■ 1話
* * *
「日本に戻れることになったんだ」
相手が応答してすぐ、津金澤由は待ちきれないように言った。
パソコンのディスプレイに映る少女は、大きな目をさらに大きく見開いている。表情にとぼしい彼女だが、由にはすぐに少女の変化がわかった。
少女は、うすいピンク色の頬をそっとゆるませる。
「……ほんとに?」
その表情は、由をこの上なくしあわせにしてくれた。
彼女の声は、鈴の音が鳴るようだ。
ビデオ通話をしている由の前には、人形と見まがうような容貌の少女が映し出されている。
うすい茶色の髪は長く、ゆるくウェーブがかかっていて、照明の色に照らし出されて密色の輝きをこぼすようだ。額を出しており、整った小さな顔がふんわりとした髪によってさらに小さく見える。
肌は日に焼けたことがないような白さで、ほんのりと染まる頬によって、より際立っていた。ガラス玉のように澄んだ大きな瞳は、長いまつ毛にふちどられている。彼女がまばたきをするたびに、そよ風でも起こせそうだ。
幼い頃から可愛いらしい少女であったが、彼女はどんどんと可愛さにみがきをかけているようだ。
これでは、周囲の男どもも放ってはおかないだろう。
だれとも知らぬ相手が少女に声をかけているところを妄想しながら、由はついつい歯がみしたくなった。
そんな由の心中など知ることもなく、少女はひかえめにほほえんだままでいた。
しかしながら、彼女が男共にこんな表情を見せることは決してないとわかっているので、由はこのひとり占めに優越感をおぼえる。
ディスプレイの中の少女、汐崎璃々世は、由の幼なじみだ。
幼い頃は近所に住んでいて、よく一緒に遊んだものだったが、由の両親の都合で外国に引っ越すこととなり、離れ離れになってしまった。しかしながら、ふたりはパソコンのビデオ通話を利用し、ちょくちょく話をしている。会う機会はめったになかったのだが、由はそれだけでもしあわせだった。
この笑顔を、もっとずっと近くで見ることができる。
そう思うと、由は今すぐにでも彼女を力いっぱい抱きすくめたくなった。
可愛くて、愛しくて、ずっと幼いころから大切ににしてきた女の子。
ほんとうは、そばで彼女のことをずっと見守っていたかった。
けれども、これからはずっと……。
「……由ちゃん?」
「や、何でもないよ。璃々世に会えるのすっごく楽しみだ」
不思議そうにまばたきをする璃々世の声に、由は豪快に笑ってごまかした。
頭をかく動作は、およそ、「少女らしからぬ」仕草だ。
そう、ビデオ通話でひと時のしあわせを分かち合っているのは、同じ年頃の「美少女同士」だったのだ。
* * *
開け放たれた大きな錬鉄製の門の前で、由は人を待っていた。
陽光がふりそそぎ、風には緑の香りがする。由が通うことになった高校には、たくさんの緑があるようだ。
次々と校舎の中に吸いこまれていく生徒たちは、由をふり返ってはひそひそと語らっている。
登校時ということもあり、石柱の前に立つ少女は、とにかく目立った。
腰ほどまである髪は、濡れ羽色でつややかだ。前髪はまゆほどで切りそろえられており、古風な印象だった。形の良いバラ色のくちびるは、白い肌をいっそう際立たせている。
セーラー服がよく似合い、楚々とした印象を持たせているが、大きな瞳は猫のようでいささか挑戦的だ。背は女子にしては高い方で、少し長めの藍色のスカートからすらりとした足が伸びている。紺のハイソックスがよく似合っていた。
ここまで、この高校の制服が似合う者もそうはいないだろう。黙って立っている分には、深窓のご令嬢というふうに見える。
空気さえ清浄なものに変えてしまうような少女を、男子生徒のみならず女子生徒も好奇の目で見つめていた。当の本人は、そんなことなどおかまいなしの様子だ。
「ねえ、きみ見かけない顔だけど、転校生?」
およそ声をかけづらいほどの雰囲気を持つ由だったが、数人の男子生徒が近づいてくる。ブレザーの二の腕部分にあるラインを見ると、どうやら上級生らしい。
いかにも軽薄そうな男子生徒たちに、由は思いきり顔をしかめた。美少女がだいなしな表情だ。
「あんたらに関係ないだろ」
「迷ってるんじゃない? せっかくだから案内してあげるよ」
そっけない態度にも、上級生たちはちっともひるむ様子がない。うつむいて、相手に届くか届かないかの声でつぶやく。
「……うるっせーな」
「え?」
男子生徒は気づいていないのか、親切ぶって顔を近づけてきた。
由は舌打ちして、相手を鋭い瞳でにらみつける。
「おれに、なれなれしく話しかけんじゃねえよ」
今にも、殴りかからんばかりの勢いだ。底知れぬ威圧感に、男子生徒は絶句している。ふんと鼻を鳴らしてそっぽ向く由に、男子生徒たちはそそくさと退散していった。
その様子を見ていた生徒たちは、顔だけなら璃々世ちゃんにも劣らないのにと残念そうにささやきあっている。何人かは逆になじられたい、などと興奮していた。
やはりかと思いつつ、なれなれしく「璃々世ちゃん」などと呼ぶ男子生徒どもを、由はにらんだ。しかし、見つめられたと勘違いする少年たちは色めき立っている。
初っぱなからイライラしては、身が持たないと思いかけた矢先、ざわめきが起こる。由はそちらに顔を向けたとたん、息をのみこんだ。
幼なじみである汐崎璃々世が、ようやく登校してきたのだ。
由には、彼女が光り輝いて見えた。実際に、朝の陽を浴びて輝いているのかもしれないが、生来持つものなのかもしれない。
初めて見るセーラー服姿だった。周囲には声をかけることもできず、ただ見つめるだけの男子生徒がむらがっている。相変わらず、表情にはとぼしい様子だ。それがミステリアスでさらに美しさを際立たせているのかもしれなかった。
「璃々世」
待ちきれずに、由は駆け出していた。そのままの勢いで、由は彼女を抱きしめる。周囲がざわめくことも、ちっとも気にはならなかった。
「久しぶり、元気だったか? 本当に会いたかった」
美少女ふたりの熱い抱擁に、周囲は生の百合だと騒いでいる。写メを撮っているものさえいた。
小柄な璃々世は、由の腕の中にすっぽりとおさまる。
ディスプレイ越しの彼女もたいそう可愛かったが、生はやはり別格だった。
由は堪能するようにぎゅうっと彼女を抱きよせる。きゃしゃな身体は、力をこめれば折れてしまいそうだ。彼女からは、甘くていい香りがした。
璃々世は目をまん丸くしていたが、しばらくあってから由の肩に顔をよせる。すんすんと鼻を動かしてから、うれしそうにつぶやいた。
「……由ちゃんのにおい」
「璃々世は相変わらずマイペースだな。そこが可愛いんだけど」
「……由ちゃんも可愛い」
「璃々世に言われるのは、すごくうれしいな。それに、璃々世もいい香りだ」
およそマイペースすぎるふたりを、周囲はぽかんと見守るしかなかった。