その三 ガイアン
エドワードは無計画で、コウタの家を飛び出した。上半身は包帯を巻いているだけで、長剣も盾も、何も持っていない――正真正銘の丸腰にも関わらずだ。
二階の窓から見た、ゾンビに襲われているであろう人の元へ駆けつけるために、エドワードは月明かりに照らされた村の中を疾走していった。
間に合うのか――!?
角を曲がると、すぐに目的のものが見えてきた。
――だが、その目に飛び込んできた光景は、エドワードが想像していたものとは随分と違った。むしろ真逆、だ。
「あぁっ、何て手応えのねぇ!」
ゾンビに襲われていると、エドワードが「勘違い」していたその男は、逆にゾンビを襲っているかのようだった。それも、素手で。
ボロ切れを纏い、腐敗し崩れかけている紫の肌をした、一目でそれだと分かる、ゾンビ。そのゾンビ四体を相手に、一人の大柄な男が、素手で戦っていたのだ。
何だこりゃあ。
エドワードは唖然として、立ち尽くしてしまった。男は二メートル近い巨躯と、黒いタンクトップから剥き出しの筋肉質な豪腕を使い、迫りくるゾンビをなぎ払っていた。
右ストレートで腹に穴が空き、アッパーカットで首がすっ飛び、裏拳が頭部を粉々にする。亡者の肉体が脆いのか、男の膂力が異常なのか。ゾンビ達との戦いは、紙粘土で作った人形を相手にしているかのように、一方的だった。
「しつけぇな」
男のすぐ足元の地面から、新たに一体のゾンビが這い出てきたが――男はそのゾンビの頭を踏み潰した。
エドワードの目の前で、ゾンビ撃退ショーはすぐに幕を下ろしてしまった。
お前、大丈夫なのか?
エドワードが声を掛けると、男はようやくエドワードの方へ目を向けた。
「ん? 誰だあんた、見ねぇ顔だし、ゾンビでもねぇな」
月明かりをバックにしているので、こちらを向いていても男の人相や表情などはいまいち分からない。ただ、かなりの大男だということは嫌でも伝わってくる。
俺はエドワード。この村のコウタに助けられて、さっきまで家で寝かせてもらってた。
「コウタ? あんなやつに助けられるとは情けねぇな」
親指で自分を指しながら、男は言葉を続ける。
「俺の名はガイアン、用心棒としてこの村に雇われたモンだ。今はこのうざってぇゾンビどもで、ストレス解消してたとこだよ。大した手応えはねぇがな。――で、あんたこそ大丈夫なのか? このゾンビが蔓延る夜中に、散歩かよ?」
この男、ガイアンも、どうやら元は村の外から来た者のようだ。
いや。さっき家の二階からあんたを見つけて、てっきりゾンビに襲われてる奴がいると思っちまって。飛び出てきたんだ。要らぬ世話の極みだったようだが。
それを聞いて案の定、ガイアンは大笑いした。
「その通り、要らぬ世話だった。わざわざ来てくれたのに悪かったな。見たとこ、そこそこ腕は立ちそうだが、丸腰では中々俺のようにゃいかねぇぜ。――ほら、後ろ」
ガイアンにそう言われると同時、エドワードは背後から襲いくる二体のゾンビに、寸前で気付いた。
しまった!
完全に油断していて、敵の察知が遅れてしまった。振り返ったときには、二体のゾンビがそれぞれ攻撃を仕掛けてきているところだった。
一体は爪で頭を狙ってきており、もう一体は前屈で足に噛みつこうとしてきている。エドワードは冷静に、頭を振って爪の攻撃を躱し、足を上げて噛みつきの攻撃を躱した。そして、前屈で噛みついてきたゾンビの背中を、上げた足で踏みつけ、もう一体のゾンビの顎に右ストレートを喰らわせた。
――おい、全然脆くないじゃないか。
だが、先ほどのガイアンのように、頭部を粉砕することなど到底できない。後ろへ押し返しただけだ。やはり、ガイアンのパワーの方が、尋常ではなかったようだ。
踏みつけていたゾンビも身体を起き上がらせてきたため、エドワードは二体から距離を取った。
――頰から、血が垂れてきた。爪の攻撃が掠ったようだ。
『しかも厄介なことに、奴らの身体にゃ毒があってなぁ』
コウタが言っていたその嫌な台詞が脳裏に過ぎり、エドワードは顔をしかめる。
マズったな――。
助けに来たつもりが、このざまとは。恥ずかしくて、ガイアンの方を見れもしない。
そのエドワードの背後を、ガイアンの瞳が映し出していた。人のものではないかのような、怪しい光を放ちながら。