■ 3話
オレンジ色の光が、水面にきらきらと反射している。
空は次第に紫色に変わり始めて、夜の気配をふくんだ風がふたりの髪をゆらしていた。
堤防沿いの道は、ジョギングをする人や、犬の散歩をする人がいたりとさまざまだ。
以前住んでいたころよりは、いくつもの高いビルが景色を変えている。けれど、昔とそれほど変わっていない部分もあり、由をいくぶんかなつかしい気分にひたらせてくれた。
大きな川の横を、由と璃々世はならんで歩いていた。美少女ふたりがならぶと、大変目立つので、すれちがう人々は思わず顔を向けている。
由は璃々世のことばかり見ていたので、その視線には気づいてもいなかった。璃々世はといえば、おそらく夕飯のことでも考えているのだろうが、あいかわらずぼんやりしている。
彼女は小柄で、由からはやや見下ろす形になった。
夕陽をあびる璃々世は、より輝きに満ちている。屋外で見る彼女は、ひときわ目立っているようだ。
色素のうすい髪は光をこぼすようで、長いまつ毛も透きとおって見える。遠くをながめる大きなひとみは、光を受けてうるんでいた。
そういえば、別れの日も夕焼けの中だった。
あのときのことを、璃々世は憶えていてくれているのだろうか。
難しい顔で見つめていた由は、ふと璃々世が顔をあげたので驚いた。大きなひとみが、あどけなくこちらを見つめている。
「由ちゃん、どうしたの?」
「いや、璃々世があんまり可愛いから」
「そんなこと、ない。由ちゃんの方がずっと……」
「でも、おれには璃々世が一番だから」
由は目もとをなごませて、璃々世の髪をなでる。心からの言葉だった。
海外に行ってから、もちろん色々なできごとがあったし、たくさんの人にも出会った。
けれど、由はかたときも璃々世のことを忘れたことはなかったのだ。
変わらず、大切な女の子なのだ。
「ねえねえ、きみたち」
しあわせな気分にひたっていた由の気分は、ぶしつけな声にだいなしにされた。
思い切り不機嫌な顔で視線を向けると、目の前に立ちはだかるように、にやついた顔をした青年がふたり立っている。
見知らぬ制服のすそをだらしなくだしており、ズボンは少々ずりさげ気味だ。ピアスやネックレスはいかついもので、脱色した髪は痛んでいる。
まったく、璃々世との大切な時間をじゃまするとはなにごとだ。しかも、今どきの若者はこういうファッションを好んでいるのか、と思わず自分が若者なのを忘れる由だった。
さりげなく璃々世を自分の背に押しやると、由は目の前の青年たちをにらみつける。
「怒った顔も可愛いね」
「ていうか、後ろの子、マジ可愛くない?」
可愛いのか、可愛くないのか、どっちなんだ、とつっこみたくなる由だったが、璃々世は可愛いに決まっているだろう、とひとり納得する。
「これから、一緒にカラオケでも行かねえ? もちろん、おごるし」
「なあ、行こうぜ」
尋ねておきながら、ふたりはかなり強引だった。腕をひっぱろうとしてきたので、由は後ろにさがり、その手を思い切り払いのける。
もちろん、璃々世にさわらせる気は毛頭ない。
由の行為に、相手の顔が険しくなった。
「おいおい、せっかく楽しいことしようって言ってんのにさあ」
こちらの聞き分けがないように言われ、由はさらにいらいらしてくる。
わずかにふり返り、由はささやく声で伝えた。
「璃々世、おれが合図したら、走れ」
璃々世は大きな目をまたたいていたが、怖がっている様子ではなかった。相変わらずの無表情なので、もしかしたら、怖いのかもしれないが。
男がさらに手をのばしてきたので、由は璃々世の背を軽く押した。さて、気兼ねなく戦えると由が思った瞬間、地面に何かが叩きつけられる音がした。
青年ふたりは、あっけにとられた様子でその方向をながめている。視線は由を通り越して、その後ろに向けられていた。
何となく予想がつきつつ、由はそろそろと後ろを見る。
璃々世が盛大にこけていた。
コンクリートで舗装された、何のへんてつもない道路なのだが、璃々世はこけていた。
「えっと、り、璃々世……だいじょうぶか?」
かなりびっくりした由は、口を開くのにずいぶんと時間がかかった。青年ふたりも、何もできずにぽかんとしていた。相当驚いていたのだろう。
由が手を差し出すと、璃々世は鼻を押さえながら起き上がる。無表情に見えるが、少々涙目になっているようだ。
「足に、つまづいた……」
「そうか。痛かったな」
痛みを感じるように言いながら、由は璃々世をながめた。どうやら、大きなけがはしていないようで、由は心から安堵する。可愛い顔に傷でも残ってはたいへんだ。
そうだった。璃々世は昔から、何もないところで転ぶのが天才的だったのだ。
ビデオ通話をしているときも、よく、たいへんなドジをかましていたものだった。
「ま、まあ、いいや。とにかく行こ……」
しきり直しといったふうに手をのばしてきた青年は、言葉を失った。表情が、思い切り凍りついている。鋭い風が、青年の頬をなでたのだ。
彼の顔の横に、由の足がぴたりと止まっている。もし止めていなかったら、思い切りふっとんで、気絶していたにちがいない。そのぐらいの勢いがあった。
それを気取っているらしく、青年は声も出せずに青ざめている。横にならんでいた青年も同様らしい。
由は一点のくもりもない、美しい笑みを浮かべた。足はまだ、彼の顔の横に位置したままだ。
「おれ、小さい頃から武道を習っていて、海外にいたときも、じいさまにビデオ通話で稽古してもらってたんだよね」
非常にきれいな笑顔だけに、たいへん凶悪な笑顔に見えた。
「楽しいことしたいんだったら、せっかくだし、稽古につきあってくれたらうれしいんだけど」
「あ、そうだった。用事があったんだよな」
「そうそう。じゃあ、また今度にしようぜ。いやあ、残念だな」
「ほんとほんと」
青年たちはあわてた様子で去って行った。由は、勝ちほこって腕を組む。それから、ぼうっとしていた璃々世にふりむいた。
「大丈夫だったか? おれがついてたのに、怖い思いさせてごめんな」
璃々世は大きな目をぱちくりさせ、ゆっくりと首を横にふる。
「ありがとう。由ちゃん、強いね」
璃々世のほほえみに、由は思い切り照れてしまう。
「おれなんてまだまだだよ。じいさまからも、まだまだって言われてるし。それにしても、今まで帰るときとかどうしてたんだ?」
「深子ちゃんとなっちゃんと、いっつも一緒に帰ってたから……」
「ああ、そっか……」
由は、妙に納得してしまった。夏知がいるなら、下手な男は近寄ってこないだろう。どう見ても、美男美女のカップルだ。
ありがとう、明石谷さん。璃々世を変な虫から守ってくれて、本当に感謝だ。
「これからは、おれが璃々世のことを護るよ。もう、昔とはちがうから」
璃々世はおもむろに首をたてにふり、続けた。
「わたしも、由ちゃんをまもる」
「いや、璃々世は何もしなくていいっていうか……」
困ってしまう由だったが、璃々世は目をかがやかせてやる気満々だ。その愛らしい様子を見ていると、それ以上何も言えなくなってしまう。
「じゃあ、よろしくお願いします」
由がはにかむと、璃々世ははっきりとほほえんだ。