■ 6話
* * *
定期試験が終わって数日が経ったころ、にわかに教室はざわついていた。さきほど、試験の結果と順位がそれぞれの生徒に配られたところだったのだ。放課後ということもあり、教室ではそれぞれグループになって話し込んでいる生徒の姿ががる。
「いつも深子には関心させられるね。生徒会も趣味もがんばっているのに、学業もおろそかにしないのだから」
心から言いながら、夏知は深子の頭をやさしくなでている。深子の茶色の髪はやわらかそうで、そうやっているといっそう幼く見えた。
その様子を、案の定、羨望のまなざしで見守るファンの姿もあった。数人の女子と男子が、まるで保護者のような目で深子を見つめており、一定数のファンもいるようだ。幼い子どものように見えるので、可愛らしく思ってしまうのだろう。
そんな視線にもまったく気づかず、深子はほほを染めて、こどもっぽい笑みを浮かべて言う。
「えへへ、ありがとう。なっちゃんもお疲れさま」
「藤門さんってすごいんだな」
由は驚きの声をあげる。璃々世も無言で何度もうなずいており、同意しているようだ。尊敬のまなざしとも言える。
「そんなことないよ。偶然だよ」
深子は大変恥ずかしそうに、あたふたとしている。小動物のような仕草に、思わずその場がなごんだ。
深子の結果は学年一位であり、よくよく聞いてみると中学のころから常にトップの成績だったようだ。見た目は小学生のように見える彼女だが、生徒会でも活躍しているところを見ると、とても頭がきれるのだろう。
「璃々世はどうだったんだ? 昔は算数苦手だったよな」
由が明るく聞くと、璃々世はまつげを伏せただけだった。少々暗い顔をしている。表情から察するに、あまり思わしくはなかったようだ。しかし、気をつけて見ておかなければ気づかないような、ささいな変化だったけれど。
「……解答欄、ひとつ、ずれちゃって……」
落ち込んだ様子で璃々世がつぶやくので、由はとてもかわいそうになる。
「だいじょうぶだよ璃々世、次にがんばればいいんだから、な?」
由はさりげなく璃々世の髪をなで、にっこりとほほえんだ。落ち込んでいた璃々世も、いくらかほおをゆるませたようだ。
「そうだ、また一緒に勉強しよう。苦手なところがあるなら、教えてあげるから」
「……うん。ありがとう」
ささやくような声でうなずく璃々世は、心からうれしそうだ。安心して、由もつられてしまう。
ふたりの間に、あたたかな空気が流れていた。
「ふうむ、それにしても私の順位が下がったのが気になるね。点数的には変わらなかったんだけれど、だれかにぬかれてしまったようだ。かわい子ちゃんなら、がんばったねとほめてあげるところなんだが……」
夏知は美しく笑顔を浮かべており、あまり残念がっている様子ではない。それどころか、喜んでいるようにも見えた。夏知は視線を周囲に投げかけたが、黄色い声援が返ってきたのみであり、夏知の探す人物はいなかったようだ。
深子も彼女の成績をながめながら、感心したように声をあげる。
「なっちゃんって、だいたい二位だもんね。だれだろう? 三位の子ががんばったのかなあ?」
「あ、二位はおれだ」
自分のこととは思っていなかった由は、思わず片手をあげた。すっかりふたりの世界に入り込んでいたので、夏知の話を聞いていなかったのだ。
「えっ、由ちゃんって頭もいいんだ」
「すっげえ、美少女なのに頭もいいなんて、完ぺきなんだな」
その瞬時、周囲にいた男子生徒がざわめき出す。男子が興奮した様子で顔を近づけてきたので、由は璃々世を背にかばった。
「どさくさにまぎれて璃々世に近寄るな」
腕でガードしながら、由はたいへん迷惑そうに言う。近寄られているのは由なのだが、本人にとっては璃々世が近くにいるので関係ない。璃々世に近寄る男は敵なのである。
後ろにかばわれた璃々世は、この場の騒動に目をぱちくりさせていた。
「由ちゃんって、ほんとに何でもできちゃうんだねえ。うちってけっこう偏差値高いんだよ」
深子が褒めたので、由は照れてしまう。
「いや、そんな大そうなことでは」
幼いころ、璃々世が勉強を苦手としていて、彼女に教えてあげたいと強く思っていた由は、いつの間にか勉強が得意になっていたのだ。どちらかといえば、ただただ彼女と一緒にいたかっただけだったのだが。
それから、もともと飲み込みがよかったので、学力もぐんぐん伸びたというわけだ。
璃々世のためと思えば、何だってがんばれるのだ。由はひとりで納得し、これからもがんばろうと考えた。
「これは、人気がとられてしまわないように、わたしもいっそう励まなければいけないね」
「い、いやー……明石谷さんの人気とはまったく関係ないような」
王子さまのような爽やかな笑顔に、由は思わずかわいた笑いを浮かべる。
「ていうか、俺に勉強教えてよー。由ちゃんが教えてくれて、璃々世ちゃんも一緒なんて、俺、ぜったいがんばれると思うんだよね」
「あ、ずっりー俺も俺も」
男子生徒たちは、招かれてもいないのに勝手に挙手を始めている。わいわいとし始めて、収集がつかなくなってしまっていた。
「やかましい、おれと璃々世の邪魔をするな」
由は噛みつくように言うが、彼らはそれすらうれしいようだ。むしろ、由に怒られたくてやっているようにも見える。
勝手に盛り上がる男子生徒どもに、璃々世を近づかせてなるものかというように、由はいっそう彼女を守りに入った。
「璃々世、さっさと帰ろう」
由は自分と璃々世の分のかばんをつかむと、ぼんやりとしている彼女の白い手をひいた。
「あ……」
小さいが、びっくりしたような声が届いた瞬間、由の身体は後ろに引っ張られて、思わず体勢をくずしそうになる。
何事かと思って背後をふりかえると、璃々世が思い切り床につんのめっていた。教室が水を打ったように静まりかえっている。
「り、璃々世っ、大丈夫か?」
あわてて璃々世を抱き起こしてやると、彼女の白い額が少々赤くなっていた。本人はまるで無表情のように見えるが、大きなひとみはうるんでいるようにも見える。
「……いたい」
あまり感情はこもっていなかったが、璃々世の声に由は彼女の視線を追った。白くすべらかなひざに、擦り傷ができてしまっていた。少しだが、血も出ているようだ。
それをみとめた瞬時、由は彼女を勢いよく抱き上げていた。よく食べているのに、けっこう軽い。
璃々世はもちろん、クラス中が目を丸くした。その驚きに満ちた視線に気づいていないのは、由ぐらいのものだ。
「急いで保健室に行かないと。痕でも残ったら大変だ」
軽々と璃々世を抱いたまま、由は保健室へとずんずんと歩き出す。ぽかんとしたままのクラスメイトは、すっかりと取り残された。
「えっ……と、由ちゃんってけっこう力持ちなんだな……」
「いやー、美少女同士の姫抱っこて絵になるなー」
「それにしても、璃々世ちゃんは相変わらずドジだな」
次第に現実に引き戻された生徒たちが、ぽつりぽつりと口を開き始める。けれども、みなどこか腑に落ちない物を感じている様子だ。
深子と夏知は、自然と視線を交わす。
「うーん、まあ、当然だよねえ」
「おや、やはり深子もわかっていたのかい?」
腕を組む夏知を、深子は一生懸命見上げた。背丈が違いすぎて、とても同い年には見えないふたりである。
「やっぱりなっちゃんも? そうだよねえ、何かお家の事情とかあるのかなって思って黙っているんだけど」
「ふむ、そうだね。わたしとしては、構わないというか……気にならないから、どちらだとしても大した問題ではないのだけれど。もちろん、深子も愛しているよ」
「もお、なっちゃんたら、すぐそういうことを言うんだから」
肩を落とす深子などおかまいなしに、夏知はさわやかに笑う。クラスメイトたちは、由と璃々世がいなくなってしまうと、ようやく解散し始めた。