絢という少女5
思っていたよりも書くのに時間かかりました。
スウハァーと扉の前で何度も何度も深呼吸。
時間帯は、昨日俺がこの場所を訪れたのと大体同じくらいの時刻、太陽がその頂点から少しずれた、午後一時。
昼食を食べ終え、若干の眠気を身に感じる時間帯に、扉の前にいた。
昨日、あんなに軽かったチャイムが今日はやけに重い。軽く飛び上がれば手が届くというのに、足がすくむ。
大きく、息を吸い吐く。
これではダメだと、一旦家の敷地の外に出た。
もう一度深呼吸。
それでも踏ん切りが付かず、家の敷地には入れない。
そのため、自分にとって最も、精神的な負担が少ない方法で彼女の部屋を覗く。昨日彼女の家を訪れたのだ場所は分かる。
知覚領域を広げることでも、千里眼のような透視能力も、同じく魔術で再現が可能。だから、覗くこと等造作もない。
彼女は予想どうり部屋の中。漫画を読んでいた。漫画のキャラに成りきっていた。
それも、一心不乱に。
この年頃の少女なら、それほど珍しい物ではないのかもしれない。漫画やアニメを見てごっこ遊びをするのは、けれど、違う。これは違った。
どうしてか、彼女は泣いていたのだから。
きっと、泣いているのは今回だけではないのだろう。彼女が手にしている漫画の文字の部分が幾つも黒く滲んでいる。
あんなに悲しそうなのに、辛そうなのにそれでも一人だけの朗読会は続いていく。
一体この光景は何を意味しているのか。
朗読が一段落するとノートに何かを書き綴る。何を書いているのだろうと気になり知覚の精度をさらに上げると、そこに書かれていたのは彼女の人物設定だ。
日記も兼ねているのだろう、見えたのは数ページなのに生々しい彼女の思いが幾つも綴られていた。
彼女の口調も、そこにあった。
思わず、目をそらした。
これはきっと禁断の果実だ。善と悪の基準を秤にかける。それも天秤の上でだ。
そう言った意味では罪を量る秤に近しいものがあるのかもしれない。片方には心臓をもう片方には羽を載せて量るのだ。
人間としての吟味が覗く事を固く禁じてくる。
だが、覗いたのならば自由の翼を手に入れられる。この暗闇に包まれた大地から飛び立てる翼をだ。
こんなもの見なければよかった。あまりにも重い、重すぎる。
意図して覗いたそれはずっしりと両手にのしかかり、全身を這いもはや離れまいと背中から存在を主張してくる。
きっとこの無味乾燥とした薄っぺらい紙切れには、彼女自身の心が詰まっていた。
どうしようもなく冷めこんだ心がだ。
途端にこれまで、彼女と行ってきた、コミュニケーションが薄っぺらい物へと思えてしまう。
自分自身とて、彼女に対して語っていない事が多いが、それでも之はない。
胸の奥がじんじんと痛み出す。心臓がら直接流れ出す命の滴が、胃を痛め、脳を蝕み、心を沈めていく。イタイイタイと苦痛が肌の上を這いずり回っているというのに、傷ついているのは奥まった暗い所であるせいで、手が届かずに絆創膏すら張る事が出来ない。
これは、敗北宣言だ。
このまま引いたら、自分自身で認めてしまう。
周りが悪い、そんな言い訳は力がない奴が言う言葉だ。
核兵器さえ超越する力を持った存在がそうした言葉を口にする等間違っている。
だから、口にできない。
感情は彼女を救えと呼びかけ、本能はたまらなく逃げ出したくなる。
それでも、俺は前に進みたい!!
この哀れな少女を見捨てては自分自身が変わっていないという証明になってしまうのだから。
そう決心し前へと。
ようやく押せた!
チャイムに備え付けられたカメラでこちらを観察しようにも、身長のせいで姿を見れないことをいい事に、出てくる直前まで顔に笑顔を無理やり貼り付けて。
「よっ、体は大丈夫か、昨日も体調悪そうだから心配したんだぞ」
綺麗に笑えていることを意識して、元気よく“絢”に声をかける。
この雛鳥だけは、自分が守らなければならないから。
「え~と、確か、ジョウイ君でしたね」
う~ん、これはどちらだ、単に名前を覚えていないのか、それとも九条一谷からもじってジョウイと呼んだのか。真相は闇の中だが、まぁいいだろう。
「俺の名前は九条一谷だよ。けど、君がそう言いたいならそう呼んでくれ」
「ああ、そうだったのですね。どうか、ご容赦くださいな九条君」
こいつ、覚えていなかっただけか。
「それで、本日はどのようなご用件でございましょう」
そういって、芝居がかった調子でにっこりとほほ笑んでくる。
さっきまでの自分なら、何とも思わなかったであろうこの行為も、今の自分には違和感しか感じられない。
「昨日約束しただろう!! 一緒に遊びに行こうってな」
「ハァ!? なにそれ、聞いてないんだけ・・・・・・聞き覚えがございませんよ」
僅かでも、きっとこれが彼女の地なんだ。それが表に出たのがうれしく思えてしまう。
「ほら早く来いよ」そう言って、彼女の手を力強く握ると、終いには何かを諦めたような表情になって、
絢の家から一歩踏み出した。
一歩一歩、外へと進むたびに、肌に巻きついてくる重々しい空気が、あの酷く不快な肌を舐めまわすような感触が薄まって行く。
それはまるで都市の粘着くような空気が、森林の澄んださわやかな空気へ変貌していくようなもので、息苦しさから一転、身体に流れ込む活気を与えてくる。
今なら、どこまでも歩いて行けそうだ。
はい、結論。
どんなに気分が高揚してもどこまでもはいけません。現実という問題があるからね。
こんな所で、昨日無駄に散財したツケが回ってきやがった。
遊びに使える金がない。
仕方がないので公園に向かったのだが、正直に言おう、どうやって遊べばいいのか分からない。
まだ何人か、五、六人いれば、ボール遊びが出来るのだが、たったの二人、肝心のボールすらない、つまり、何も出来ない。
何人か人がいるので、混ぜて貰うというのも考えたが、流石に幼児に頭を下げるのはプライド的な問題で・・・・・・。
さてどうしたものかと、辺りを見回した時に目に付いたのが、シーソー。幸いなことに誰も使っていない。
「おい、見てくれ、どうだ、サーフィン」
俺がやった事はシーソーの中心に立ち、両端が地面に付かないように調整するというもの。これが中々難しく、少しでも油断すると地面に打ち付けられてしまいそうになるのだ。
一人で行う暇つぶしにもってこいのこれを見ても絢は何の反応も示さない。見た目が地味なせいで、すごさが伝わっていないのか? 終始無言。
「楽しいのですか? それ」
まぁ、解るよ。多分俺もいきなり連れてこられて、こんな物を見せられたら、同じ様な反応をすると思うから。
「さぁ、やってみろよ。意外と難しいんだからな」
やってみろよと、視線を向けると、渋々といった感じでこっちに歩いて来てくれた。
もう一方の、シーソーに足を乗せると、バランスを取るのだが、数秒でグラグラと揺れ始め、直ぐに地面についた、一瞬優越感に浸れたが、しかし、地面に落ちた時の衝撃で彼女自身も振り落とされてしまう。
大丈夫かと思ったのだが、しっかりと地面に手をついている、受身は出来ているしパッと見怪我もなさそうだ。
むしろ問題だったのは、地面に脚を付いたまま大開になっているスカートだろうか。
水色に縞パンという何ともアザトイ、チョイスが目の前にあった。
だが、俺も大人。こういう時の対処はもう知っている。慌てて絢から目をそらすと、彼女の方は何とも不思議そうにこちらを見つめる。
パンツがモロ見えを気がついていないのか、それとも気にしていないのか。
とりあえず、もう、この遊びは終わりにしよう。
一度失敗したせいか、ムキになって再度挑戦しようとする絢をひっぱて次は何をしようかと考える。
滑り台とか、ブランコは却下だ。
より創造的な遊びとなると、砂場か? お城でも作れれば面白いのだろうが、流石にな。
となると、俺にできる暇つぶしなんて、高い所に登る程度の事かな。
別に木登りが好きという事はないのだが、ただ、他人よりも高い所で、風に当たるのが好きというだけ。
前世で学校に居た時はよく窓を開けて空を見ていた。
友達がまだ居た時もそうだったのだから、孤独に対する逃避ではないはずだ。
流石に屋上は鍵が掛かっていて入れなかったが、それでも三階の校舎から入ってきた風はとても気持ち良かったと記憶している。
それは独りに成ったとしても変わる事がない出来事だった。
「よし、今度は木に登ろうぜ」
きっと、彼女は多少強引にでも、引っ張っていかないと付いて来てくれない。それが分かっているから、握りしめた手を放したくはなかった。
その気になれば、木に登るどころか、木そのものを飛び越えられるだけの筋力を持った俺にとったら大した問題ではない。
実際に木の枝に脚を付け、安定した姿勢を取るのに数秒た掛からない。だが、彼女の方は違うらしい。
両手両足で、コアラの様に木に抱きついて少しでいいから上に上がろうと、手足を動かしているのだが、数cm上に行くとずり落ちて努力が水の泡に。文句を言わずに実行したのは、俺がこともなにげに木に登ったのを目にしたせいか。仕方なく上から手を伸ばしてやるものの、背が小さいということもあってか、ピョンピョンと飛び跳ねるだけでは届かずに、助走を付けて、木の幹を思いっきり蹴り上げることでようやく、手と手がつながった。
正直言うと、絢が此処まで付き合いがいいとは思わなかった。
何となく冷めた雰囲気を持っているから、飽きたらほっぽり出して帰っていくくらいの事はするだろうなと思っていたのだが、でも、年齢を考えればそれほど不思議な事ではないか。
そう考えなおすと絢を伴い上へ上へ向かっていったのだが、真の恐怖はこのあと訪れることとなる。
流石に、登れるだけ登った到達点から一機に飛び降りるのは不審がられるし、ぶっちゃけて言うと、顔面から飛び降りたとしても傷所が痛みさえ感じないと確信できるが、それでも恐怖心はあるのだ。
木の枝から木の枝へと、華麗な体裁きで飛び移る、我ながら会心の出来だ。
絢を手伝ってやろうかと思うが周囲に人の目がある。誰かに不審に思われない範囲で手助けするとしても、むしろ邪魔になるだけだろうと思いさっさと下に降りたのが失敗の原因だ。
「いや、あの、すいません。揺らさないで、蹴らないで、ほら私スカートですよ。そんな下から覗き込んだのなら、パンツ見えちゃいますよ。丸見えですよ。訴えられても勝てないんですよね。どうぞ、安静になさっててくださいな」
どうやら先ほどのシーソーの一件は、単に気が付いていなかっただけみたいだ。
素直に口にしたら、何されるか分かったものではないから、黙っておこう。
案外彼女も、高い所が好きらしい。俺が下に降りてから数十秒間、じっと空を眺めていたのだから。原作ではあまり描かれていなかったが、どうやら運動神経は結構いいほうらしい。
まぁ、登場人物がどいつもこいつも人外レベルのバトル漫画の中で、一般人のレベルで運動神経がいいといっても、意味なんて物みじんもないのだが。
下に降りる時初めは恐る恐ると行った感があったが、問題は発生しなかったのがその証拠と言える。
問題なく枝と枝とを行き来できていた。
問題が発生したのが最後の最後、足場に出来る枝がなく、あとは飛び降りるという所になって絢は怖気づいてしまったのだ。
ついでに言うと、ここに来て、俺の中に眠る悪戯心が湧き上がってきた。
大丈夫だ、彼女だって言ったではないか、子供は何をやった手許されると(曲解)。
ゲシゲシ、ゲシゲシと、下から彼女が今いる気を蹴りつけてやる。それなりに幹が太いのではた目から見ても揺れているようには見えないが、それでも多少の振動を彼女は感じているのか、下から、こちらを睨むように文句を言ってきたが、無視だ無視。
「ハッ、幼女のパンツになんか興味ねえよ」
「ま、まさか」
さすがに今のは問題発言だったか、自分で言っておいてなんだが、ちょっとした自己嫌悪が自分の中に芽生えてきた。
「あなたって、熟女好き」
「どこで覚えてきたそんな言葉!!」
俺は、木を蹴る力をさらに強くした。
「すごいですね。この言葉の意味を知っているなんて、どうぞ、教えてくださいな」
「えっと、ああ、そうだ、どうしてこんな言葉を使ったんだ」
まずい、このままでは無垢な少女をダークサイドに引きずり込んでしまう。
「どうしてって、同年代の人に興味がない人の総称が熟女好きっていう意味ですよね」続けて「ネトゲの人が言っていました」と締めくくった。
今すぐぶん殴りたい、その変態。
この衝撃の事実を耳にしては、その変態が誰なのかを問い詰めなければならない。
まぁ、良かったこととしては、話のあまりの衝撃差具合に絢が恐怖を忘れて、すんなりと降りれたことか。
降りたというよりもずり落ちるといった感じだが、それでも足から綺麗に着地している所を見ると、肉体的なポテンシャルの高さを改めて目にできた。
このまま鍛えていけば接近戦も出来るかもしれないな。脳裏にそんな考えがかすめた。
よし、もう少し距離を詰めたら、遊びと賞して戦闘訓練しよう!! 意外にノリが良い絢の事だ。押し切ればついてきてくれる。
だが、綺麗に着地した絢はうずくまったまま。怪我をしたようには見えなかったが。
「良かった~、ホント良かった~」
なんか泣いていた。どうしよう俺、散々虐めてたんだけど。
悪くないよね、これ。ねぇ。
周囲を伺うように、辺りを見回していくが、もうすでに幾つかの視線がこちらに向いていた。
「悪かった、俺が悪かったよ。絢」
思わず勢いのまま、彼女の名前を読んでしまったが、気にしていないのか、気づく余裕がないのか、と思考を回したが、このくらいの子の名前呼びくらい大した問題ではないよなと、すぐに思い直す。
こんな事でテンパっているぐらいには俺も慌てふためいているのだ。
「そうだ。アイスおごってやろう。アイスだぞ、アイス」
出費は痛いが泣き止んでくれるなら安いものだ。
その後も色々と交換条件を出したのだが、泣き止んだのはそれから数分を擁してしまった。
だが、これで漸く本題を切り出せる。
「それで、ネトゲの人って一体どんな人なんだ」
「何故、そのようなことをお聞きになるのでございましょうか」
口調が戻っているし本格的に大丈夫そうだな。
「どんなゲームだ、ユーザー名は」
「確か、ゲームはログ・ホラ。ユーザはイッチーさんですね」
―ーあれ、その名は・・・・・・。
「たしか、ゲーム内で私の実年齢を暴露したんですが、その時、アク・ロリータさんが、ロリの魅力について熱く語ってくれて、イッチーさんを仲間に引き入れようとしたのですが、自分は年上好きだと明言なさり、そこで、熟女好きという言葉が、ロリータさんから飛び出したのですが、すぐさまPKされました。その後、私は、熟女好きとはどのような意味なのか問うたのですが、先ほどの返答が帰ってきたのですよ」
汗がとめどなく流れ出る、あの最強のロリコンな名前をもじった、あいつの言葉。もしかして、俺か、変態は。・・・・・・よし、考えるのやーめた。
さぁ、遊ぶぞ!!
あれ、おかしいなこれ。ファンタジー、ライトノベル感覚で書いていたのに、文学ぽっくなっていている気がする。