012 血の鉄 血の剣 血の伝承
赤鐘家には伝承がある。
それは始祖が仙境にて神仙より授かったとされる予言だ。
赤鐘朝姫が生まれてより、耳にタコができるほど聞かされた古の言葉だ。
くだらないただの約定だ。
鉄の一族よ、主を求めよ。
赤鐘とは赤鉄であり、緋緋色金である。
赤鐘は人にして人に非ず。
いつか現れる尊き御方の為に連綿と研ぎ継ぐ血の刃である。
鉄にして、鍛冶師にして、剣士の一族よ。その心血を用いて魔剣と成れ。
汝らはただ主が為に敵を斬るがせいぜいの人斬りの道具。
しかし、それでよいのだ。
殺せ。
主の為に殺せ。
敵を殺せ。あらゆる外敵を排除せよ。主を護れ。汝ら、ただの剣であれ。
それこそが、赤鐘の血の宿痾なのだから。
◇◆◇◆◇
「よしよし。よくやった。よくついてこれた」
主人が少女の頭を撫でた。それを彼女はなんとなく受け入れる。
感慨はない。歓喜もない。新井忠次と赤鐘朝姫は通じ合っていない。
――使ってもらえるなら誰でもよかった。
(ボクは、折れ砕けた刀だから……)
見よ、この腕を。筋は衰え匙一本持つことはできない。
見よ、この骨を。もはや中身は空洞。触れば砕ける脆き骨。
見よ、この身体を。骨と皮だけの肉体。体力など砂粒一つもなく、一歩歩くだけで血反吐を吐く。
この肉のなさでは女としても使えまい。本当に、この身体でいったい何ができる? 何を為せる?
(何もできやしない)
一年だ。たった一年でこれほどまでに衰えた。赤鐘家始まって以来の剣才と謳われ、卸先まで決まっていた我が肉体がたかが病魔にここまで破壊された。
「よし、レベルアップだ。レベルアップ。できるな? 覚えたな?」
雪のしんしんと降るバトルエリアから帰還していた。最後に巨大なクリスマスツリーを忠次は炎を纏った剣で破壊していたが、戦闘エリア自体、エリア1脱出のために1回しか侵入したことのなかった朝姫にはここの存在がどれだけ異常な発見なのか理解できていない。
いや、実のところどうでもよかったのだ。忠次はこんな自分でも使ってくれるというから従っている。
朝姫にとって、ついていく理由など、それだけで十分だった。
レベルアップのために指を動かそうとして、躊躇した。腕が重い。先の寒さが応えたのか。血を吐く予兆があった。
「けほ……先輩がやってください」
血を吐きながら求めれば、一瞬だけ不満げな顔をする新井忠次。
朝姫は思う。しょうがないでしょ、と。こちとら腕を動かすだけでHPがすり減るのである。最初は新井忠次に捨てられないようにと血反吐を吐きながら頑張ってみたものの。その度にHPが多量に削れて死にかける。普通に苦しいし、きついし、しんどい。
――もう死にたい。死にたくないけれど。
(死んでも意味はないし。むしろ……)
死んだり、死にかけると逆に迷惑がかかるのだ。
(……ボクが文字通りのポンコツだとしても、そういうのは少し以上に嫌なものがある)
死ぬのは嫌だが役立たず扱いされるのはもっと嫌だ。これ以上、無能扱いされたくない。こうして新井忠次についてきたのはその為だ。なんとかしてくれるというからついてきたのだ。
――こんな身体でも使ってくれるなら、誰でもよかったのだ。
たとえ性の道具にさえ使えないオンボロの身体だとしても。求めてくれるのならば応えたかった。あの平原でゴミどもに囲まれ寝ているより億倍マシだった。
(ああ、ボクの身体が、臓腑まで爛れていても、折れて砕けてしまっていても、求めてくれるのなら……うぅ、なんでこんな……こんなところでまでボクは……主人なんか求めるんだろう……)
理解はしている。それが赤鐘だ。赤鐘の血の宿痾だった。病的なまでの従者病なのだ、赤鐘は。
死にかけていても、他人に仕えたくなる病なのだ。赤鐘朝姫は捨てられたくないのだ。
それにだ。遠慮する意味は実のところない。この主人。こちらが動けないとなると勝手にすべてをやってくれる。不満が浮かんでいたのも一瞬だ。既に労るようにして朝姫の指を握ってステータスを操作している。
不満だって、朝姫がじっと忠次の顔を見ていたから気づけたものであって、そのような表情が浮かばないよう忠次が努力しているのも評価できる。
まだまだ好意は持てていないが、ここまで面倒な朝姫を捨てないでいてくれるだけで、その素振りすら見せようとしないだけで信頼することはできる。
――スキンシップが多いのは勘弁してほしいが。
頭を撫でられようと、未だ忠次に何の貢献もしていない身分ではただただ忠次を煩わせているだけだ。何の達成感もない。
(レベルを上げれば死ににくくなる……か。本当なのかな?)
だからどうしたという話だが。死ににくくなったところでこの死にかけた身体がどうにかなるわけではない。未だ死病に冒された身体。忠次はそれが思い込みであると言っているが、死病の特殊ステータスが停止してもこうして朝姫の身体は使い物になっていない。
そもそも朝姫は忠次の言う死ににくくなるというのもよくわかってはいないのだが……。
(それで病魔が消えるわけでもあるまいし)
健康だと言われても歩くだけで血を吐く身体なのだ。移動だけで死にかねない身体なのだ。そんな戯言、信じる気にはなれなかった。
それでも……。
それでも……。
嗚呼、と自身のレベルが跳ね上がり、HPの上限が上がっていくのを見ながら朝姫は肉のない腕を見た。
そうだ。もはやこの身体は朽ち果てている。だが、また刀が振れるのならば、肉を斬り刻めるのならば……。
よしよしと頭を撫でてくる、赤鐘の主人には相応しくない、全くカリスマのない新井忠次に仕えてやってもいい。心底からだ。主を求めながらも、優秀な主にしか仕えたくない赤鐘の本能に抗ってでも。この才のない男に。ただただ傲慢なだけの男に。
だから、喉から血が吹き出るのを我慢しながら、囁いてやるのだ。
「先輩、汗が気持ち悪いです。いえ、先輩ではなく。ボクです。ボクの身体を拭いてください」
汗の不快感で死にかねないので、と心の底から言う。
忠次はほんの少しの動揺をしたものの、何の躊躇もなく、服を脱がせにかかってくる。
仮初めの主人よ。我が痩身を磨け。我が肉を鍛えよ。折れ砕けた心を継ぎ直せ。
それができればお前の刀になってやろう。魔剣となってやろう。人生のすべてを使ってお前に仕えてやろう。
朝姫は、服を脱がせたものの、お湯がないことに気づいて慌ててお湯を沸かし始める段取りの悪い男に、心の中だけで要求した。
(だから、だからお願いします。先輩。ボクを直してください。ボクを立たせてください。ボクに刀を握らせてください)
そうすれば全部、全部、なんだって斬り殺してみせるから……。先輩の敵を、全て。全部全部。誰一人。余すことなく。
――ボクが殺してみせるから……。