002ー入学式と準備運動
一年の全クラスおよそ千人が移動を終えた講堂は熱気に満ち溢れていた。
しかし三千人ほどが収まるほどの広さを誇るこの学校の講堂にいる生徒たちは式特有の息苦しさなどは感じずにいられた。
そんな熱気の中、入学式は何事もなく始まる。
「新入生代表、氷宮澪」
そんなアナウンスによく通る声で、はい、と返事した少女は天ヶ崎とは違った意味で有名であった。
まず特筆すべきはその美貌。
カラスの濡れ尾羽のような光を吸い込む黒髪は腰ほどまで長く、シルクのように真っ白な肌とのコントラストを成している。
ちょこんとした鼻や桜色の唇は日本人形さながらに整っていて、氷のように透き通った美しさを持っていた。
一目見るだけでハッと息をのむような、そんな美しさである。
しかし彼女の名が有名なのは美貌だけではない。
『氷宮家の神童』。
生まれて間もなく【特殊技能】が発現し、幼稚園に入る頃にはある程度自由に使いこなせたというその才能は、【魔技士】を志す者一度ならず聞いたことがあるだろう。
その能力は【絶対零度】と呼ばれ、氷結系の能力では最も強力だという。
さらに彼女は新入生代表に選ばれるほど学業も優秀だった。
「すげえ、氷姫だ……」
「あれが噂の氷姫か……」
「本物初めて見る……」
「純粋に結婚してえ……」
彼女の登場にざわざわし始めた空気だったが、澪がお辞儀をした途端に空気がシン、と澄み渡る。
「本日は私たち新入生のためにこのような素晴らしい式を催してくださり、誠にありがとうございます。校長先生をはじめとした先生方、保護者の皆さん、来賓の皆さま、在校生の方々に深く御礼申し上げます――」
透き通った声。
自然と耳に溶け込むようなその声は、聞く人間の心を引き込むものだった。
言っている内容は当たり障りのない、入学式の答辞のテンプレート通りのようであったが、それでも飽きさせないようななにかを彼女は持っていた。
「すげえ、これが氷宮家の神童……」
誰かがふとしたように呟いた。
「――以上を持ちまして、私のご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」
静寂。講堂は夜の水面のように静まり返っていた。
短くはない挨拶だったにもかかわらず、その間退屈を感じる者はほぼいなかった。
再び彼女がお辞儀をしたとき、やっと止まった時間が動き出すほど、人々は彼女の言葉に聞きほれていた。
「氷宮零さん、ありがとうございました。続いて在校生代表、生徒会長の日向小春さん、お願いします――」
その後も式はつつがなく執り行われ、ここに国立魔技士養成学校第一高校72期生が誕生した。
ーーーーー
「えー、お前ら入学おめでとう。多分配られた資料に書いてあったと思うが、これから闘技場行って戦ってもらうことになってる。服とかはあっちに用意されてるからとりあえず移動な」
入学式から教室に戻った東弥たちのクラスは、ぼさぼさ頭の教師片桐からそう告げられた。
「もう行くんですか?」
「さすがに早すぎだろ」
「ていうか入学式の日に戦闘の実習なんてしたくないわ」
息つく間もなく移動ということもあっていくつか愚痴も上がる。
「ただでさえうちは生徒数多いんだから、一年はあんま自由が利かないんだよ」
それに早く帰れた方がお前らもいいだろ、と片桐は言い、支度をするように指示を出した。
個人で用意して来いと言われたものは、脛当てやグローブ等の防具と、【端末】と呼ばれる機械のみ。
先ほど文句を垂れてた生徒もぶつくさ言いながらそれらを準備するのであった。
ーーーーー
闘技場に移動すると、まず戦闘服を受け取ることになった。
戦闘服とは、伸縮性や衝撃吸収性に優れ防刃防熱その他もろもろ耐性がついている、魔技士の正式装備としても使われているものだ。
この学校では無料でこの戦闘服が配布され、実習の際には安全のため着用が義務付けられている。
「えー男子はこっち、女子はこっちの箱の中に入ってると思うから取りに来い。多分名前書いてあるはずだから取り違えないようにな」
片桐は闘技場横にある備品室をあけ、いくつかの段ボールを指さして言った。
いちいち多分やはずが多い片桐である。
東弥はとりあえず外に運び出そうかと、備品室に入って段ボールの一つを持った。
するとそれを見た何人かの男子がそれに続く。
「天ヶ崎くんってやっぱりかっこいいね……」
「ね~、率先してああいうことできるのって憧れちゃうわ」
「天ヶ崎くん、ありがと!」
「あ、ずるい私もー。ありがとうね、天ヶ崎くん!」
見た目はイケメンな天ヶ崎東弥である。
中身がどうであろうと、女子受けはいいのであった。
そんなイケメンが、女子に対してどう反応していいのかわからずに曖昧な笑顔を浮かべながら軽く会釈をすると、女子たちはまた黄色い声を上げた。
「なんかミステリアスって感じがしてかっこいいよね……」
コミュ障もイケメンならミステリアスと映るようである。
「ほい、これお前のな」
「あ、ありがとうございます」
出席番号が一番なので一番上にあったのか、東弥は箱を開けていた男子に服を渡された。
「たく、イケメンはいいよなー。羨ましいぜ。俺は飯塚哲。後ろの席だからよろしくな」
そういえば自己紹介で言ってた気がする、と東弥は必死に名前を覚えようとする。
東弥は記憶力があまりよくない。そのため人の名前を覚えるのも苦手だった。
(飯塚哲、飯塚哲、飯塚哲……)
急に黙りこんだ東弥に少し不安そうな顔をする飯塚。
彼の頭には天ヶ崎家についての噂がよぎっていた。
「あの、なんかごめんな……、気に障ったなら謝るが……」
「え!? はいっ! あの、よろしくお願いします!」
ただぼーっとしてた東弥である。
飯塚は、それじゃあ俺ちょっとあっち行くからと言って彼の友達がいる方へ行ってしまった。
「難しいな……」
取り残された東弥は一人呟くのであった。コミュ障である。
「取ったら更衣室行って着替えてこい。まあなんかあっちの方にあるから行けばわかる」
東弥を含め男子一同は戦闘服を取った後、片桐が顎でしゃくった方向へ歩いて行った。
「あ、早く帰りたいからちゃっちゃと着替えろよー」
背に向けて発せられた片桐の発言を皮切りに、一気に一団は話し始めた。
話題は担任教師の当たりはずれ。
「うちの担任適当過ぎじゃね? この学校の教員になるのめちゃめちゃ大変って聞いたことあるけど、あれ嘘だろ」
「それあるわー。あんな適当でいいんだったら俺でもなれるっての」
「そりゃねえぜ西本、お前成績万年最下位じゃねえかよ!」
「おい、お前それ言うなって! せっかく頭いいキャラで高校スタートしようと思ってたのによー」
「頭いいキャラって発言がもう頭悪いわ」
わははははは、と一部で笑いが起きる。
中学が同じだったのか、もういくつか仲が良いグループもあるようだ。
東弥は、そうした輪には混じれずにいた。
幼稚園から小中学校と訓練漬けの日々を過ごしていたせいで、彼は人と関わったことが少なかったのだ。
それ故同じ中学の人はいるものの、仲がいい人は一人もいなかった。
先ほど話しかけてくれた飯塚も、今は彼自身の友達と話しているため東弥は正真正銘ぼっちであった。
一団が更衣室につき、東弥が服を脱いでいると近くで着替えている人に声をかけられた。
「うっわ筋肉やば! 天ヶ崎くん、だよね?」
「ええ、そうですよ」
「やっぱりめっちゃ鍛えてたりしてたの?」
「まあ小さいころから父に鍛錬させられていたので」
小さいころから疲れ果てる感覚がクセになっており、いつもへとへとになったその先まで鍛錬していたドМである。
さらに彼の【特殊技能】は筋肉の回復も助けるため、人より筋肉も付きやすかった。
「へ~、流石天ヶ崎家だわ。それにしても本当に筋肉すげえな」
「ありがとうございます」
東弥はそう返答した。
「天ヶ崎くんさ、俺ら同じクラスなんだし、敬語なんて使わないでよ」
「そうそう。なんか壁を感じるっていうかさ」
そう言われて、東弥はため口で話そうとしてみる。
「こうです、こうで、こ、こう、こうか……?」
やばい奴である。
「い、いや、天ヶ崎くんが大変ならしなくてもいいけど……」
東弥をちょっとやばい奴かなーと思い始めた一同である。
東弥が敬語しかしゃべれないのも理由があった。
小さいころから鍛錬で多くの時を共にした彼の父親、天ヶ崎道山。
魔技士の中でも【爆炎】の二つ名で恐れられる彼は、東弥が敬語を使わないと烈火のごとく怒ることがあった。
それ故に東弥は敬語以外をしゃべってはいけないと刷り込まれてしまっているのである。
天ヶ崎家の負の連鎖だ。
「すいません。ちょっと無理そうなのでこのままでお願いします……」
「う、うん、全然大丈夫……」
苦笑いしながら話題を東弥から逸らす一同であった。
東弥が着替え終わり闘技場に移動すると、もう何人かは準備運動をしていた。
東弥もその場で屈伸等の定番メニューをこなした後、座り込んで長座体前屈などの柔軟も始めた。
余談ではあるが、東弥はめちゃめちゃ身体が柔らかい。
地面に座り込み前へ上体を倒していくと、べったりと顔が膝についた。
他にも、足は180度に開くし肩関節も柔らかい。
昔、身体がまだ固かった頃は、柔軟をする度に感じる筋が伸びるピリピリとした痛みに快感を覚えていたドМである。
普通は痛くてやめるという限界を超えて伸ばしたりできたことから、彼が人一倍の柔軟性を手に入れるのはこれまた人一倍短い期間だった。
(ちょっと、物足りないな)
一通り柔軟はし終えた東弥だったが、あまり痛みを感じることなく終えてしまったことに若干の物足りなさを覚えていた。
今までの積み重ねで柔軟性を手に入れていたことはドМにとって弊害になるのかもしれない。
「身体すげえ柔らかいんだな」
準備運動をし終わった一人が東弥に話しかけた。
「はい、昔から柔軟は結構やってきたので」
「こんな柔らかい人初めて見たかも。俺は渡辺雄斗。よろしく」
はいよろしくお願いします、と答えた東弥。
話しかけてきた青年渡辺雄斗は、中肉中背というかあまり特徴のない見た目をしていた。
(渡辺雄斗、渡辺雄斗、渡辺雄斗……、あれ、さっきの人はなんていう名前だったっけ)
ドМの頭はザルであった。
東弥の受け答えを聞いた雄斗は東弥に言う。
「敬語使わなくても全然大丈夫だけど……」
「いや、これは性分なので」
「そ、そうか。あー、俺は別に敬語じゃなくてもいいか?」
「構いませんよ」
「……」
「……」
会話が、続かない。
会話が途切れてしまったことを気にしたのか、渡辺は切り出す。
「あー、なんか柔軟手伝ったりしようか?」
東弥は少し考えた後、お願いしますと答える。
手伝ってもらうことによって先ほど感じた物足りなさを解消できるかもしれないと思ったのだ。
もう一回長座体前屈の姿勢になった東弥は、後ろから押してくださいと渡辺に頼む。
「よっし任せろ。こんな感じでいい?」
「もう少し強くお願いします」
「こ、こうか?」
「もっと強くお願いします」
「うーん、こう?」
「じゃあもう乗っちゃってください」
「乗る!? わ、わかった」
身体を前に倒している東弥の背中に渡辺青年は座った。
「あー……、いいですね」
「そ、そうか」
伸びているという感覚もあったが、それ以上に上に座られているという事実に興奮しているドМである。
先ほどの物足りなさが解消されつつあり、ドМ的に大満足であった。
そうこうしている間に男女共に着替え終わった生徒が闘技場に集まってきた。
「お前ら……仲いいな……」
上に乗っかったりしている二人に向けられる視線は、雄斗には恥ずかしく、そして東弥には物足りなくあった。
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