026
このエリアに来てから3週間ほどが経過した。
「筋肉がついとる……」
食事。運動。食事。運動。
その繰り返しで俺の肉体はぐんぐん成長していた。成長期はまだ終わっていなかったらしく。心持ちだが、背も伸びた。
「ふぅ、登らねぇとな」
自身の筋肉をうっとりとした表情で見つめながら俺は岩肌にかけていた指にぐっと力を込めた。
半裸でフリークライミングの最中である。命綱はない。そんなものがあるかは知らないが、ザイルもロープもフレポガチャでは出なかった。
ちなみに命綱もなしに今日まで無事に登れているわけではない。当たり前だが何十回かは落ちて死に戻りしている。華が適当に壁の岩場を砕いて作った岩場だからな。初心者にも登れるような安全設計ではないのだ。
なぜこんなことをしているのか。器具がない以上、効率的に肉体を鍛えるにはクライミングが最適なんていう説明も聞いている。だが、だ。なぜ俺はこれを続けているのか。
未だに特殊ステータスは出ていない。
筋肉はついた。背も伸びた。肉体は鍛えられたのだ。
だが、ATKの数字は上がっていない。本番に備え、嫉妬男子から戦士にジョブを戻し、嫉妬の権能を使いこなしつつランニングもこなしている。
だが、未だに変化は来ない。
傲慢を従え、嫉妬の権能を覚えて以降、特殊ステータスは発生していない。
(俺も頭打ち……いや、まだだ。まだ上に行けるはずだ……)
3週間経った。経ってしまった。
華のレベルも限界まで育ち、各々の武器の進化も最大まで行った。ここでできることは全てやった。やってしまった。
あとは、このトレーニングの結果がでればいいだけなのだが……。
「っと、テッペンか」
生えている苔を採取し、地道に崖を降りていく。落ちて死ねば地上には戻れるが、俺とて痛いのは嫌だし、こちらのほうがトレーニングになる。
この後は剣を振る訓練も行うが、フリークライミングを始めてから体幹もしっかりと安定するようになった。
(まぁ、無駄だったかもしれねぇが、楽しかったからいいか)
筋肉がつくことは単純に男として嬉しいし、身体を動かすのは嫌いじゃないのだ。
◇◆◇◆◇
「時間、かもしれません」
「ん? 時間? 制限時間的な、か?」
ここでの生活も終わりか? とテントの傍で俺は華の作った鶏肉たっぷりのスープを喰いながら問いかける。
本当はシチューを作りたかったらしいのだが、牛乳だの小麦粉だのは、ランニングの副産物であるプレゼントボックスから出現した有り余るフレポでガチャっても出てこなかったのだ。
とはいえ、俺たちの傍らに転がしてあるテントや寝袋やガスコンロなどはフレポガチャのガチャ結果である以上、全てがクソというわけでもないが。いや、小麦粉とか米とか出てこいよほんとマジで……。
俺がそんなことを考えている間にも華は話を続けていく。
「いえ、特殊ステータスです。運動量か。運動の結果か。とも思ったのですが、もしかしたら継続時間かも……規則正しい生活の」
「……んん、いや、俺、結構規則正しい生活してたぜ?」
なにせ俺は真面目一辺倒の御衣木栞の幼馴染なのだ。彼女と一緒にいる時間を増やすために俺はなんだかんだ規則正しく生きてきている。まぁ栞が遅刻常習のジューゴに付き合って登校していたせいで俺も必然的に遅刻しかける回数は多かったがな。それでも栞と会話するのが楽しみだった俺としては、そんな早朝の日課は生きがいでもあったわけだが。
「このエリアに来てからの、ことです」
俺の思考を読み取っているかのように華の眉が少しだけ歪む。他の女のことでも考えているのがバレているのか。別に付き合っているわけでもねーので、俺としてはそんな華の感情など無視をして、言われたことに思考を寄せる。
「まぁ、勉強も運動もこんなに頑張ったのはこっちが初めてだからな。で、こっちの方のカウントが足りねーと」
「ええ、早寝早起きなどはあまり期待していません。それよりも忠次様の努力によって文武両道といった響きの特殊ステータスが現れると思っているのですが……」
文武両道ねぇ。そいつは、たかが3週間程度で手に入るのか? といった言葉は控えておく。
それよりも俺としてはそろそろ言わなければならないことを言おうと思う。
「なぁ、華」
「はい?」
「挑むぞ。孔雀王」
もういいだろう、と俺は思った。
何事にも積極的だった華が、言おうとしなかったことに俺は踏み込んだのだ。
「お前の言うとおりにトレーニングをしてきたが、もう、いいんじゃねーのか?」
ステータス的にはもう限界だ。食事アイテムや装備も揃えた。
あとは、本当に特殊ステータスでの成長を期待するしかないのだ。
だが、そいつはどれだけの時間がかかるかわかんねーときている。
「で、ですが」
フレポガチャで出たキャンプ道具によくあるタイプの折りたたみ式の椅子に腰掛けている俺たちは、顔を突き合わせている。
華は何かを言いかけて、口ごもり、手で顔を覆った。
(こんな顔もするんだな……)
初めて見る仕草だった。そうして、震えるようにして、絞り出すように、華は言葉を吐いた。
「忠次様……わたしを、すてないで、ください……」
ため息。そう、何事にも効率的であろうとしたこの女がどうしてこんなにダラダラと過ごしてしまったのか。その理由は、その言葉だったのだ。
俺は構わず、ああと頷いた。
「わかってる。お望み通り、上でもこき使ってやるよ」
いろいろと厄ネタを抱えている女だが、便利なのは確かだった――って、ほんと傲慢だな俺!?
内心の変化に驚く。3週間前までの俺はどこにいった? ってあの頃も大概だったが。
しかし、傲慢と嫉妬。2つの大罪はこの3週間で俺の性格を最悪のクソ野郎に変化させている。この事実を忘れてはならない。でなければ上に戻った時にいろいろと面倒になるのは確かだった。
(恐らくだが、まともにパーティーは組めねぇ。組めたとしても俺の性格じゃすぐに解散だな……)
そのためにも華のサポートは必要だろう。最悪、最後まで華との2人パーティーになってしまう可能性もあった。
だが、俺だけのせいでもないのだ。これは。
「忠次様。ありがとうございます」
俺のクソみてぇなヒデェ言葉にも喜びの表情を浮かべるだけで、擦り寄るようにして俺の手の器にスープを盛り付ける女。神園華。
俺に擦り寄り、甘い言葉で誘惑し、俺に根付いた大罪を現在進行形で助長させているこの女。
にこりと俺へと微笑むこの女こそ、生まれながらにしての悪女。
◇◆◇◆◇
そうして、じゃあ今日は寝るかとテントに入って寝袋で入った時のことである。
擦り寄ってくる華へ頭突きをカマしてから目を閉じ眠る。
どうせこれらも無駄なことだ。
起きれば寝袋にある少しの隙間から華が侵入してきているのである。
節度ある生活を頼むぜ華ちゃんよぉ。
『新井忠次は特殊ステータス『努力の筋肉』を取得しました』
なんとなく力の増加を感じた俺はステータスをちらりと見て、ため息をついた。
(筋肉。筋肉ね。ま、勉強が身になるのはもう少しかかるんだろうな……)
努力はしたが、足りなかったのだろう。
それでも特殊ステータスは現れた。時間経過か、それとも運動量か。
とにもかくにも俺は効果を見て、満足し、目を閉じた。
『努力の筋肉』:HPとATKを+500する。
孔雀王を倒したあとも、もっと努力しよう。
純粋に、そう思った。




