その八 四階
視界が正常に機能していないエドワードの手を引き、コウタが螺旋階段を意気揚々と駆け上がる。傍らでは、悲鳴に近い声を漏らすケチャック達がもがき苦しんでいる。コウタ自家製の催涙弾が予想以上に効いているようだ。立ち込める煙の中を、コウタとエドワードだけが進んでいく。
次第に煙も薄れていき、螺旋階段の先に三階への入り口が見える。
助かった、もう大丈夫だと、コウタに手を離すよう伝え、エドワードは涙を拭う。視界もほぼ正常に戻っており、早くも催涙弾の呪縛から脱せたようだ。
「おぉ、すげぇな! 半日は再起不能になる奴もいんのに!」
自分がそれじゃなくて良かったと心から安堵しながら、コウタに毒消し草を渡す。毒消し草は残り一つ。二人が同時に毒を食らうことは避けたい。
毒消し草を頬張るコウタの横をすり抜けて、先にエドワードが三階へと登った。用心しながら顔を出したエドワードは、途端に顔をしかめることとなった。
*
簡潔に言えば、三階は迷路となっていた。天井の低い部屋を石の壁が仕切る、人工の迷路。
「んー、頭が痛ぇ階だっぺ。片手をどっちかの壁に付げて歩き続けりゃ、いつかゴールできるんだっけか?」
効率は悪いが、それが確実だ。その案を採用することにした。
迷路の中にも、当たり前のように魔物は湧いて出てきた。幸い見たことのないものはいなかったが、曲がり角で出会い頭に奇襲されると厄介だ。一回だけケチャックの爪をまともに受けてしまい、エドワードは薬草を一つ消費する羽目となった。薬草の残りはあと三つ。もう無駄なダメージは受けていられない。
エドワードが、催涙弾はもうないのかとコウタに訊く。
「残念ながら、もうねぇべよ。俺が持ってんので頼りになるのは、もうこのくわ一つだけだっぺ」
コウタは愛用のくわを両手で握り締める。
切り札と呼べるようなカードもなく、ただの戦闘力のみでローゴンと戦うことになるのだろう。村を出た最初から分かっていたことだったが、今更になってまた自分がどれだけ無謀なことをしているのかを自覚した。相手はハイラント王国の騎士団を返り討ちにした化け物だというのに。
引き返す選択肢は、先ほど考察したようにあり得ない。もう先に進むしかないのだ。
「エドワード、危ね――」
コウタに言われるまでもなく、エドワードが頭上から落下してきたスライムを一閃した。二つに分かれたスライムの身体が、石の壁と地面に付着する。
塔の外観と一階、二階の天井高さから鑑みるに、おそらく次の階――四階あたりが最上階だろう。
魔物のボス、ローゴンか……。最悪、自分の身が犠牲になっても、コウタだけは外へ逃がして――いや、だめか。
コウタを塔の外へ逃がす方法がないか探っているうちに、エドワードはそういう思考を止めた。消極的なことを考えていたら、それが現実になる可能性が上がってしまうと思い至ったのだ。考えるのは、コウタと二人でローゴンを討ち倒す未来。それでいい。そこからゆっくりと、二人で塔を脱出する術を探ればいい。
「あ、階段が見えたっぺよ!」
眼前に、迷路の終わりである四階への螺旋階段が現れた。この階の所要時間は三十分ほど。規模からして、妥当な範囲の時間だ。
大きく息を吐き出すと、エドワードは階段を登っていった。
*
「ローゴン、起きなさい」
大空間の奥、藁を積んだだけの簡易な寝床に、巨体の魔物が寝そべっていた。その魔物に、少女が声をかける。赤毛のツインテールに、そばかすの顔が目立つ。その背中には、人の姿に似合わない、巨大な黒い翼が生えていた。
「ん、ぶふぁ〜……何だ?」
巨体の魔物、ローゴンは大あくびを放つと、上半身をもたげた。
「イキの良い獲物が来ている。もうじきここに現れるだろう、始末せよ」
少女の口調は、外観のそれからは想像もつかぬほど大人びていて、無機質で、邪悪だ。
「あ〜? やっと騎士団どもの死体掃除が終わったとこだってのに――」
そう零すとローゴンはのそりと起き上がり、そばの巨斧に手をかけた。
「まぁたゴミ狩りかよ」