■ 8話
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今日は小雨が降り続いており、由たちは教室で昼食をとっていた。夏知のファンたちは、クラスに押し掛けると迷惑になると言うことで、今日は来ていない。夏知に嫌われない、他人に迷惑をかけないが、彼女たちのモットーなのだ。あいかわらず統制のとれたファンなのであった。
クラスメイトたちは、いくら由と璃々世がひと目をひき付けてやまないといっても、さすがに慣れてきたらしく、いくらか騒ぎもおさまってきたようだ。
璃々世の前には、いつものように由の作ったお弁当が並べられている。三段重ねの重箱は、四人分ではなくひとり分だ。璃々世はたいそう幸せそうな顔で食べるので、由はそれをながめながら、しあわせに浸っていた。
はた目から見れば、璃々世の顔はいつものように無表情だ。ただ、よくよく見ればわずかに頬がゆるんでいるようにも見える、というふうだった。
由には、そのわずかな違いがはっきりとわかるのだろう。
「ち、ちょっと、そこのあなた」
遠慮がちだが、少女の勝ち気そうな声がかかる。上級生である前泉すみれが、ドアのところに立っていた。
だれを呼んでいるのかわからなかったが、どうやら視線は由に向けられているようだ。目をまたたいて、由はそちらへ向かった。
上級生の訪問に、クラスメイトはさすがに興味津々といった様子だ。女同士のバトルが始まるとさえ、期待しているような者もいる。璃々世は変わらず昼食に夢中のようだが、さらに無表情になっているようにも見えた。
彼女の前に立つと、由はにっこりとほほえんだ。由の方が、すみれよりいくらか身長が高い。
「先輩、この前はたいへんでしたね」
「何のこと……ああ、もしかして、弟さんから聞いたの?」
腕を組んだすみれは、由を直視せずに言った。内にまかれた髪を、しきりに指でいじっている。うつむいた彼女は頬が赤いようで、体調でも悪いのだろうかと、由は不思議に思った。
勝ち気そうに見える彼女が、もじもじとしている姿は少々意外に見える。
「それで、あなたの弟、あらためて紹介してほしいんだけど。その……お礼も言えなかったし」
「お礼? おれの弟と会ったことあるんですか?」
「だ、だから、昨日助けてもらったから。って、あなた、弟さんからその話聞いてるんじゃなかったの?」
由との話がかみ合わず、すみれが耐えかねたのか思わず顔をあげた。由は心から驚いて言う。
「話は聞いてないですけど。先輩、あの後、またからまれたりしたんですか?」
「……またって、どういうこと?」
うたがわしげに、すみれは由を見つめた。
「え、昨日おれと街で会ったとき、変なやつにからまれていたみたいだったから」
すみれは、しばし無言になった。つられて、由も無言になる。クラスメイトも静かになったふたりを、けげんに見守っていた。
しばらくの沈黙があって、先に口を開いたのはすみれだった。答えにたどりつきそうだが、その真実を直視したくないといった様子だ。
「……昨日、あなたもそばにいたの?」
「そば? いや、おれしかいませんでしたよ。買い物に行く途中だったので、送れなくてすみませんでした。それで、弟って……」
「いいわ。ちょっと失礼するわよ」
すみれは、おもむろに由の左胸に自分のてのひらをあてがった。それを見ていたクラスの男子がざわめき立つ。由は何も感じるところもなく、目をまたたいている。
すみれは手を離すと、自分の手のひらを見つめてから、あらためてじっくりと上から下まで由を見つめた。
それから、かなり長い間黙っていたが、ふいに言った。
「……あなた、もしかして男?」
この発言に、クラスの男子たちはさかんに言い合う。
「先輩何言ってるんですか?」
「面白い冗談ですね。こんな美少女が男って、ないでしょ」
「てか、今、胸さわってた?」
さすがに笑いが起こっており、すっかり冗談だと思われている。すみれとしても、自分がいかにおかしな発言をしているか、理解はしている表情だ。ただ、たどりついた答えが、それしかなかったのだ。
由はたいそうびっくりしたらしく、目を丸くして答えた。
「えっ、おれ男ですよ。知りませんでしたか?」
今度ぎょっとしたのは、クラスメイトだった。絶叫が巻き起こり、隣のクラスまでもなにごとかと顔を出している。
目をぱちくりさせて、由はクラス中を見回した。ほとんどが驚いた顔になっていたが、すぐに冷静さを取り戻し、口々に勝手なことを言い始めている。
「さすがに冗談でしょ。由ちゃん、先輩につきあってあげただけだよね」
「そうそう。そんな嘘、ばればれだって」
「だよなあ、こんなに可愛いのに、男ってないわー」
「男なわけないよなあ」
だれも信じる者はいないようだった。騒ぐだけ騒いで、すでに解散ムードになっている。これには由の方が驚き、さすがにむっとした。
「だから、男だって言ってるだろ」
再度言いながら、由がおもむろにセーラー服を脱ぎ始めたので、クラス中に学校がひっくり返るかのような仰天の声があがった。一方で、うれしがっているような声も届いてきたが、教室内はすぐに静けさを取り戻した。
むしろ、凍りついたといってもいい。
セーラー服を豪快に脱ぎ捨てた由は、上半身に何も着ていなかった。ほどよくひきしまった腹筋から上に視線をずらすと、ひどく平らな胸に目が行く。貧相な胸というわけではなく、そもそも身体つきが少女のものではない。
それから、由は髪に手をやるといささか乱暴に黒く長い髪が取れた。下は同じくさらさらと流れる黒い髪だったが、今は少し押さえつけられてぺたりと寝てしまっている。
長くつややかな髪の毛は、ウィッグだったのだ。息をついた由は、とても楽そうだった。
由が目のあたりも手の甲でこすると、いくらか目の大きさも変わって見える。うっすらとだが、化粧もしていたらしい。
少女の姿を脱ぎ捨てた津金澤由は、まちがいなく青年だった。
「う、嘘だろ」
「詐欺だ」
「えっ、ちょっとかっこよくない?」
今度は女子までもざわざわとし始める。
整った目鼻立ちに漆黒の髪、さわやかなルックス。美少女だとばかり思われていた人物は、実は端整な青年だったのだから、当然の騒ぎではあった。
そんな中、落ち着いているのは璃々世、夏知、深子、複雑そうな表情をしているすみれぐらいだった。
深子は周囲を見渡しながら、しみじみとつぶやく。
「そうだろうとは思ったけど、やっぱりみんな気づいていなかったんだねえ」
騒然とする周囲にとんちゃくせず、由はそちらに近づいた。上半身は裸で下はプリーツスカートという姿なので、妙な状態ではある。
「藤門さんと明石谷さんは、気づいてたんだな」
「うん、でも何かお家の事情とかあるのかなあって。例えば、由ちゃんは王族の生き残りで命を狙われていて、女の子のかっこうをして逃げている……とか。それとも、実は双子で、双子はその王国で不吉と言われているから幼い頃に殺されそうになったんだけど、実は女の子として生きのびていた、とか」
「い、いやあ、うちはごく普通の一般家庭だけど……。あと、双子でもないし」
目を輝かせる深子は、何やら頭の中でストーリーが爆発しているようだ。苦笑いする由は、夏知に目をやる。彼女は肩をすくめ、続けてたずねた。
「だったらなぜ、あんなかっこうをしていたんだい? まあ、美しい者に性別なんて関係ないけれどね」
「それはもちろん、璃々世のためです。昔っから男が嫌いでしたから。それで、璃々世を怖がらせないように、女のかっこうをしてたんですけど。なあ、璃々世」
あらためてそちらを見ると、璃々世は大きな目をさらに大きくしていた。言葉が出ないといった様子だ。
「あれ? りりちゃん、どうしたの?」