018
「あいつが、剣崎のストッパーで、栞の精神安定剤だったのか……」
剣崎重吾のもう一人の『自称』親友であるところの『SSR戦士』東郷浩之はその瞬間を迎えるにあたって深く後悔をしていた。
いかにレアリティが『R』で、剣崎重吾を中心としたコミュニティが5人組であったとしてもパーティーを組むに当たって新井忠次を追い出すべきではなかった。
もともと東郷は剣崎重吾と親友同士であって、新井忠次のことは重吾の金魚の糞程度にしか認識しておらず、そしてあの混乱していた岩場の時点では仕方がないことではあったけれど、ここに至って理解したのは、レアリティの高さと人間性は別だということだ。
LRである重吾と栞がいるなら、わざわざ高レアリティで固める必要はなく、むしろそれなら潤滑剤となる人材を入れるべきであった。
(むしろだ。なぜ俺はあの時、咲乃華音などという厄介な女と共謀して新井忠次を追い出してしまったのか)
この問題を実感したのは別れてから数日も経たないうちにであったし、そのあとのギスギスとした空間は割と楽観的に物事を処理してきた東郷ですら重く考えなければならないことでもあった。
そもそもが新井忠次の存在なくして3ヶ月もこのパーティーを維持できたのが奇跡と言ってもよかったのかもしれない。
意外とよく保った方だったのだ。いや、もっと早く崩壊していればよかったか?
御衣木栞が咲乃華音に向けて放つ『殺してやる』というセリフを呑気に聞きながら、東郷はそんなことを考えていた。
◇◆◇◆◇
それは攻略も約3ヶ月を迎えた早朝のことだった。
エリア6『城への道中』。そんな名称のエリアの休憩地点。乾いた風が吹き荒ぶ荒野で彼らは寝起きをしていた。
洞窟を抜け、平原を抜け、小さな廃村を抜け、森を抜け、破壊された街を抜け、たどり着いたのがこの茫漠とした砂と岩だけの荒野だ。
何故か戻れない始まりの洞窟以外のエリアならば手間を掛ければ戻ることもできるが、戻る理由もないし、最新のエリアに戻ってくるのが面倒なので彼らはここで野営をしている。
食糧事情は変わらず、パンと水だけだ。
フレンドガチャで出る調味料を掛ければ多少はマシになるものの、食料関連がドロップしたなどの話を聞いたこともない。早くこれをクリアして元の世界に戻りたいというのが先行する生徒たち共通の想いだった。
共通の想い。
当然と言っていいのか。周囲には彼らと同じプレイヤーがいる。
といってもそう多くはない。東郷たちを含めた4人組のパーティーが合計4組だ。どれもSR以上のメンバーで構成されていて、彼らと競うようにして東郷たちはここまで進んできたのだ。
どれもこれも学校では高名な生徒たち。彼ら彼女らはR以下低レアリティの生徒たちの希望を背負ってここにいる。
――という自覚はあんまりない。
(ま、置いてきたようなもんだけどな)
きちんと高レアリティの人間が導いてやればみんなで一緒に進むことも可能だったかもしれない。そんなことを考えてはいるものの。それを実際に行うのは億劫だ。
そもそも連れてきたところで介護しなければ戦闘に立つこともできないメンバーに何の意味があるのか。
パンを口にしながら東郷はここに来てから染み付いてしまった自嘲的な笑みを浮かべかけ、慌てて明るい笑顔を作る。
「で、今日もレベリングか?」
レベリング。オタクな生徒が広めた言葉を躊躇なく使いながらリーダーであるところの剣崎に問いかける。
『LR勇者』剣崎重吾。
それなりの身長。優男風の外見。前が見えないんじゃないのかってぐらいに目が隠れるほど伸ばした前髪。
やる気のない風体をしていても東郷は彼がなかなかやる男子生徒だと知っている。
重吾は東郷の言葉にんーと気楽そうな笑みを浮かべた。
「そうだね。今日もしっかりとレベルを上げていこうか」
挑むのは3周か4周程度になる。毎日1時間の戦闘だ。それ以上はさすがに彼らも疲れてしまう。
とはいえ戦闘訓練を受けたこともない。戦士の心構えももっていない。学生でしかない彼らがここまでこれたことこそが高レアリティたる証と言っていいだろう。
もっとも彼らよりも戦闘回数を増やしていた人間も過去にはいたのだが、そういう人間は軒並み終わりの見えない戦いに疲れてしまい戦うことをやめてしまっていた。
少しエリアを戻ればそんな諦めた彼ら彼女らが生存に最低必要な戦闘だけをこなし、あとは一日中掲示板を眺めている姿を見ることもできるだろう。
能力があろうと死ねば疲労が消えてなくなる身体であろうとも人間には一日に戦える限界というものがどうしてもあった。
戦うモチベーションが『レベルがあがる』程度では人間そんなものなのかもしれない。
彼らの心の中に、あとどれだけ戦えば、何を倒せば元の世界に戻れるのかという疑問は尽きない。
本当にラスボスなんてものがいるのかどうか。彼らとてそんなものは知らないのだ。
「今日もレベリング~? もー、みんな真面目なんだからさ。毎日毎日バトルバトルで疲れない? たまには休もうよ~」
東郷や重吾の決定に対して、幼さの残る雰囲気の美少女がケラケラと笑う。
『SSR盗賊』咲乃華音。
『自称』御衣木栞の親友を名乗る女。東郷よりも重吾や栞との付き合いは深く、新井忠次とは恋人同士だ。
もっとも東郷はそれが仮面の関係であることは知っている。新井忠次は栞との仲を深めるために、華音は自分が忠次と付き合うことで重吾を焦らせようと企んでいた。
自分を放っておけば誰かに盗られるぞ、という遠回しな脅しのようなものだった。ただ、それが鈍感な重吾に届くことはなかったが。
「もう、華音ったら。そんなこと言わないで」
長い黒髪をポニーテールにした美少女がそっと少女の肩を抱く。
御衣木栞。元の世界ではお嫁さんにしたい女子ナンバーワンを男子の秘密アンケートでとっていた少女だ。
彼女は誰もが守りたくなるような柔らかい笑みを浮かべている。
東郷が華音をこのパーティーに引き込んだのも、華音が重吾をどうにかして籠絡すれば栞がフリーになると狙ったからだったのだが……。
(新井を入れた方がマシだった、か……)
華音だったら置いてきたところで必死に食らいついてこちらを追いかけてきただろう。
そんなことを考えている東郷の前できゃっきゃと少女たちは笑いあっている。
「みんなで頑張って元の世界に戻ろ。ね」
「栞がそう言うならいいけどさぁ」
そんなことを言いながら華音と栞は他愛のない話をし始める。と言っても『掲示板』の話題ぐらいしかすることはないが。
ここは荒野で、どうやっても何もないのだから。
「で、ジューゴ。お前は――ん? 何やってんだ?」
「いや、うん。さすがの忠次も3ヶ月も経てばこうなるかなって」
「あん? 新井がどうしたって?」
くすくすと重吾が笑いながらそれを指差した。パーティー画面である。
この笑い方をする重吾をこの世界に来てから度々見ていた東郷は嫌な予感を覚えながらその画面を見た。
――無邪気な笑い。だけれど、こいつの笑いは無邪気ってことじゃなくて……。
それはこの何もない世界で、予想外のことが起きたことを喜んでいる笑いだ。
例えば予想外にボスが強かった時。こいつは笑う。体力を削りきったと思い、喜んだ矢先に復活して全回復した化物みたいな奴とやった時。
例えば自信満々でボスに挑み、その強さに心折られた学生を見た時。
例えば生徒会が生徒たちを集めて管理しようとした挙句、結局失敗した時。
もちろん正しく喜ばしい出来事でも彼は喜んだ。
絶対に突破できないパーティーがエリアを踏破して自分たちを追いかけてきた時。
元の世界で親しかった女子生徒と久しぶりに出会った時。
レアな装備の入った宝箱を敵がたまたま落とした時。
だけれど、だ。東郷には予想ができている。
新井に関してはもはや喜ばしい報告など期待できないのだと。
「ああ、ようやく忠次が俺を見限ったんだってさ」
「なんだって?」
「くく、だからさ。忠次が俺を見限ったって話をしてるんだよ」
「あいつが? お前を?」
新井忠次が、全ての学生に見限られてチュートリアルエリア『始まりの洞窟』から抜け出せなくなったことは、そこを出てきた連中が掲示板に書き込んだことで東郷も知っている。
故にRレアリティ単体であるあの男が出てこれるわけがないというのは知っていたが。
出てくることを東郷は望んでもいたのだが。(それこそ出てくれば介護してでもエリア6に連れてくるつもりですらあった)
恐る恐るステータス画面を覗いた東郷は問う。
「なぜフレンドに新井がいない?」
御衣木栞の懇願によって、今までフレンドとして使っていた新井忠次のシャドウが外されていた。
わざと外したのかと思えば、くすくすと重吾は笑っている。それは新井忠次と離れてからよく見るようになった顔だ。
無邪気に『周囲』で遊ぼうとしている顔だ。
重吾は別の画面から何かを見ている。恐らく、御衣木栞のフレンドリストから新井忠次のステータスを見ているのだ。
「『エピソード』ができたんだよ。それも俺とはパーティーが組めない形の奴だ。忠次は俺をそこまで恨んでたのかな?」
楽しんでやがる、と東郷は歯噛みした。しかもエピソードだと? それは関係性が深まることで生まれる特殊なステータスの1つだ。
仲が深まって生まれるものもあると聞くが、東郷はそれを見たことはない。見たことがあるのは、多くが相手を憎悪することで生まれるエピソードだ。
戦士が盾役にされ続けてもう一緒に組めないと言いだした時に生まれるもの。
役に立たないと罵倒され続けた僧侶が逃げ出した時に生まれたもの。
仲が良かったはずの恋人同士が些細な諍いをこじらせ、別れてしまって生まれたもの。
仲がよかった幼馴染同士が殺し合いをしてしまったことで生まれたもの。
エピソードや特殊ステータスは『設定』からフレンドには見せられないようにすることもできるが、彼らはあえて公開することで憎悪の深さを示した。
エピソードが生まれれば、パーティーを組んでもステータスが低下する。また、そもそもがパーティーを組めなくなるものもいる。
忠次は、東郷たちとパーティーを組めなくなっていた。
(そりゃそうだよな。俺だって置いてかれれば憎むかもしれねぇ)
否。東郷なら自分で追いかけるぐらいは余裕だったが、忠次にその能力はなかったのだ。
所詮は金魚の糞でしかない男。
しかし、と東郷は唇を噛む。
(まずいことになった……)
――新井忠次は、剣崎重吾のストッパーである。
剣崎重吾は東郷からすれば、なぜかと問いたくなるほどに、新井忠次の言葉を受け入れていた。
忠次がいろいろと仕込んだおかげで成功した企画もあれば、忠次が水を差したせいでつまらなくなったイベントも多くあった。
だけれど今になって思えば、それは剣崎重吾を押しとどめるためのものだったのだ。
忠次が小胆だからこそ止め時がわかっていたのかもしれない。
(ジューゴは、ブレーキがぶっ壊れてやがる)
やる気にならなけりゃなんにもやらない剣崎重吾は、一度やる気になればなんでもやってしまう化物だ。
そして、今この世界において剣崎重吾のやる気は、それなりにあってしまっていた。
それこそボスに対して勝算もなく無茶な特攻を何度も何度も積み重ねるほどに。
東郷ですらその勢いに辟易することも多く。咲乃華音などが悲鳴を上げて逃げ出すこともしばしば。そんな中、ただ一人仕方なさそうに微笑むのが御衣木栞だった。
もっともそんなことはどうでもよく。
「なん、で? なんでちゅうくんとフレンドが組めないの?」
振り返れば、男たちの会話を聞いていた少女が絶望的な顔で東郷たちを見ていた。
なぜかと問われればきっとエピソードが発生したからなのだろうが。
御衣木栞はそうは考えなかった。
追い出してしまった負い目から(彼らがフレンドに忠次を使っていたのはそれが理由である)何か理由があるのだと考えてしまった。
だからじっと睨みつけてくる栞の視線に根負けしたかのように重吾は手を上げた。
「それは。うん。俺が華音とセックスしたからだろうな」
『は?』
その場の3人の声が唱和する。それこそ咲乃華音すらも。それほどまでに突拍子もない宣言だった。
「あ、い、いや。あんたそれは栞には内緒にするって」
「どうして内緒にする必要があるのかわからなかったし、こうして忠次にバレてしまった以上はいいんじゃないか?」
「いや、だから、アタシとジューゴの関係って別に吹聴するようなことじゃ。そもそもチュートリアルに沈んでるあのアホがそんなこと知ってるわけが」
だが重吾はそんな華音の言葉には取り合わない。ただただうっすらと嗤っている。
「俺と華音の関係。狭いパーティーだからね。きちんと報告しないと、さ」
そして、重吾にそう言われれば華音は反論ができない。申し訳なさそうに栞を見て、そっと重吾の側へと寄り添っていく。
恋人気取りで重吾の側に座る少女を見て、栞の歯がぎりりと鳴った。
東郷の胃が、きゅんと痛みを発した。
(あの華音、やりやがったなァ……)
「……てやる……」
東郷は、忠次が消えたことで一番胃が痛くなったことが、重吾の無茶だけでなく、栞の嫉妬深さだと、忠次を追い出してから3日で気づかされた。
剣崎重吾はとにかくモテる。普段のやる気のなさは大概だが、基本的に美形の類であるし、運動も勉強もできる。
性格は問題なところもあるが、表面的には良いし、ファッションも長過ぎる前髪を除けば自然とうまくやる方だ。
そして、なぜかとにかく女子が寄ってくる。それも美少女ばかりが寄ってくる。
東郷はそういう重吾に言い寄ってきた女子を顔とトークで性的に喰うのがライフワークではあったし、それで地球じゃ何も問題が起きてなかったのだからこちらでも問題ないかと思っていたのだがそうではなかった。
地球と違い、ここではとにかくプライベートがない。
ここでは剣崎重吾が女子と話をするところが至る所で見られるようになる(もちろん地球でもいろんな女子と話をしていた重吾だが地球じゃあ栞の目の届かない場所で基本的に行われていた。セッティングは『親友』の忠次が自主的にやっていた)。
抱きつかれたり物陰に入ることはしばしば。
2人きりで岩陰に行くこともよくあったし、請われて女子で構成されたパーティーに行ってくることもあった。
そうなる度に、御衣木栞が、とにかく怖くなる。
剣崎重吾が女子と仲が良くなる度に、ブツブツブツブツ顔を下に向けて何か呟くのだ。
だから東郷は、恐ろしくてその場から逃げ出して自分も別の女子のところに潜り込んでいた。
新井忠次を追い出したのは栞との仲を深めるためだったというのに。重吾が女子とくっついてくれるならフリーになった栞と付き合えると思ったからなのに。
新井忠次が喜んで御衣木栞の愚痴を聞いていたと知ったのは、栞の異常を重吾に相談した時のことだ。
どうにかしろよと怒鳴りつければ、俺はただの幼馴染だし、こんな時に忠次がいればねぇ、なんて重吾はほざいていた。
そして華音。
忠次の恋人だったことなど忘れたように彼女はべたべたと重吾にくっつくのだ。
その度に栞の機嫌が悪くなる。しかし知ってても華音は止めない。
「栞はジューゴの幼馴染だもんね」
そんな言葉に幼馴染であるところの栞は曖昧に頷くだけであった。
様々な女子に好かれる男と。そんな男を好きな美少女が2人。そしてその片方を狙っていた男。
いびつだが、なんとか騙し騙しやっていた関係が。
今ここで破壊されようとしていた。
「こ、こ、殺してやる。華音んんんん!! 殺してやるぅうううううううう!!」
栞が、あの御衣木栞が大声で憎悪を叫ぶ。
周囲のパーティーが何事かと驚きの目で4人を見た。
だけれど、重吾は笑っている。声は上げないけれど、目だけで笑っていた。
剣崎重吾は、面白いことが好きだ。
だけれどそこに善悪の区別はない。
やる気になればなんでもできるというのは、つまりは、やる気になればなんでもやってしまうということで。
小胆故に幼馴染の関係性を破壊したくなかった新井忠次が、無意識にそんな剣崎重吾をどうにか善の方向へと向けていたことを知るものはこの場にはいなかった。
―御衣木栞が『エピソード1:憎悪』を取得しました―
『エピソード1:憎悪』
効果:『御衣木栞』は『咲乃華音』とパーティーを組むことができない。