その七 催涙弾
ビッグホーネットの羽音。エドワードの数少ない、嫌いなものの一つだ。理由は単に耳障りだからと、厄介な相手との戦闘を意味するからという二つ。
その嫌いな羽音の三重奏が、頭上から高速で迫ってきている。
「ぎゃえ、ビッグホーネット!?」
コウタの驚嘆の声と、エドワードの斬撃が最初の一体を薙ぎ払ったのが、ほぼ同時。緑色の体液が、長剣を振り払った方向へ勢い良く飛散する。幸い、装甲の柔らかい個体のビッグホーネットだった。
残り二体。倒された一体の後ろから標的をエドワードにロックオンし、急降下してくる。
無傷でいけるか、と心中で希望を呟き再度振るったエドワードの剣撃は、降下速度を調整され躱された。その隙に狙われてなかった一体が、尻の毒針をエドワードに突き立てんと迫るが――横からのくわの一撃が、そのビッグホーネットを捉えた。コウタだ。
「やった――」
だが、喜ぶには早すぎる。コウタのくわの攻撃は、装甲を貫通してはいない。ビッグホーネットを横に押し出しただけだ。
コウタのサポートで攻撃を免れたエドワードは、先ほど斬撃を躱された一体へと跳躍した。相手は体勢をコウタへと向けている。今の一瞬で、標的を変更したようである。それがアダとなった。今度はエドワードの一閃を躱すことはできず、装甲の破片と体液が飛び散る。
「うッ――」
嫌な波長の声が、空中のエドワードの耳に届いた。視線を向けると、最後の一体が毒針をコウタの背中に刺しているところだった。
まずい!
着地したエドワードは地を蹴るが、敵意を察知したビッグホーネットは空中へと逃れた。高度自体はまだ低いが、螺旋階段の内側、下に足場のない空中へと逃げたため、跳躍して追うわけにもいかない。エドワードは落ちないように踏み止まる。
そのとき。螺旋階段の進行方向先から、猿のような甲高い声が複数聴こえてきた。魔物ケチャックが敵を見つけたときに発する声だと、エドワードは分かっていた。そしてそちらに目をやるまでもなく、今の状況も理解する。螺旋階段の先から、何体ものケチャックがエドワード達へ向けて迫ってきているのだ。声のハモり具合から五、六体、いや――もう少しはいるだろう。
手の出せない空中には、いつでも自分達を狙う気でいるビッグホーネット。進行方向の先からはケチャックの大群。階段を降りても、下にはおそらく死んでいないであろう先ほどの謎の少女がいる。もしそれらを振り切ってさらに下に逃げたとしても、一階にはスライムの絨毯が敷き詰められている。そこから外へは出られない。
横にある石の扉から、外に逃げる方がいいのか。だが、扉の先が本当にどうなっているのかは分からない。リスクが高すぎる。
――高速でエドワードの思考が展開する。だが、有効な突破口が見出せない。コウタに毒消し草を渡す猶予すらないほどの、中々のピンチだ。
正面突破しかない――!
エドワードは覚悟を決めて長剣を握り締め、階段の先のケチャックの大群へと顔を向けた。ビッグホーネットの毒針は、急所を刺されない限り後で毒消し草で何とかなる。奴は無視し、ケチャックの大群の中を押し通ることにしたのだ。
だが一歩踏み出そうとしたエドワードの横で、コウタの方が先に動いた。
「任せろ、エドワード!」
そう言うとコウタは、野球ボールに似た真っ白い「何か」を、目の前のケチャック達へと投げ放った。
数秒後、煙幕のような白い煙を伴い、それはぼふっと柔らかい音を立てて爆発した。発生した煙は一瞬で拡散し、エドワード達をも包み込む。直後、エドワードは鼻先と目の奥に、鋭い痛みを感じる。
「自家製の、催涙弾だっぺ! もちろん、俺には効がねぇ――って、そっか、エドワードにゃ効くな、すまん!」
大ボケをかますコウタだったが、この状況を突破する為の強力なカードとなってくれた。
歪む視界の先に、倒れ伏すケチャックと落下していくビッグホーネットを捉え、エドワードは静かに歓喜した。