に敵である小饕餮へと自分の足で走り出した。
「疾ッ!!」
朝姫が饕餮刀を振るう。
大きくではない。なんというか、俺にはどうやってもできなさそうな振り方だ。
「なん、だあれ……?」
敵モンスター『小饕餮』の首筋へ、朝姫の突き出した饕餮刀の切っ先が奇妙な揺れ方で接触する。一瞬のことだった。大きく血が噴き出す。朝姫は、小饕餮の血管を剣先で弾くように斬り飛ばしていた。
「って、あー! まだ! まだやるの!! ちょ、待ッ!!」
朝姫が叫んでいた。
連続攻撃でもしようとしていたのか、剣先を手首で回転させていた朝姫の身体が一瞬の硬直を見せ、自動攻撃の手順で超人のように跳ねて戻ってくる。
「まだできたのに! ボクの剣技の冴えって奴をセンパイに見せるとこだったのに!!」
前衛に立つ俺の隣に戻ってきた朝姫が地団駄を踏みつつ、不満そうに文句を言う。
その身体に肉は未だ付ききっていない、衰えたままだ。
だというのに。
――もはや赤鐘朝姫の肉体は昨日のような死にかけのものではなかった。
精気に満ち溢れた、黄金の輝きを持つ、武才の塊のような少女になっていた。
目を朝姫から敵集団に戻せば、小饕餮は先の剣先だけの一撃で死亡している。
うっすらと残るエフェクトが先の一撃にクリティカルが発生したことを示していた。
(強い。強い、な。これがSSRか)
俺の棒振りのような剣術もどきとは違う、特別な才能のあるものの動きだった。
「センパイ! 次はうまくやってみせますよ!」
俺は、頼むぜ、と言いながらも、卑屈な笑みを見せていないか不安を覚えた。
さて、なぜこんなことをしているのか。
ランニングをする予定だった。だが、こうして今は朝姫に付き合っている。
特殊ステータスやエピソードの話を朝姫にしたのだ。
概要は教えたが、鍛錬に関する詳しい事情は教えていなかった。だから走る前にしてやったら、行動順を変えて欲しいと朝姫が言い出したので、戦闘をやらせてみたのだ。
朝姫は強かった。
今出たダメージの数値は2万に達している。必殺技は使っていない。ただの通常攻撃だ。そのうえ、俺も補助をしていない。だというのに、ここまで出せるのか。
レアリティの差を実感する。
朝姫の素のATKはSSR戦士レベルマックスの4400だ。
それにエピソード3【人造魔剣】によるATK+1600、武器のATK、朝食べた狂王牛のステーキのATK補正、朝姫用に作成したレベルマックスの朱雀王金冠のATK補正。そのうえで、朝姫の持つスキル『剣術の心得』のATK上昇(大)に『闘争本能【死】』のATK上昇(大)がかかる。
これだけあっても現状のできうる限りの全力ではない。それでも、2万ダメージ出ていた。
昨日まで俺が背負わなければ移動することさえできなかった下級生が、動けるようになって一日で俺を超えていた。
(つらい、な……)
レアリティの暴力というには、心に与える影響が強すぎた。
「センパイ?」
「あ、ああ。なんだ?」
俺に向けてにこーっと笑いかけてくる朝姫。
「撫でてください。褒めてください。センパイの剣が初めての仕事をしました。だから、褒めてください」
ぎゅーっと抱きついてくる朝姫の頭を言われるままに撫でる。だが、俺の中には醜い嫉妬が蠢いている。
『妬心怪鬼』の調子がよくなっている。
――よくなる?
「そうか、これが、力か……」
「はい。センパイの力ですよ。ボクが、ボク自身がセンパイの力なんです」
よしよしと力を込めて撫でれば「あうあう」と目を回す朝姫。
だが俺は腹の内に向けて嗤っていた。目から鱗の気分だ。嫉妬が強まり、エンヴィーラの力が増した。
そう、増したのだ。
これは以前とは違う。
身体の内に蓄えていた嫉妬の方向性を傲慢で螺旋曲げ力にした瞬間とはまた違う感触。
この、俺の中にある醜い嫉妬が力を増した瞬間を、俺の力が増した感触を、初めて自覚できた瞬間だった。
ああ、そうだ。朝姫のおかげで、俺はまだまだいけるという確信が持てた。人の感情に限界はない。まだまだだ。まだまだ力を得る方法はある。
俺の傲慢が嘲笑っていた。俺を嘲笑っていた。朝姫を嘲笑っていた。それもまた心地よかった。
「ありがとう。朝姫」
「いえいえー。さーて! もっとやっちゃいますよ! ボクにお任せです!!」
「終わってますよ。とっくに」
振り返れば朝姫を撫でる俺を冷たい目で華が見ていた。戦闘は終了していた。残っていた小饕餮は残らず消滅していた。
ドロップアイテムやゴールドを取得した表示が現れる。
「忠次様」
ん、と華が頭を突き出してくる。
(華お前、頭を撫でる、なんてそんないいもんでもないだろ別に)
そう考える俺の思考すらもわかっているのか。んー、と華が頭をぐりぐりと俺に突き出してくる。
俺は、ため息が出そうになるのを抑え、はいはい、と華の手触りの良い髪に触れるのだった。




