020
「ふッ。ふッ。ふッ。ふッ。ふッ」
朱雀剣を手に顕現させた新井忠次が、神園華が教えたとおりに素振りを行っていた。
それを横目に華は壁際へと歩きだす。
華にとって、忠次から距離を取るのは少しどころではなくとてつもなく悲しいことだったが、これから次のトレーニングの為の下準備を行わなければならない。
「顕現」
華の手の中に炎の鳥を象った1メートル弱の杖が現れた。
『朱雀魔杖』。その全ては見たことも触れたこともない聞いたこともない不思議な金属でできた杖だ。
それ自体が熱をもっているかのように、触れていると仄かな熱が伝わってくる。
ちなみに、顕現は頭の中に対象のイメージがしっかりできていれば呼び出すものの名を呼ぶ必要はない。
とはいえ何を顕現させるかを言っておかないと周囲の人間にあらぬ誤解をされかねないので顕現の際はアイテムの名称を付属させることがマナーとされている。
『始まりの洞窟』の岩場の全てを実態として知らない華には想像しかできないが、忠次の言によれば初めの頃は『顕現』機能を使って学生達による様々な悪事が行われていたらしい。
もっとも現在の低レアリティだけになった岩場では顕現を使った悪事など起きようもないほどに活気が減っているらしいが。
なお『顕現』は『顕現』でなくても『出ろ』や『出現』『来い』などの単語でも行うことができる。重要なのは意思なのだ。
なお、顕現はなんとなくかっこいいから忠次が使っているタイプのキーワードで、岩場でもそれなりに使っている人間の多いものだった。
「さて、どの辺りにしましょうか」
朱雀魔杖を顕現させた華は壁をじぃっと見、風の魔法を削岩機のように操った。
勢い良く、風の塊をぶつけるのだ。何度も何度も、それこそ集中的に。
そして、華は、岩壁に人の手がひっかかる程度の凹みを次々と作り出していく。
「ふふ、やはり、できますか」
切り立った崖のごとくに垂直だった壁。登るには道具が必要に思えたそれも、魔法で手を加えれば素手でなんとか登れる程度に加工ができる。
魔法。現実には存在しなかった技術を用いて華がこのように作業をする姿を忠次が見れば驚きの声をあげただろう。
帰還の待機時間にクリスマスツリーを破壊するのとは訳が違う。ここは『戦闘』エリアではなく、『休憩』エリアのはずなのに、と。
そして忠次が知る限り、Nレアリティの魔法使い、座古助三は『魔法』をこういった空間で使うことができなかった。
しかし華はできている。
どうしてできているのかと問われれば華には『意識』の差でしょう、としか答えられない。
やってみたらできたからだ。むしろなぜできないのか華にはわからないぐらいに魔法を扱うのは簡単だった。
そう思えば、やはり『意識』は重要だろうと華は考える。
ゲームのようなシステム。根幹が遊戯に似ていると考え、システムに縛られては、この場で魔法を使うことなどできないのだろう。
(座古という方はシステムの補助がある戦闘の場でしか魔法が使えないと考えているのでしょうね)
そう、華が忠次に自力で剣を振らせるのもそこに理由がある。
戦闘の際、システムに沿ってオートで身体を動かしていれば、システムが魔法や剣による『攻撃』を行わせているのだと思い込むことになる。
しかしどうだろう。システムが身体を動かす際の力の流れを意識し、把握し、理解すれば。
100戦を超えて魔力の流れを我が物とした神園華が自力で魔法を扱えるようになるのは道理でしかなかった。
― 神園華は特殊ステータス『魔導の心得』を取得しました―
― 神園華は特殊ステータス『風魔法』を取得しました―
一度でも使えてしまえばそれを習熟させることに戸惑いはない。
ガツンガツンと魔法で壁を削りながら華は考える。
(この世界は脆いですね)
道中にあった地面の草や、ツリーを破壊した時もそうだ。この世界の全ては破壊しようと思えば破壊できてしまう。
どうしてか忠次は破壊できないように思っているようだが、そんなことは全くない。
元の世界と同じく、あらゆる物体は、破壊しようと思って破壊すればこんなにも容易く壊れるのだ。
そして一度破壊を意識をすれば、破壊のための力が自らの中に眠っていることに気付くのは容易なことだった。
華の中に魔法の力が眠っていたように、他の学生にも相応に与えられたものが眠っているのだろう。
あとはそれを掘り起こして自らの力とするだけでいい。
(他の方々にもこのように危険な力が眠っているのでしょうか?)
であれば恐ろしいことが上で起こっていても不思議ではないが……。
――華の心配は杞憂であった。
壁を破壊しようなんて考えるのは華ぐらいのもので、破壊する理由がないから他の学生は破壊しないことに華は気づけない。
そもそもこのエリアが特殊であり、他のエリアでは何かを破壊してもそこから意味のある、レアリティのあるアイテムがドロップするということは基本的にないのだ。
そして休憩所にある壁や岩を破壊しても、うるさいし邪魔だと迷惑がる人間はいても喜ぶ人間は誰もいない(ただの岩で何かをするぐらいならフレンドガチャで出たアイテムで何かをした方がよっぽど手間がかからないだろう)。
そもそも単純に暴力を振るうだけなら魔法を使うよりも拳で殴った方が手間がないうえに、剣や短剣など目に見えて脅威に見える道具がいくらでもあるのだ(そして無意味に暴力を振るいたがる人間は戦士に分類されることが多い。そういう傾向で分類分けがなされている)。
そして、当然というべきか。この世界では狂乱にでも陥らない限り、暴力を振るうという発想があまり起きなかった。
鬱憤をぶつけたいならモンスター相手にいくらでもぶつけられるし、こんな閉鎖空間で他の学生相手に暴れてしまえば徒党を組んだ他の学生に逆襲に遭うのは目に見えてわかることだ。
だから誰かを恨みに思っても、せいぜいできることと言えば寝てる間に自分がやったとわからないようにこっそりと対象を殺す程度のことで、そんなことをしても殺した相手はすぐに蘇生地点に現れるから殺す意味すらないという始末。
そして失敗すれば泥沼の殺し合いに発展し、最悪の場合、『憎悪』系のエピソードが発生する(本人たちが隠しているために忠次は知らないが最初の洞窟でも発生している人間は何人かいた)。
だから暇な連中がやれることなどはそんなリスクの多い殺人や暴力ではなく、『掲示板』でだらだらと雑談をするぐらいなのだ。
もっとも『魔法』のシステム外使用には異界知識への接触によって使う度に使用者の正気が削れていくというデメリットもあるのだが。
生育環境と連続した餓死によって正気の大部分を喪失している華にとってはそれは全く関係のないことだった。
話を戻そう。
風魔法で風の流れを操って忠次の息遣いを耳元に呼び寄せるという高等技能を5分足らずの時間で自力で編み出した華はこれは便利ですねと考えながら、加工の終わった壁を目の前にして満足そうに頷いた。
「こんなものでいいかしら?」
忠次の身体の大きさに合わせて計算され、各所に凹凸の作られた壁面。
それは100メートルほどの高さにある岩場の天井まで達せられるように作られている。
「これは、クライミングパンツなどという贅沢は言いませんが、体操服かジャージが欲しいところですね」
ふむ、と唸る華。忠次に登らせる前に自分で壁面の状況を確認しておきたかったが。
とはいえ、ないならないであるものでなんとかするしかない……のだが、現状そういったものはなにもないのだ。
なので、スカートのホックを外し、ブラウスを脱ぎながら華はそれらをそっと地面に落とした。
現在の身体能力なら制服でもなんとでもなりそうなところではあったが、あんな引っかかるものの多い服で岩場を登るのは自殺行為である。
また、単純問題、制服をこの岩場で破損した場合、この服は再生されないのだ。
華としては、蘇生すれば復活する肉体であればいくらでも破壊してもかまわないのだが、服はこれ以上傷めば貧乏臭くなって忠次に顔向けができなくなる。
「他の学生は殺し合いをしたらしいのですが……。替えの服はどうしたのでしょうか?」
また、『飢餓』の状態異常の際に制服を食べた学生は多くいたとも聞いている。もしかしたら、何か修繕する手段があるのかもしれない。
華は後で忠次に聞こうと心のメモに書き込んだ。
「さて、それはそれとして。よいしょっと」
ブラジャーとショーツ。たったそれだけを着た華は自分で作った壁面のくぼみに手を掛け、全身を使ってするすると壁面を登攀していく。
下着姿で岩場を蟲か何かのようにスムーズに登っていく華の姿は異様の一言に尽きるが、素振りに集中している忠次から声は掛からない。
華の方を見てはいないのだろう。一振り一振りに意識を集中しているのかもしれない。
指示をしたのは自分だけれど忠次にはもっと自分に注目してほしいなぁ、などと考えながら華は自分のコンディションを確認していく。
クライミングは全身の筋肉を余すところなく使う。これからの忠次の鍛錬にも華の自己確認にもちょうど良いものだった。
(肉体はさほど変わっていませんね)
餓死を繰り返していたのに筋力は衰えていない。死ねば衰えさえもリセットされるのか?
肉体は好調だが、それは以前の華でも行えることであって、ここで手に入れたものではない。
(なら、鍛えても無駄なのでしょうか?)
忠次のランニングは始めたばかりだが、トレーニングを続けて何も変化がなければ単純なトレーニングでのアプローチは諦めなければならないだろう。
だけれど華としては自分の信用がなくなるのでなるべくそれは避けたかった。
(トレーニングは無意味? いえ、ここの『仕様』から考えるとそれは違う。成長する余地はある。あるはず。だけれど、ならばなぜ衰えていないのかしら?)
『成長』と『衰退』はセットだ。筋肉は鍛え続けなければ衰えていく。当たり前のことだ。
(3か月。わたしはただ寝ていただけだった。何もしなかった。ならば、この肉体が骨と皮だけになっていてもおかしくないのに……。『餓死』したせいなのかしら?)
確信はない。だが、レアリティというものの存在が、逆に華に『成長』の余地があると実感させていた。
そう、真実この世界に『管理者』がいて、学生たちに『何か』をさせたがっているのなら、何も400人も呼び出す必要はないのだ。
この世界の戦闘のシステムからすれば、むしろ400人は多すぎる。確実に何かを遂行させたいならレアリティの高い数人だけを呼び出せばいい。
だけれど、人はいる。400前後の人間がこの世界には存在している。
無意味に呼び出されたわけではない。そう、『人』の『数』は可能性だ。
それだけの人間の数だけ、できることがあるのだ。
(事実、わたしは忠次様の助けがなければ脱落していた)
餓死のループで殺され続けていた過去を思い出す華。そう、忠次は忠次にしかできないことをやり遂げた。
(それに……)
華は、自分の持つ『LR』レアリティが極少数の人間だけの物ではないと思っている。
何しろ低レアリティでありながら、自分より優れた新井忠次という人間がいるのだ(←これは華の思い込みである)。
だから、華は低レアリティの人間が自分たち高レアリティの『予備』や『控え』ではないかと推測している。
呼ばれたからには彼らにも『役目』があるはずなのだ。
だが、彼らの『ステータス』は弱々しい。だからその『役目』を果たすためにはなにがしかの強化が必要、なのだが……。
(『成長』……。何かを果たすのに『成長』は必須なのですが。この世界でのわたしたちは、どうなっているのでしょうか?)
華は肉体が『固定』されている可能性を考え、即座にそれはないと断定する。
自分は魔法を使えている。それは『成長』だ。明確な、断言できるほどの『成長』だ。
ならば、肉体を鍛えることは無意味ではない。
(そう、『成長』はできる。脳が記憶を新しく覚えています。それは肉体が成長する余地がある、ということ)
死んでも記憶がリセットされることはない。肉体を完全にリセットしているわけではない。
そもそもだ。蘇生はどういうやり方でやっているのか? そこからして華にはよくわからなかった。
死ねば『システム』がどこかに記録された肉体を呼び出してパソコンデータのように貼り付けているのか。
それとも死んだ瞬間に死んだ肉体にいろいろなものを『補充』して肉体を元の形に戻しているのだろうか?
推論は尽きない。だが問題はそこではない。忠次にさせていることは無意味なのか無意味ではないのか。
そこが問題だ。
(わたしの信用に関わります)
断言してやらせたことが間違いだとわかれば忠次は華を信用しなくなるだろう。
トレーニングをあれだけ強く言ってやってもらっているのだ。結果が出なければ困るのは忠次よりも華だ。
おそらくはできるだろうという思い込み。華なりの勘で決めた情報ソースもない当てずっぽう。
(ただ『トレーニング』に関しては、9割方大丈夫だと思うのですが……)
ステータスを呼び出して先程覚えたであろう特殊ステータスを閲覧する華。
覚えているという確信がそこにはある。
―『魔導の心得』:魔法攻撃の威力を1.1倍する。
―『風魔法』:風属性攻撃のダメージを1.1倍する。
魔法を覚えて自由に扱った程度で覚えられる特殊ステータス。肉体とスキルを中心に鍛えている忠次が覚えるのは別のものだろうが、たかがこの程度のこと。華の忠次様にできないはずがない。
持久力目的の『ランニング』。スキルを鍛えるための『勇猛』。攻撃方法に工夫をつけるための『素振り』。この後は『受け身』もやらせる。そして『クライミング』。夜には『勉強』だ。
だから忠次が相当な無能でない限り、華がみっちりとつきっきりで2、3週間も鍛えれば何か一つぐらいは身につくはず。
はずなのだが。
(これに関してはもう、比較対象がいないから、わからないですね)
華は忠次を『信仰』しているが、それでも理解していることはある。
日本各地から集めた優秀な血統同士を気が遠くなるほどの年月を用い、交配させ続けて作り出した人造超人である神園華と一般人である新井忠次を一緒にしてはいけない、ということだ。
そして、華は忠次の肉体的な性能に関しては既に把握しきっていた。べたべたと忠次に無闇に触っていたのはただ華の趣味なだけでなく、主人の肉体を把握しようとする華の目的もあったのだ。
新井忠次。華の主人である男。
その意思や精神はともかく、新井忠次の肉体と知能は平凡な男子高校生にすぎない。
可もなく不可もなくだ。
体力も知能も同年代の学生の平均を大きく超えることはない。
だが、ここは下手に何かスポーツや武道をしてこなかっただけ素直でいいと華は考えている。教えたことを疑問に思いつつもしっかりとこなそうと努力してくれている。それでいい。十分だった。
むしろ華にはご褒美ですらあったのだ。白紙の忠次の肉体を自分の好きなように染め上げられるのだ。
これほどの栄誉はないと華は涎を垂らしながら内心考えている。
「さて、答えの出ない問題は脇に置いておいて、こちらはどうなのでしょうか?」
天井に到達し、杖も使わずに魔法で天井に指を引っ掛けるための穴を開けた華は、片手で肉体を支えつつ、天井に生えていたヒカリゴケをむしりとってアイテムボックスに入れた。
アイテムボックスの仕様も既に理解している。
毒物かどうかを自力で判別する必要はないのだ。それがなんであれ、入れればレアリティと効果を教えてくれる。これはそういうものだった。
(この能力が地球の人々にあったら人類はここまで発展しなかったでしょうね)
良くも悪くも自力で判別するという行為を省略させるのだ。これがいかに便利なものであろうと人間を堕落させるものであることは明らかだった。
とはいえここで華もそれを論議するつもりはない。便利であるなら使い倒すだけのこと。
名前:光苔(炎)
レアリティ:『N』
説明:炎の力を秘めた光る苔。
「……まぁ何かの役には立つでしょう」
注目すべきは、まずいとも美味いとも書かれていないことだ。そして毒であるとも。
欠片を舌に乗せ、しびれを確認しつつ咀嚼して飲み込む。
「苦くはない、ですね?」
よし、と華は頷く。彩りが欠けていたのだ。忠次の夕食のサラダに混ぜてみよう。
果たして煌々と燃えるように輝く苔を忠次が食べるかは別として。
神園華は料理上手でありながら、チャレンジャーだった。
◇◆◇◆◇
(特に本編に関わることのない無意味なキャラクター設定)
名前:神園華
説明:
神園家が生み出した最高傑作。
始祖が神仙と交わりその血統を維持してきたと伝えられる神園の家は古より、様々な特殊能力を持つ人間の噂を聞けば、その血を求めてあらゆる手段でその血統を取り込んできた。
神園家の技術者たちの商品品質を高めるための努力。厳選に次ぐ厳選。外部の血を求めて取り入れつつ、純化させるために優れた子供同士を組み合わせることもあった。
そのようにして千と数百年。生まれてしまったのが『超人』神園華である。
それは神園家の女たちが1つでも持てれば『成功』とされる人外の性質を複数有して生まれた女であった。
例えばそれは老若男女の区別なく虜にさせる人外の美貌。
例えばそれは寿命では死ぬが、成長を終えれば最盛期で固定され、老いることのない不老の性質。
例えばそれはあらゆる技術を見ただけで再現できる肉体。
例えばそれは要人暗殺のための、自らが服用した毒を性交の際に相手に移せる毒物に対する耐性。
例えばそれは多少の傷ぐらいなら一日で痕も残さず治癒する再生能力。
例えばそれはか弱き細腕に見せかけて鉄パイプぐらいなら素手で捩じ切ってしまえる異様な筋細胞。
例えばそれは小さな情報から確実に正解を導く超常の勘働き。
このように通常の神園の女が1つ持てば良いところの性質の多くを華は有していたのである。
もっとも惜しむらくは神園の女が持つ精神の惰弱さも獲得してしまったことだろうか。(それがなければ教育の途中で危険だと思われて処分されていただろうが)
神園の女が持つ精神の弱さ。
これもまた厳選によって獲得した貴人を虜にする精神の弱さである。
貴人に可愛がられるためだけの。
嗜虐趣味を持つ貴人が楽しめるための。
優れた能力を持つ女が神園に歯向かわないための。
またこの精神の弱さは修復のための機能も有しており。
破壊されても破壊されても翌日には元の心の形に戻るのだが、その際に心の痛みに対して耐性を持つことができないのである。
慣れることはあっても、痛みが減ることがないのだ。
だから神園の女は何度痛めつけられても初めてのように泣き続ける。
男を惑わせる色香で。男を惑わせる動きで。
これもまた、厳選の結果得た神園に都合の良い性質であった。
ただし華は奇妙な世界で『信仰』を得ている。
唯一の欠点は『信仰』によって補われ、欠けていた女は完全となった。
そんな人造超人が元の世界に戻れた時、果たしていったい何が起きるのか。
それは神でなくとも容易に予想のできる惨劇の――