007 死に続ける少女
――人という生物は自由な意志を持つ。そんなものから忠誠を得ることの難しさを痛感しろ。
ランニングをするために『饕餮牧場』から『朱雀の養鶏場』に転移した俺は、まずは体力でもつけさせるかと『朱雀肉』の焼き肉や『無限の米』を炊いたものを赤鐘後輩に食わせた。
何故か嫌そうな顔をするも、素直に赤鐘後輩は鶏肉と米を口に運ぶ。
これらのアイテムを手に入れた経緯は聞かれなかった。
勿論こんなエリアの存在があるんだ。このエリアで手に入れたものだと考えれば聞く必要のないことかもしれない。
だが、それにしたってこの反応は素直すぎる。
疑念が湧いてくるものの、このエリアに連れてきてしまった以上、隠す必要はないのだ。
「あ、お、美味しい。で、でもセンパイ。ボ、ボク」
うん? と俺が問いかける前にこてんと赤鐘後輩が倒れた。口の端から鶏肉の欠片がぼろりと落ちた。目から光が失われていた。
俺は、呆然とその様を見ている。
慌てて振り返ればリスポーン地点でぜぇぜぇと息を吐いている赤鐘後輩がいた。歩こうとして盛大にコケ、血を吐く。そして死んで復活してぺたりと座り込んだ。
情けない顔をして俺を見ていた。えへへ、と自嘲を多めに含んだ顔で俺に向かってふやけた顔をする。
「は? 今、死んだか?」
「ええ、まぁ、固形物とか、その、久しぶりすぎて……。鶏肉ってかなり久しぶりかもしれません」
固形物食ってショック死、したのか。その後転んで死んでって、え、えぇぇぇ……。
「お、おい。そ、それじゃ今まで、何を食ってたんだお前?」
パン、食えるのか? 俺が疑問に思う前でパンと水を顕現する赤鐘後輩。
「このパンをこの水で思いっきりふやかしたもの、ですね」
それでもたまにふやかし具合が悪くて死んでましたが、と赤鐘後輩は付け加えた。
がしがしと頭を掻く。時間はあんまりないようなあるような。わかんねぇ。
難度の上昇がどれだけジューゴの足を止めてくれるかわからない。だが人材はこいつだけだ。他に勧誘する当てはない。少しだけ茂部沢たちを考え、内心で首を振った。
(Nレアリティこそ可能性の塊、なんてのは期待がすぎる……)
手間をかければ強くなるかもしれない。だけれどそれだって限界はある。そしてNレアは元が弱すぎるのだ。鍛え上げて鍛え上げて鍛え上げて、それでようやく素のSSRと同じ性能に至るかどうか。いや、茂部沢たちの様子を思い出して、もっと嫌な可能性を考える。
あいつらでは、そもそもそこまで至ることはできない。
そもそも大罪魔王との戦力に使う人材だ。レアリティを妥協することはできない。そして俺の勧誘能力では、赤鐘後輩以上の人材は有り得ない。これ以上の幸運はもうないだろう。
無論、この死にかけの病人に自らを鍛え上げる力など欠片もなく。ただ顔だけという可能性もあるが、これだけ弱っていてSSRというのが解せなかった。
(華という化物を思い出せ)
そうだ。俺の想像を超える化物は存在する。この赤鐘後輩が、死病という特殊ステータスが発生するほどの病弱さをもってしてもSSRという評価を与えられる真正の化物である可能性がある。
(賭けだな。ここで死に続ける可能性もあるわけだから……)
それでも、だからこそ、だ。戦力化を急ぐわけにはいかない。焦って嫌悪エピソードが発生したら全てが無意味になる。
そんな俺に気づいているのかいないのか。赤鐘後輩はにへらと笑ってみせた。
「ま、ま。大丈夫です。大丈夫です。食べます。食べますから。センパイ」
華が作った鶏定食に向かってずりずりと這いずっていく赤鐘後輩。
――その様子は、どうしてか少し鬼気迫っている。
その姿に、とてつもなく嫌な気配を見た。
(ん、んんんん? どういうことだ? こいつ、やる気がありすぎる)
この雰囲気は、食事が美味しすぎて食べたい、とかそういうのじゃない。もっと深刻な何かだ。
最初に会った時の華に似ている……気がする。
その想像に幸運よりも強烈な吐き気を覚えた。あの頭のおかしい女の同類が増える? 冗談じゃねぇぞ。
(……い、いや……妥協しろ、俺よ……多少のデメリットは覚悟の上だ……)
俺にも時間の余裕はない。ジューゴへの妨害のためにも難度の上昇の方が先だ。
そのためにも、病人をどうにかすることが先決だ。食えねぇ動けねぇなんて戦力にする以前の問題だ。
不気味さはスルーする。やる気があるのはいいこと。そう思おう。思うしかない。
俺は歩いて赤鐘後輩のところまで行き。見下ろした。手を差し出してくるので手をとる。軽い。ボロ布みたいな軽さだ。魂が抜けたような身体だ。燃えカスのような生命だ。
肩を……いや、赤鐘後輩の身体を両腕で持ち上げる。女子を持ち上げたというのに嬉しさはない。肉の感触がスカスカだからだ。骨も軽い。死人のような皮の感触。物のような体温。微かに感じる鼓動だけがこの弱々しい生き物の生命の証明だった。
「とりあえず、だ。粥でも作るわ」
米はある。玉子もある。肉はまだ駄目だろうな。出汁は、鳥の骨しかない。肉の臭いでたぶん吐くだろう。苔は……? いや、ジュースは大丈夫だろうか? とにかく栄養を与えてみよう。
死病の特殊ステータスが発生した以上、この世界の赤鐘後輩の肉体は病魔に冒されていない。もともとあるものは取得されない。故に死病は存在しない。だから、赤鐘後輩の肉体は健康なはずだ。死病は後付け。この女の強烈な思い込みが作り出した特殊ステータスでしかない。
だから鍛え上げて死病を消す。使えるようにしてみせる。戦力化してみせる。俺にはそれしか道はない。
腕の中の赤鐘後輩が必死そうに声をあげる。蚊のような声だ。微かすぎる。
「た、食べられます。食べてみます」
「ほんと死にそうな声だな。つーか、いちいち死なれても面倒なんだよ」
ぎゃんぎゃんと騒ごうとする赤鐘後輩を黙らせれば息を飲む音がした。俺を絶望的な顔で赤鐘後輩が見ていた。その顔は、どこか見覚えがあるものだ。
これは、俺に失望されることを恐怖する華の顔。いや、そんなはずは……。
――赤鐘後輩が、華に似てる?
そんなこと、あるわけがない。
俺に執着する女が2人もいていいわけがない。
なぁ、おい。俺はまだ何もしていないんだぞ? 華とは違う。まだ、俺は境遇すら救っていない。
だけれど、そこに宿る感情こそは――
『赤鐘朝姫はエピソード1【折れ、砕けた刀身】を取得しました』
『赤鐘朝姫はエピソード2【血の渇望】を取得しました』
◇◆◇◆◇
『エピソード1【折れ、砕けた刀身】』
効果:あなたは折れ砕けた魔剣である。
『エピソード2【血の渇望】』
効果:あなたは使い手を欲する。思い出しましょう。赤鐘の血の目的を。
◇◆◇◆◇
眼の前にはガスコンロとそれにかかっている鍋がある。ぐつぐつと米が音を立てて煮立っていく。
俺は赤鐘後輩のために粥を作っていた。
(さて、どうするか)
赤鐘後輩は俺の背後で死人のように倒れている。この後輩は、なにかしようとするたびに蝉のように死んで俺の手を煩わせる。
この死にやすさは死病とは別のものだった。とはいえ無関係ではない。これこそが死病の根本。何かしようとすれば死ぬほどの衰弱しきった肉体。死病が発生する土壌となるほどの脆弱さ。
――赤鐘朝姫の過去。
この少女は、そういう状況から、ここに送られてきたのだ。
だから俺は動かないように言い含めていた。いちいち死なれても面倒だからだ。
もっとも素直に従うとは思わなかったが……。どうしてか、強く命令するように言えば素直に従ってくれるので首をかしげるばかりである。
とはいえ隷属させている感触はない。華のように、俺の手の中に何かを掴んでいる感触がない。俺の支配は決定的に、届いていない。
(さて、それはそれとして粥ができるまでに方針を考えるか)
まず、だ。心からの忠誠を得るためには死病を停止し、動けるようにしただけじゃ足りない。
病気をどうにかしただけで人間から忠誠を得られるようなら、赤鐘後輩はとっくに病院の医者やら看護師やらに忠誠を抱いていないとおかしいからだ。治療途中であろうとも生命維持をやってくれているのだ。感謝を抱いて当然である。
勿論、すでに医者に忠誠を誓っている、とかそういう状況があるかもしれないが、現実的じゃない。せいぜいが感謝だろう。信頼だとか愛情もあるかもな。
そう、忠誠は有り得ない。
(そもそも現代社会で忠誠という価値観がおかしいからな)
武士じゃねーんだ。現代社会で忠誠なんてもの存在するわけがない。華がおかしいだけで現実は漫画やゲームじゃねーんだよクソが。
(あー。それでも俺は忠誠を得なければならないわけだが……)
俺が所持する『号令【隷下突撃】』や『エピソード4【主従】』の効果は華と俺の間に主従関係が存在するから効果を発揮している。
忠誠を得ることには大きなメリットがある。
HPやATKが1000も上昇するこれらの効果を無視することはできない。大罪戦に関しては小さなものでも妥協はできない。
難度の上昇がそれに拍車をかけている。今はよくてもステータスの限界は必ず来る。
(それに、友情や愛情でのエピソード構築は無理だろう……)
俺が好きなのは栞で、そして俺には傲慢の大罪がある。俺が傲慢に振る舞う以上、ただの友情でさえ、主従以上に構築の困難なエピソードとなる。
破滅的に低い確率を乗り越え友情が成立したとしても、俺と赤鐘後輩は対等ではない。対等の友情でないなら、どこか歪な友人関係となる。そして俺に傲慢があるならそれを維持することさえ困難だ。
そんな歪なものはいずれ破綻する。破綻するぐらいなら最初から友人にはならない方がいい。
(だから主従。そもそも俺の方が年上ってのがいい。優越感から俺の感情は支配向きになってる)
この点、年齢能力容姿性格その全てが最初から俺の上位にあった華とは違う。あの時は俺の気持ちを主人向けにするのにだいぶ苦労した。
だから、赤鐘後輩に対しては主従が一番楽、なんだろうが。
(そもそも主従関係ってどうやって結ぶんだよ……)
先輩後輩だからって無条件で相手が従うわけがない。人間には意思がある。大罪で吹き飛ばされるとはいえ、Nレアのグズどもですら強固に持っているもんだ。死にかけの死人だからって油断なんかできるわけがない。
一応、だ。主従について。華とは話し合ってきている。というよりも今回の勧誘のために華から教授される形でだが……。
ってもどれもこれも難しいことばかりだ。忠誠を得るための方法。全てを優越する。人質をとる。権益を保証する。徹底的に敗北感を植え付ける。家柄や血統で支配する……エトセトラエトセトラ。
(力だの地位だの権威だの。どれもこれも俺にはないもんだ。おまけに人質だとかアホかよ。そんな関係、パーティーなんぞ結成不可だ……)
だから、俺にはこの分不相応な傲慢しかない。
そして俺の傲慢の根拠となるものは華だ。華を従えているという事実だけだ。これがまた一つの問題だった。
俺の傲慢には華以外の根拠がない。無関係ではないが、俺自身の能力が主軸じゃない。傲慢が生来の性質とはいえ、その傲慢の主柱となるものが欠けている。こうやって傲慢を扱いながらも小胆が息をしているのはそれが原因だ。
この小胆は危機感知のために必要といえば必要だが、そのせいでこういう状況で手段を選ぶ必要が出てしまう。
ただ傲慢であれば、そう振る舞うだけでよかっただろう。嫌われるにせよ好かれるにせよ。悩む必要なんか出てこなかった。こうして死にかけの病人相手にも手段を選んで従わせるなんて考えもしなかっただろう。
(一長一短……だな)
鍋を前にぐつぐつと煮立ってきた粥に別皿に割っていた溶き卵を流す。朱雀王希少卵は鶏卵よりもずっとずっとかなりバカでかい。なので量を調整して味を整える。残りの卵はあとで俺が飲む。粥には塩を入れる。んん、順番大丈夫かこれ? 料理なんかしたことねぇからな。まぁいい。味見をする。なにか足りない気がするが……一応、まずくはない。申し訳程度に刻んだ朱雀草をパラパラとのせてみる。これで彩りはいいかもしれない。
「こんなもんか。おい。立て――いや、いい。寝てろ」
俺の制服の上に転がっている赤鐘後輩の背を支え、皿に移した粥を匙で掬い、吐息で冷ましつつ赤鐘後輩に与える。
「す、すみません。センパイ」
申し訳なさそうに言っているので死なないように気をつけつつ口に匙を突っ込んだ。むぐむぐと呻きながらも飲み込んでいく赤鐘後輩。
その瞳の中に一瞬、喜悦が見えた。不思議だ。嫌悪の感情がない。世話をされている恥の感情はある。それでもどこか、赤鐘後輩の表情に喜悦が見える。
(手間だが。これで行くか)
華は俺に支配の方法を語った。
全ては優越する方法だった。中には全てを奪い去って精神的に貶める方法すらもあった。
多くの方法にリスクがあった。友情や愛情とは違う。支配とはそういうものだと華は俺に教えてくれた。
――支配は、どうやっても行った時点で嫌悪されうる最悪の中の最悪。
そこから情が発生することを期待してはならない。信仰は例外ですがと華は説明しながら語った。
それでも俺は支配を選ぶしかなかった。俺の中の傲慢はまだ俺が制御できる程度に弱い。小胆がまだ機能できるうちに、その中でもマシな方法を選んでいくしかない。
(決めたぞ。俺は、全てを、与える。何もかも与える。赤鐘後輩を支える。そうすることで、支配する)
精神的に依存させる。この少女の心の支柱を俺にする。華のような信仰ではなく、俺の手でもっと手酷いものにする。
恋だの愛だの生ぬるいものではない。
俺がいないと生きていけない。この死にかけを蘇生させる間に全てを与えて必ずそう思わせる。
(これが、傲慢か……)
だが、そうしなければならない。
人類を救う為ではない。世界を守るためじゃない。魔王を殺すためでもない。
(ジューゴを上回るには、こうしてなんでも積み上げていくしかねぇんだ)
『新井忠次はエピソード5【魔剣を鍛造しよう】を取得しました』
◇◆◇◆◇
『エピソード5【魔剣を鍛造しよう】』
効果:『新井忠次』は『妬心怪鬼』を『赤鐘朝姫』の『死病』に対して自動で使用する。
仁は無く。義は無く。礼は無く。智は無く。忠は無く。信は無く。孝は無く。悌は無く。
ただ主人の為だけに振るわれる禍つ刃。古今に謳われる魔剣妖刀とは、つまるところそういうものである。