その十 三階
振り上げられたローゴンの大斧が、空気を裂く音を伴いコウタの頭へと落ちていく。
エドワードの方向からは、ローゴンの巨大な背中しか見えない。なので、直後に発生した白い煙が、その背中を包み込んでも、何が起こったのか状況を理解するのに時間がかかった。
大斧が何かを破壊した音が、煙の中からただ聞こえてくる。
何だ、どうなった!?
数瞬の後、その煙からばたばたとコウタが飛び出てきた。
「ぶはぁ、危ねぇ!!」
どうやら、無事な様子だ。大斧の一撃は空振り、再び床面を破壊しただけのようだ。
コウタの姿を見て、ようやくエドワードは、コウタが間際で催涙弾を投げつけて難を逃れたのだと理解する。
催涙弾は、もうなかったんじゃないのか?
必死こいて側まで戻ってきたコウタに、ローゴンが包まれている催涙弾の煙から目を離さずエドワードが訊く。
「敵を騙すには、まず味方からってやつだべ。もう一個だけ持ってたんだ。でも、あれで正真正銘ラスイチだっぺ」
「んだこりゃあ、くだらねぇ!」
コウタが説明し終えたタイミングで、ローゴンが唸りながら大斧を振り回し、煙を切り裂く。発生した風圧が、いとも容易く煙を押しのけた。
「な、おいらの催涙弾、効いてねぇぞ……」
ローゴンは苛つきはしているが、涙も流していなければ咳き込んでもいない。催涙弾の効果は無視して、けろりとした様子だ。咄嗟の目くらましにしかならなかったようである。流石は、魔物のボスといったところか。
「こんな小僧ども相手に、苦戦か?」
ローゴンと逆側、エドワード達の背後から、あの謎の少女の声がした。エドワードは顔だけをそちらへ向ける。彼女からは邪悪な気配はするが、ローゴンからのような攻撃的な圧力は感じない。手を出してくる様子もない。戦闘タイプではないのだろうか。
「苦戦だと? これが苦戦してるように見えんのかよ」
コウタのミノタウロス発言と催涙弾によって苛立っていたローゴンの機嫌は、少女の言葉で完全に沸点へと持っていかれたようだ。怒気が、目に見えるレベルで身体から放出されている。
「俺は魔王軍に入るんだ、こんなゴミどもの相手、すぐに終わらせてやるよ!」
そう言い放つと、ローゴンは再び飛び上がった。それを見たエドワードは緊張すると同時に、少しだが安堵した。
パワーはやばいが、ワンパターンか。
先ほどと同じだ。重力が上乗せされた大斧の一撃はしかし、その派手な予備動作のお陰で確実に躱せる。これに関しては、ハイラント王が言ったように、騎士団のような大軍よりも、機動力のある少数の方が有利なのだろう。エドワードとコウタは横に飛んで、それぞれ余裕すら持って攻撃を回避する。
同じく空振ったローゴンの一撃が、同じように床面を破壊する。だが――先ほどとは違うものが、一点あった。床面の耐久値だ。最初に大斧を叩き込んだ位置とほど近い場所に、もう一度大斧の破壊が加えられる。亀裂は繋がり、陥没が顕著になる。ばきばきと、嫌な音が徐々に巨大化していった。
まずい――!
ローゴン自らの住処である、石造りの塔の四階の耐久力は、限界を迎えてしまった。
派手な音を鳴らしながら、四階の床面は崩れ去った。エドワード、コウタ、ローゴンは下の階、石の迷路のある三階へと落下していく。
ぐっ!
身体中に鈍い痛みを抱えるも、何とかエドワードは軽症で着地できた。三階の石の迷路は健在だが、落ちてきた天井により道は瓦礫の山だ。
肌の露出が多い半袖半ズボンの格好なため、痛々しい切り傷や打ち身が見えてはいるが――片手にはしっかりと、長剣を握り締めている。盾は壊されたが、まだまだ戦いに支障はない。
コウタと、ローゴンはどこだ?
石の壁で仕切られた別の場所に、それぞれが落下してしまったようだ。エドワードの付近にはコウタもローゴンもいない。
ローゴンはくたばってくれていて構わないと思っているが、コウタがうまく着地できず深手を負ってしまっていてはまずい。
コウタを探そうと、一歩踏み出したエドワードの背後の石の壁が、一瞬で吹き飛ぶ。振り返って、飛び散る石の散弾を長剣でガードしたエドワードの視界に――牛頭人身のローゴンの巨体が飛び込んできた。
「見つけたぜぇ」
ローゴンは、大斧を横薙ぎに構える。
――くそっ、通路が狭い!
後ろへと下がって回避したいが、すぐに石の壁がエドワードの背中を打つ。それは次のローゴンの一撃を躱すスペースが、十分にないことを意味していた。比べて、ローゴンは石の壁の障壁を壊しながら、それを無視して攻撃を振るうことができる。行動の制限があるのはこちらだけ。ローゴンの並外れたパワーが生んだ理不尽だ。
ゼロコンマ数秒後、案の定横薙ぎに大斧が飛んでくる。横や後ろへは回避できない――が、巨体のせいか、攻撃の軌道がやや高い。下へは何とか回避できそうだ。
一瞬でそう見極めたエドワードは、僅かに前に入って身を屈ませた。大斧が、髪の毛を掠る感覚があった。ぎりぎりで躱すことができたようだ。
近くで石の壁が、悲鳴を上げている。大斧で吹き飛んで、瓦礫と化したようだ。風圧でさえ、エドワードがよろけかけるほどの威力がある。大斧の攻撃は、絶対に喰らってはならない。
エドワードの目の前には、ローゴンの足があった。反撃を加えてやろうと長剣を動かした瞬間、ローゴンの足も動いた。鋭く、前へ。つま先で、エドワードを蹴り飛ばそうと。エドワードの長剣より、そちらの到来の方が早かった。
エドワードは長剣を盾のようにガードに使い、ローゴンの前蹴りを防いだ。ごんと重い音が響き、身体の芯まで衝撃が伝わる。少し前、コウタを助けようとしたときに腕の一撃を木の盾で防いだ時と同じだ。圧倒的な体重差が為す、重すぎる打撃。
ばきん、と長剣には亀裂が入り、エドワードの身体は宙に浮き――そのまま後ろの瓦礫の山へと吹き飛ばされてしまった。