001ー自己紹介とプロローグ
――ガン。
――ガンガン。
その拳が鉄柱を打つたび、辺りに硬質な音が響く。
ワン、ツー。
ワン、ツー、ワン。
リズムよく打ち出した拳が鉄柱に当たると、拳は砕け、ひしゃげ、申し訳程度に巻かれたバンテージには血がにじむ。
しかし彼が再び拳を握り固める頃には、その拳は完全に再生されていた。
彼の【特殊技能】である。
拳。拳。蹴り。
汗を振りまきながら、彼は狂ったように鉄柱を打つ彼は呟く。
「ああ、気持ちいい……」
ーーーーー
「じゃあとりあえず、自己紹介いくか。あーこのあと入学式があるから手短にな。それじゃあ、えーっと……、天ヶ崎東弥から。よろしく」
名前が呼ばれた青年、天ヶ崎東弥は立ち上がった。
彼の茶色の瞳は理知的な光を宿し、明るい栗色の髪は立ち上がった拍子にサラリと流れた。
はい、と上げた声は甘く、目鼻立ちは美を体現するかのように整っている。
端的に言うと、彼はイケメンだったのである。
そのイケメンが立ち上がると、教室にざわめきが走った。
彼がイケメンだったから、だけではない。
天ヶ崎という名前は少なくともこの国において、この学校の生徒にとって、知る人ぞ知る名前であったのだ。
曰く、天ヶ崎家の人間は尋常でないほどの魔力を持つ。
曰く、天ヶ崎家の人間は強力な【特殊技能】を持つ。
曰く、天ヶ崎家の人間はどこか変わっている。
数々の武功を上げた『魔技士』を輩出した天ヶ崎家は同時に、変人奇人の類とされる人間も多く輩出していた。
他と違った感性を持つ天ヶ崎家の人間と関わったことによって苦労した人間も多く、それゆえクラスの人間は東弥との距離を測り損ねていたのだ。
そういった戸惑いの空気を感じつつ、東弥は柔らかに微笑む。
「天ヶ崎東弥です。中学は第一中学に通っており、部活動はやっていませんでした。高校でも部活動に入るかはまだ決めていません。これから一年間、どうぞよろしくお願いします」
普通の、面白味もない自己紹介。
生徒たちは期待を裏切られたような思いになる反面、安心もしていた。
良かった、ただのイケメンだ、と。
天ヶ崎の名に躊躇することなくお近づきになることができそうだ、と。
しかしこのイケメン、やはり只者ではなかったのである。
尋常でないほど、ドМだったのだ。
ーーーーー
世界各地に怪物を生み出す【穴】が生まれ始めたのは、もう100年以上昔のことだ。
最初カナダの片田舎の農村に現れたそれは、たちまち家畜を殺し農家を殺した。
たった一体だけにも関わらず大きな被害を出したのには訳があった。
その怪物は、銃火器が聞かなかったのだ。
銃火器だけではない。どんな硬いもので攻撃してもそれには通じず、どんな熱にも耐える。
最終的に落とし穴にかけられセメントで固められたその怪物――【魔物】は今でも地中に眠っており、その上に今も慰霊碑が建てられているという。
その頃から、世界中で生まれてくる子供たちに【特殊技能】と呼ばれる力が宿るようになった。
重いものを持ち上げる怪力や何もないところに火をつける力、壁を通り抜ける力などその能力は多岐に渡り、そしてそれらの力を持つ子の攻撃は怪物に対して有効なダメージを与えることができた。
それが体に宿る【魔力】や【気】と呼ばれるものによるとわかったのは80年程前のこと。それ以来、魔力の運用によって【特殊技能】を再現する技術、通称【魔法】が体系化されてきた。
この学校は、そうした【魔法】や【特殊技能】を用いた戦い方を学び、将来【魔物】と戦う【魔技士】を育成する学校である。
ーーーーー
国立魔技士養成学校第一高校においても、入学式の朝はやはり騒がしいものだった。
「どこの学校出身?」
「好きなものはなに?」
などのありきたりな質問も飛び交い、さらには、
「【特殊技能】はなに?」
という共通の話題まであるのである。
この学校に通う生徒ならほぼ全ての人が持っている【特殊技能】。
これは、初対面でも割と気軽に盛り上がれる話題であった。
教室の最前列の隅、そこに静かに腰掛ける青年、天ヶ崎東弥。
彼はイケメンだった。
それは、今まで奥手だった女子が初めて自分から男子に声をかけようと決断するほどだった。
「あ、あの、初めまして! 私は川上千里って言います。もし良かったら、名前を教えてもらってもいい?」
隣の席の女子――川上千里――に話しかけられたイケメンは答える。
「天ヶ崎東弥です」
「天ヶ崎、東弥くん……」
その名前を聞いた途端、川上は自分の行動を少し後悔していた。
あの、悪名高い天ヶ崎である。
やばい奴が多く、できるだけ関わらない方がいいという噂を聞いたのは一度や二度ではない。
もしかしたら同姓なだけかもしれない。
でも本当にあの天ヶ崎だったら……。
チラリ、と川上は東弥の横顔を盗み見る。
(かっこいい……)
そこにはイケメンがいた。
結局川上は、もう少し会話を続けることを選択した。
顔はよく見積もっても中の上。
親戚か女友達くらいからしかかわいいとは言われたこともなく、男っ気なんて一切ない。
そんな人生を送ってきた川上には、東弥のようなどこかの雑誌にでも載ってそうなイケメンは見たことすらなく、一切の耐性がなかったのだ。
つまり、一目惚れである。
完全に惚れた川上は、グッと距離を縮めようと東弥を下の名前で呼ぶ英断をした。
「えーと、と東弥くんはさ……、あ、あの! どんな【特技】を持ってるの?」
男子を下の名前で呼ぶどころか碌に仲良い男子がいなかった川上にとって、これはかなり勇気がいる行動だった。
(わー! 私、下の名前で呼んじゃった! どうしよう、初対面なのにがっついてるとか思われたりしてないかな。急になんだこの女は、とか思われてないかな。あーもう、言わなきゃよかった)
口に出した後も後悔が頭をぐるぐるし、自身の「東弥くん」という声が何度も頭で反芻される。
一目惚れした勢いはよかったものの、メンタルがそれに追いつかなかったようだ。
しかしそんな彼女の心境には気付かず、東弥は答える。
「僕は、回復系の【特殊技能】を持ってますよ。見ます?」
そう言うとイケメンは右手で左手の人差し指を掴んだ。
「え、えと、東弥くん、一体何を……?」
「まあ、見ててください」
そして――
――ポキッ。
乾いた音が響く。
東弥の指は、あらぬ方向へ曲げられ、見る見る間に赤く腫れていく。
完全に骨が折れているようだ。
「ほら、こうして折れた指も……」
そう言って川上の前に指を突きつける東弥の顔は、どこか恍惚としているように見えた。
今現在も骨を折ることによる痛みを感じ、さらには目の前の女子生徒に全力で引かれてることを感じ興奮しているドMが、そこにはいた。
変態である。
「ひぃ、あ、あの、え……、あの……? え?」
止める間もなく目の前で行われた凶行。
川上は思考が停止していた。
そのフリーズは、東弥がもう一度声をかけたことでようやく解除される。
「大丈夫ですよ、見ててください」
ドМがそう言った時にはもう、再生は始まっていた。
赤い腫れが段々引いていき、折れて変な方向に曲がっていた指が勝手に真っ直ぐに戻っていく。
数秒とせずにその再生は完了し、ドMは指を曲げ伸ばしすることによって完全に治ったことをアピールする。
「ほら、大丈夫でしょう? これが僕の【特殊技能】です」
にこやかに微笑むドМである。
どうやら、天ヶ崎家の【特殊技能】が強力であるという噂も、嘘ではなかったらしい。
そしてもう一つの噂――天ヶ崎家の人間がやばい奴であるという噂も……。
当たり障りない話題を選択したはずが、相手は自らの人差し指を平然と折り、さらにそれは【魔法】でも再現が難しいほどの速度で回復する。
川上は目の前のイケメンが怖くてたまらなく感じた。
自分が一目惚れしたと感じたのは、きっと気のせいだったのだ。
そう思い、彼女はまた一つ決断した。
「あ、あの、ありがとう、ね……天ヶ崎くん。えーっと、あの、ちょっと私、お手洗いに……」
――逃げの一手である。
女子がプライドを捨ててお手洗いに行くと口に出すほど、彼女はこのドМから逃げたがっていた。
曰く、とてもじゃないが手に負えない、と。
彼女がトイレから戻りしばらくの後、ガラガラ、と音を立てて教室の引き戸が引かれた。
入ってきたのは髪もボサボサで服もシワだらけの、かろうじてスーツに見える何かを肩に引っ掛けた若い男だった。
「あー、諸君おはよう。俺がこのクラスの担任の片桐昴だ。えー、おはよう」
片桐はそれだけ言い終わると、教卓にどっかりと腰を下ろした。
「なんか学校について質問したいやつは多分届いてるはずの書類でも読んでくれ。多分書いてある。それでも聞きたいなら家帰った後学校に電話すれば誰かいるかもな」
そのなんとも投げやりで適当な態度に教室はざわめき始める。
しかし片桐は片手を上げてそれを制した。
「じゃあとりあえず、自己紹介いくか。あーこのあと入学式があるから手短にな。それじゃあ、えーっと……、天ヶ崎東弥から。よろしく」
こうして冒頭に行き着く。
天ヶ崎家にしてはまともとも取れる自己紹介を聞き、生徒たちが「あれ? 案外普通じゃね?」と安堵した時、隣の席の女子はやたらと遠い目していたという――――。
8月18日
表現等をかなり修正いたしました。
設定に変更はございません。
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