その十二 時間
「ん……?」
ゴーゴンが倒れた衝撃で、気絶していたコウタの意識が荒っぽく引き戻された。
生きてて良かったと呟きながら、エドワードはコウタの前に座り込むと、ローゴンの手首から引き抜いたくわを投げ返した。
「え、え?」
コウタは瓦礫まみれの周囲と、目の前のエドワード、血まみれのくわと、忙しなく視線を送っていく。そして、エドワードの後ろで倒れる、ローゴンの姿へと最後に辿り着いた。
「え!? エドワード……まさか、倒したんだっぺか!?」
エドワードが少し笑って首肯すると、コウタは放心したかのように、口を開けたまま固まってしまった。
自分でも、少し信じられない。あのローゴンを、ただの雑貨屋経営者の青二才が倒しただなんて。だが、現実だ。
「まさか、お前ごときにローゴンがやられるとはな」
崩壊した天井の上、四階から、あの謎の少女の声が聞こえてきた。姿は見えないが、戦いの一部始終は見られていたようだ。
――次は、お前が相手か?
天井を見上げたエドワードは、折れた長剣を再度ぎゅっと握りしめる。
「いや、もう時間だ。お前達と遊んでいる暇はなくなった」
その返答と共に、翼を羽ばたかせる音が聞こえてきた。
時間だと?
「ローゴンを討ち取ったお前、名前を書いておこうか」
もはやその声色からは、最初に会ったときのあどけない少女を装う演技は、微塵も感じられない。
ハイラント王国のエドワードだ。
答えを返すと、少女の姿をした魔物は、少しの間を開けてこう言った。
「ハイラント王国――それは、可哀想に。いや、幸運だったと言ってやるべきか」
どういう意味だ?
エドワードには何が言いたいのか、理解できなかった。
「知りたいのなら、ハイラント王国へ帰ってみるといい。まぁ、おすすめはしないが」
翼を羽ばたかせる音は大きくなり、魔物の声は遠ざかっていった。
やがて、魔物が残していた僅かな存在感が、天井の穴の先から消えていった。空を飛んで、塔から出て行ったのだろう。
「す、すげぇなぁエドワード。まさか本当にローゴンを――」
すまん、コウタ。協力してくれてありがとう。一人で、戻れるか?
コウタの言葉を切って、エドワードは早口にそう告げた。
「え?」
確かめたいことがあるんだ。もし帰れないなら少しの間、ここに居て、自分の身だけ守っていてくれ。すぐに戻ってくるから。
そう言うとエドワードは、困惑するコウタを置き去りに、二階へ下る螺旋階段を目指し駆けていった。コウタの回復用の薬草を一つ、足元に残して。ローゴンに壊されていたお陰で、石の迷路は簡単に突破でき、螺旋階段にたどり着くことができた。
――エドワードには、酷い胸騒ぎがあった。先ほどの魔物の、意味深な言葉のせいだ。思い過ごしであればいい、だが――。
協力してくれたコウタを置いて悪いと思いつつも、エドワードは螺旋階段を駆け下りていく。二階、そして一階へと。何故か、エドワードが道中で倒したもの以外、一体の魔物の姿も見当たらない。催涙弾で伏していたケチャックも、落下していったビッグホーネットも、一階にひしめいていたスライムまでも。
不気味な静寂だ。
エドワードは走りながら、そう思った。塔の内部は不自然なほど静まり返っていた。それはエドワードに、嵐の前の静けさを連想させる。
何に阻まれることもなく、エドワードは塔を出た。時刻は昼過ぎ。だが、不思議と外も静まり返っているように思えた。――いや、その表現は少し違う。空気が重い、と言うのか。とにかく、普通ではない予感がする。
ふと空を見ると、昼過ぎだと言うのに、一部の空が暗く、寒色の深い色を浮かべている。森をまたいで見えたそれは、ハイラント王国のある方角だった。
胸騒ぎを強くしたエドワードは、王国へ向けて持てる限りの速力で駆けていった。
*
「王様!」
ハイラント王国、城の玉座の間に、衛兵が慌ただしく入ってきた。
「どうした? 魔物でも攻めてきたか?」
対照的に、国王はどこか呑気にそう尋ねる。
「いえ、空を見てください!」
衛兵は玉座の後ろにある、大きな窓を指差した。国王がゆっくりとそちらを振り返る。
――上空に、誰かが「立っていた」。
「なんだ、あの者は」
空気を踏みつけるかのようにそこに立っている彼は、エドワードと同じ程の歳の青年に見えた。
「国王様、あやつは――!」
衛兵が話そうとした瞬間、国王の視界いっぱいに、眩い閃光が煌めいた。