013
俺の下で先輩が笑っている。無垢な笑み。だけれど悪魔の笑みだった。
「お、俺が、先輩の上に、立つだって……」
俺がLR以上の強さを得るなど荒唐無稽だ。こんなあやしい誘いは断るべきだった。断らなければならなかった。
「そん、な……ば、馬鹿なことを……」
この提案は、なにが、なんだか……。何言ってるんだこの女は……。
受け入れるよりも先に、脳が拒否反応を示してくる。
――だって、恐ろしい。
――だって、怖い。
――だって、不気味だ。
こんなもの。俺が、俺がどうなっちまうのかわかんねぇぞおい。
断ろうとして、笑い飛ばそうとして、声が出ないことに気づく。
(な、なんでだ。声がでねぇ。こんな、こんなことって。ああぁ、俺は、怖気づいてんのか? だから声がでなくて――)
忠次様は、と先輩は言う。
「そのままでいいのですか?」
「お、俺は……」
「あなたの居場所は、誰かに踏み躙られる位置でいいのですか?」
「おれはッ……!!」
「上に、立ちたいと思わないのですか?」
そこまで言われて、初めて脳裏にちらつく影がある。
幼馴染の男の姿だ。
剣崎、剣崎重吾。ジューゴ。あの糞ハーレム野郎。
俺の上には、いつだってあいつがいた。あの野郎が立っていた。
俺はあいつを超えられるのか?
奴の姿を思い出す。いつも、いつもみんなの中心にいたあいつ。長身で、かっこよくて、何をするにも子供みてぇに笑って楽しそうで、回りを楽しくさせるすげぇ奴だ。
普段はやる気のない素振り。だけれどやる時はいつだってやる男。
授業じゃ居眠りばかり。だけれどあらゆるテストで前日にちょっと勉強した程度でトップ層に食らいつく。
運動なんか普段はからっきし。だけれど本気を出せば部活のレギュラー連中とも互角にやる。
そういう、すげぇ奴だ。
ジューゴ。ジューゴ。ジューゴ。回りにはすげぇスペックの高い女ばっか侍らせて、いつも違う女に声を掛けて。
御衣木さんっていう素晴らしい幼馴染がいながら、あの人にずっと世話を焼かせて、でもあの人は嬉しそうで……。
俺はただの幼馴染ってだけで、親友とか呼ばれてもミソッカスみたいなもんで、ここに来てからも置いてかれて。始まりの洞窟で、よく知らねぇ奴らに食い下がって。だけれど失敗して。
そんな、俺が、LRに。
それ以上になれるのか?
「忠次様。望んでください。それだけでいいのです。わたしを従える。それだけをまず望んでください」
う、ぅぅ。
うろたえるように後ずさる。
提案を、すっぱりと断ることができなかった。
欲だ。欲が出てきている。
(だが、俺に、できんのか? そんなことが……)
先輩はその場から動かずに俺を見ている。地面に膝をついて、美しい顔に笑みを湛えて、俺を見ている。
さぁ、と先輩は俺を誘ってくる。うぅぅ。決断ができない。うぅぅ。畜生。勇気がでねぇ。
俺は、どうすればいい? どうすればいい?
左右を見る。何もない。木々だ。誰もいない。俺に声を掛けてくれる奴はいない。
背後を見る。ただ道があるだけだ。俺たちがやってきたその道。そこには何もない。雪と土しか見えない。
(み、御衣木さん……)
御衣木さんのフレンドシャドウは、俺たちに先行して、俺たちを待つように道の脇に佇んでいる。だけれど、シャドウはシャドウだ。真っ黒なのっぺらぼうの彼女は何も答えちゃくれない。
先輩は、さぁ、と何かを期待するように俺を見ている。俺は……俺が、俺が一人で決断しなくちゃならねぇのか。
ジューゴ、と幼馴染の名を呼びそうになり、口を手で押さえる。あいつには、あの野郎には、絶対に助けを呼んでたまるか。あの糞野郎、俺を置いていきやがって……。
いっつもいっつもあいつがいいところばっかり持っていきやがる。俺たち冴えねぇ男子ががんばって場を盛り立てて、あいつが美味しいところだけかっさらっていきやがる。
俺はよぉ。俺は。一度でもあいつを超えられたか? あいつを上回ったことが一度でもあったのか?
自分に問いかける。記憶の底から勝てた時を思い出そうとする。苦笑がこぼれた。なかった。何一つ。どれ一つ。
俺がジューゴに勝てたことなんか、一度だってありゃしねぇ。
記憶の中のあいつはいつだって輝いていた。俺はずっとそれを眩しそうに見てきただけだった。
悔しかった。苦しかった。俺だって。俺だってッ。
決意を目に込めてぐっと先輩を見る。先輩は答えない。俺の言葉を待っている。
胸に手を当てる。決めなければならなかった。俺が、あの糞野郎を超えるなら、誰に言われるまでもなく、俺自身で決断しなければならなかった。
――俺はジューゴを、超えていいのか?
戸惑うような心の声を、決意でねじ伏せる。
「超えていいのか、じゃねぇ。超えるんだ……」
あの糞野郎。目にもの見せてやる。
「俺は、やってやる!! やってやるぞォ!! おらぁッ!! 畜生がッ!! このヤロウがッッ!!」
その決意をした瞬間、なにか、腹の底で渦巻いていた何かがするりと抜けていく。
いままでのふてくされた感情がどこかに去って、やるぞ、やるぞ、と何かが俺を急き立て始めていた。
「おぉおおおおっぉおおおおおおおおお! やるぞぉおおおおおおおお!!」
俺と先輩以外に誰もいない道に俺の叫びが響き渡った。
『新井忠次は特殊ステータス『叛逆の狼煙』を取得しました』
『新井忠次はエピソード1『決意』を取得しました』
「先輩ッ!」
音を叩きつけるように呼ぶ。先輩はにぃっと口角を釣り上げる。待っていたとばかりに手を差し出してくる。
「まずは忠次様。形から整えていきましょう。さぁ、まずはわたしの名前を、呼び捨ててください」
姿形は黒髪の大和撫子。だけれど真実は蛇のような悪魔。神園華。俺より年上の人。先輩。
その名を呼び捨てろという先輩に対して、俺は、破れかぶれと言わんばかりに声を張り上げた。
「華! 華! 華!! 呼んだぞ! 呼んだぞ!! これでいいのか!! 華!!」
「はい。忠次様。よくできました」
にっこりと笑った先輩は、華は、間髪をいれずに言うのだ。
「次です。忠次様。ボスに挑むか否かの『判断』をしましょう」
言われ、テンションだけは高かった俺はその提案のよくわからなさに鼻白んで首を傾げた。
『判断』? さっきも言ってたが、そりゃ、どういうことだ?
◇◆◇◆◇
立ち上がった華は道の先を指差して言う。
「これから先は、忠次様に『判断』と『指示』をしていただきます。わたしは基本的には『指示』には従いますが、『判断』が間違っていると感じれば忠次様に問いを投げかけます。忠次様はそれに対して答えを返してください。答えられなかったら、答えられるまで考えていただきます。よろしいですか?」
「お、おう。そんなんでいいのか? は、華を納得はさせなくていいのか?」
まだ華の名前は言い慣れない。先ほどはテンションの高さで乗り切ったが、これを常に保つのは尋常でない意思を必要とするだろう。
名を呼ぶだけでこれなのだ。従えるなど、どれだけかかるか。
そもそも、未だに華の言っていることは眉唾だった。
「わたしの考えで忠次様の判断を違えさせたなら、忠次様はやがてわたしの傀儡となりましょう。この判断で重要なことは、忠次様が考えて指示を出した、ということです」
ただし思考材料として提案は行いますし、その際には説得も行います。と華は付け加える。
自身で答えを考える必要はなく、配下の提案から方針を決定するのも君主の役目なのだと華は言う。
君主。君主、ねぇ。普段の俺なら鼻で笑いそうな単語でしかないそれだ。馴染まねぇ言葉だった。
「さしあたって、現状でボスに挑むか否か。それを判断してください。忠次様」
「ボスに、ね」
言われて即座に答えがでてくる。それなら一択だ。
「勝てるわけがないから撤退しよう」
小朱雀や大朱雀の魂は始まりの洞窟のゴブリン連中に比べると破格の経験値だったが、それにしたって華がレベル15で、俺がレベル20だ。これからボスに挑んで勝てるかというと疑念しかない。
俺のHPが2400。強化途中の朱雀剣で+70。華のHPが1750。強化途中の朱雀魔杖で+50。リーダースキルでダメージが3割減るとはいえ、この先のボスがどれだけの強さを持っているのか未知数なのだ。
ただ、ゴーレムより強いことはなんとなくわかるので、たぶん勝てない。と思う。いや、よくわからんけど。
ただまぁ安全策としてせめてもう少し華のレベルを上げてからでいいんじゃないか? そんなことを俺はぼんやりと口にした。
「では、何レベルで挑むのですか?」
「あー。40ぐらい?」
「どうしてそう思ったのですか?」
「ここって経験値効率良いからすぐ上がりそうだし、なんとなくそのぐらいならやってみよっかなーって」
忠次様、脊髄反射で答えないでください、と華は呆れたように言った。
「考えてください。わたしたちは何度も死ねるのですから、ここで撤退するよりも一度挑んで情報を入手した方が効率的でしょう。そして敗北したとしても相手のスキルやHPやATKを事前にわかっていればどの程度レベルをあげればいいのかがわかります」
だから挑みましょう、と言われて、だが、うーむ、と唸る。もはや先程のテンションの高さはどこにもない。常の小胆が心の奥底から顔を伸ばしていた。
「負けるのが怖いのですか?」
「それは、まぁ」
「痛いのが怖いのですか?」
「それも、なぁ」
「では挑みましょう」
なぜ!? と叫べば華は重ねるようにして言う。
「挑まないことに数々のデメリットはあれど挑むという行為に痛い以外のデメリットがないからです」
ぱくぱくと口を閉じたり開けたりする俺の前で華はさぁ、道の先を指差した。
「それとも退く理由がまだありますか? ないのに退くならただの臆病者ですよ」
畜生。甘やかしてくれねぇのかこの人。
それでも先程の決意はまだ胸の中にあった。叫んだ気迫は心のうちで燃えていた。
俺がここに来る直前にゴーレムに挑んだのは、後がなかったからだ。
だが今から挑むボスには後も方策も、できることはまだまだあった。
挑むべきだと言われても、挑むには理由が足りなさすぎる。
だけれど、俺は、俺がいままでダメだったのは、挑んでこなかったからだ。
腹の中の小胆の言いなりになって何もしてこなかったからだ。
顔を出した小胆。そいつに引っ込んでろと強い意思で殴りつけ、俺は決意する。
――クソみてぇな俺が変わる、これが第一歩なのだ。
そうして、俺と華とシャドウ御衣木さんはボスのエリアへと入るのだった。