011 東郷浩之は胃が痛い
『エリア3:【朽ち果てた村】』での出来事だ。
ぶぴぃ、と腹のでっぷり出た肥満体型の少年が、滅びた小さな村の片隅で悲鳴を上げた。
「ぼ、ぼくは悪くない! ぼくは悪くない!!」
「そうだね。悪くない」
東郷浩之、新井忠次の幼馴染たる、剣崎重吾の親友を自称する男は小さくため息をついた。
(魔王殺し、スキル枠を一つ潰す無駄スキルだと思ってたが、こんな効果があるなんてな……)
剣崎重吾のジョブ、『勇者』のスキルには奇妙なスキルがあった。
――『魔王殺し【審判者】』
これは今まで、通常の戦闘では使えないと思われていた謎のスキルだった。
リーダースキル、必殺技、そしてこの魔王殺しを除く残る2つのスキル。その全てが他と一線を画す超強力なステータスを持っていた剣崎重吾の『勇者』だったが、このスキルだけはずっと効果が不明で、東郷はそれをネタに重吾をからかったりもしたことがある。
今まではそういうスキルだった。
これからは違うのだろう。
『魔王殺し【審判者】』、効果はたった一文だ。『対象が持つ大罪を封印する』。
大罪を持つモンスターは今まで存在しなかった。武器も、アイテムも、何もわからなかった。だが、こうして4人の前に、大罪を持った敵対者がいた。
――それは人間だった。学友だった。いじめられていた哀れな少年だった。
彼は杖を持っている。魔法使いだ。いじめられて、その結果憎悪型のエピソードを発生させていた。
怒りに我を忘れ、一ヶ月ほどエリア3やエリア4などで生徒の虐殺を行っていた。
今は重吾が封印しているが、戦闘エリア以外で魔法を使うという奇妙なことをやっていた。
(ジューゴが封印した大罪ってのが使わせていたのか?)
今は使えていない。ジューゴが魔王殺しを発動したことで使えなくなっていた。
「あああああ! なんで! なんで使えない! なんで使えないんだよぉ!!」
少年は、怒りで我を忘れていた時のことは薄っすらとしか記憶にないようだ。
それでも魔法を使えていた記憶を忘れてはいないのか、杖を無様に振っては魔法が出ないことに絶望している。
魔法を使うには、異界の知識を得て、魔力を扱う術を知ることが条件だ。
ただし、この世界の根幹の1つである異界の知識に触れる、ということは正気を捨て去ることでもあるが……。
「うんうん。もっと頑張ろう。できる。できるよ。君なら」
無責任にジューゴは少年を煽っている。興味のない口調。興味のない視線。しかし口角だけが歪に釣り上がっている。何かを期待しているのだ。叶うかどうかもわからない他者に対する期待。悪癖がまた出ていると東郷は思った。
(無理だぜジューゴ。そいつはもうただ暴れるだけのガキだ)
彼らは何が起こったのかよく理解していないが、魔法を封印したのは、勇者の魔王殺しだった。
大罪スキルが発生させるスキルの内容は個々人によって違うが、『大罪【憤怒】』の多くは正気を喪失させる権能を持つ。
思考能力を喪失させ、周囲の人間を殺傷するようになるなど、デメリットの多い正気の喪失だが、こと対象を選ばない攻撃を行う際には、それがプラスに働くのだ。
彼のジョブは魔法使いだった。故に、憤怒の権能によって魔法を使えるようになっていたのだが、これに気づく者はこの場にはいなかった。
(しかし、だいぶ時間を食ったな……)
東郷は言葉で少年を嬲るジューゴを視界から外しつつ、この少年を追い詰めるまでの経緯を思い出した。
実のところ、追跡に手間はかからなかった。依頼を受諾すれば一週間で追い詰められる程度のことだった。
一週間でも時間が掛かっているように思えるが、それはエリア移動に時間がかかるからだ。エリアとエリアを移動するには1日の間を置かなければならない。だから一気にエリア6から3まで戻ることができなかった。また、この少年は勇者の気配を察知しては逃げ回り、毎回毎回すんでのところで入れ違いになるので、ここ数日はいらいらするばかりだった(ちなみに今回は2パーティーで来ているが、ジューゴのいないパーティーでは少年に殺されるだけだった)。
討伐に一ヶ月掛かった理由は別だ。
(ああ、畜生、新井め。なんでいねぇんだ……)
御衣木栞と咲乃華音の争いが原因だ。同一パーティーに組み込むことのできなくなった彼らは置いていかれることを酷く嫌がり、結果として、エリア6に足止めを食らうことになった。
勇者たるジューゴに栞を加えれば2人はエリア5に進める。しかし、それに華音が反対した。華音はジューゴと組みたがった。そうなると回復役たる栞を入れられない。フレンドに僧侶はいるが、栞ほど優秀な僧侶は現状存在しない。
――戻るにも、戦闘が発生する。
華音はもはや戦闘で欠かすことのできないほどに優秀な盗賊職だが、それにしたって優秀な回復役がいなければボス戦はさすがに勝てない。
そして、東郷と栞とフレンドのジューゴならばエリア5を突破できる。ジューゴと華音とフレンド東郷では足りない。回復アイテムをばらまいても少し足りない(栞をフレンドで使うことはできない。エピソードが発生している華音と栞は、フレンドであっても一緒にパーティーを組むことができなくなっている)。
足りないなら集めればいい、という結論にはすぐに到達した。
だが、誰が仲間になってくれるのか、という問題があった。
エリア6まで進めるほどにステータスを鍛えたフリーの人材など現状存在しない。ジューゴは人たらしの才能のある優秀な男だが、それだって、こういった状況でエリア3まで人材を貸し出してくれるパーティーは存在しない。なぜなら人を貸せばそのパーティーが今度はエリア6に閉じ込められることになりかねないからだ。
だから掲示板で募集をした。結果として、人を集めるのには3週間かかった。
「うんうん。やっぱいいよねー。ジューゴくん。これは合格だな~~」
東郷の隣に、その募集を受けた女生徒がいた。傭兵紛いのことをしている生徒を雇ってエリア5まで来て、エリア6にいたジューゴと栞が迎えに行った生徒。
東郷たちと同じ学年の少女。
――赤鐘真昼。
『SR』『戦士』。レアリティは東郷たちからすれば一つ落ちるが、レベルをかなり上げており、栞に劣る僧侶を用いて、ジューゴと華音がエリア5を突破できたのはこの少女が加わってくれたおかげだった。
しかし問題があった。この少女は新井忠次が誘拐した赤鐘朝姫の姉だった。
(くそ、何やってんだよ新井……)
新井忠次が赤鐘朝姫を誘拐したのはつい先日の話だが、それを掲示板で知った東郷は最近しくしくと痛むようになった胃に、更にクリティカルをぶちこまれた気分になっていた。
もはや忠次を東郷が迎えに行くどころじゃないのだ。妹を誘拐した男のところに姉を連れていくなど正気の沙汰ではなかった。
東郷はなんとしても新井忠次を確保したいだけで、別に喧嘩がしたいわけじゃないのだ。
このクソみたいな状況をどうにかして治めたいだけなのだ。
発生した御衣木栞のエピソードをなんとか新井忠次に消してほしかったのだ。
(このエリア移動で理解した。こりゃもう、攻略どころじゃねぇぞ……)
御衣木栞も咲乃華音も性格に問題はあるが、一線級の人材だった。このイカれた世界から一秒でも早く元の世界に戻りたい東郷からしてみたらこの2人を組み込んで戦えないのは戦い以前の問題だった。新井忠次を置いてきたのも御衣木栞を口説くという目的もあったが、レアリティの高い仲間で固めて攻略速度を上げ、さっさとこの世界から脱出するという目的があったからだ。
それが、根底から覆されている。
(赤鐘と離れるって選択肢もない)
そもそも2人はジューゴから離れたがらない。ジューゴが戦うには2人を連れて移動する必要がある。
だが、エリア5以降は栞を組み込めないパーティーでは突破できない。ジューゴがいても、回復が足りない。その程度にはボスが強い。
対応するには手数が必要だ。だから赤鐘真昼とは離れられなかった。
(難度とやらがあがっちまったのも原因だな……)
敵が強くなっている。一応、同時に解放されたギルドとやらも開設したが各種施設のレベル上げには莫大なゴールドが必要だった。現状、上昇した難度にギルド施設の補正で対応するにはゴールドが足りなさすぎる。
(稼ぎが必要だ。ゴールド稼ぎ専門のパーティーが欲しい。それに加えて華音や栞の代わりになる高レアリティの人材も)
人材と考えて東郷は嫌な気分になった。東郷の伝手はサッカー部にあるが、あまり頭を下げたくない。東郷が格下だと思っている連中に頭を下げるのは屈辱だからだ。
加えて、話もせずにジューゴと組んで勝手にエリアを進んでいったから、恨まれている恐れがある。
(新井がいればな……)
仲介は新井忠次の仕事だった。説得力をジューゴに依存するが、新井忠次の顔は広い。
(新井新井新井新井新井。あいつ、結構優秀だったんだな……)
東郷はなんだかんだと新井忠次を見直していた、自分とジューゴさえいれば勝手に人は集まると思っていたが、そんなことはない。
元の世界ならば光に吸い寄せられる蛾のような有象無象はそこらじゅうにいるので問題はないが、こうして人数が限られ、それらも派閥で凝り固まってしまっていると交渉が必要になってくる。
(もちろん俺に新井と同じことができねぇとは言わねぇ)
だが正直、そこまでする気力が出ない。もちろん必要とあればできるが、そこまで追い詰められている気もしない。生来の能力の高さが、まだなんとかなると高をくくらせていた。
だいたいこのクソみたいなパーティーに所属しながらそれを行う気力が湧いてこないのだ。自分が逃げ出したいぐらいなのだ。
しかし、ここまで時間が経ち、勢力の固まっている状況だと抜けた先での主導権の確保が難しいし、逃げたところでこの箱庭みたいな現状だ。
逃げる意味がそもそもないのだ。クリアするしかないのだ。
クリアを目指すなら一番強いジューゴの傍が最適だった……だったはずなのだ。
(そもそもよ、俺は華音から逃げ出すのが嫌だ)
あのクソアマをどうにかして叩きのめしたい。視界の端でジューゴに寄り添っている2人の少女を見ながら東郷は地面に向けて唾を吐く。
――とにかく、新井忠次が欲しい。
(あいつにこの状況をなんとかさせる)
だから、蘇生する度にジューゴに殺され続け、恐怖に心をつぶされ動けなくなった元殺人鬼のいじめられっ子を見て依頼の達成を確認した東郷は、エリア2にいるだろう忠次を回収しようという提案をするべく、話し合いの場を設けるのだった。
「うーん。お願いなんだけどさ。新井くんはほっといてほしいな」
フレポガチャから出てくる紐で、がんじがらめにされた少年を視線の届く範囲に転がしての話し合い。
東郷のあげた提案に、赤鐘真昼が真っ先に反対の声をあげた。
「どうして忠次を回収しちゃダメなんだい?」
騒ごうとした栞の口を塞いだジューゴの言葉に真昼はにこっと笑った。
「新井くんって評判悪いし、妹を攫ったならちゃんとぶっ壊してもらおうと思って」
その言葉を聞いて、東郷は何を言ってるんだと赤鐘真昼を見た。ジューゴですら目を丸くしていた。
栞が騒ぎ出す。華音はにこにこと笑顔になった。
「あはは、いいじゃん。あの馬鹿ならやるでしょ。あいつ、ほんと人の気持ちなんか理解できないクズだから」
「華音! お前がちゅうくんを馬鹿にするな!!」
「まぁまぁ、栞。忠次のことは俺が一番理解してるから。落ち着いて落ち着いて」
声を荒らげる栞を、全く苛立っていないジューゴが宥めている。いつもなら騒ぐに任せるくせにと東郷は珍しい気分でそれを眺めつつ、真昼に問う。
「赤鐘よー。どうして妹をぶっ壊したいんだ?」
これ以上の面倒は勘弁してくれよという気分であった。真昼は口角を釣り上げ、想像上の妹の破滅を願うような口調で、隠すことなく答えた。
「あいつのこと。ほんと嫌いなんで、私」
くだらない提案だった。
東郷たちはたった今、依頼を受けていじめられっ子の元殺人鬼の精神を再起不能なまでに粉砕したが、それは必要だったからだ。
東郷は常識人だ。こんな提案、頼まれたって受けたくなかった。
(つか、新井が必要なんだよ俺は)
だから、真昼の提案に対するジューゴの返答を聞いて、東郷は信じられない気持ちになった。それは傍らの栞も同じだっただろう。
「わかった。忠次はほっとこう。代わりにうちのギルドに入ってよ。真昼さん」
「ありがと。ふふ、ようやく私の使い手に相応しい人が見つかったかな?」
「つかいて……? ああ、いや、待て。待てよジューゴ。新井を放っておくって、ことか?」
「じゅ、じゅーくん?」
剣崎重吾は、にっこりと笑って言った。
「忠次が真昼さんの妹を壊すなんてありえないよ。俺は忠次を信頼してるからね」
――それは、何かを楽しみにしている顔だった。
(ああ、お前、本当にどっちでもいいのか……)
東郷は、気づいた。
剣崎重吾は、こんなクソみたいな提案に楽しみを見出していた。
新井忠次が赤鐘朝姫を壊そうが壊すまいが、剣崎重吾はどちらでもいいのだ。
ただ、新井忠次が彼らの予想を超える行動をする。それを剣崎重吾は楽しみにしていた。
(これはもう、マジで引き際なのか?)
サッカー部に頭を下げるのは、本当に嫌だ。
そんなことを思いながらも、抜ける機会が掴めない東郷は、エリア6に戻るべく移動を始めたパーティーについていくべきか迷いながら、とぼとぼと歩き始めるのだった。
――胃が、酷く痛みを発していた。