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#1 ルカ

 ──その四十日ほど前のこと。


「これはまた、大きな子供が来たものだね」

 ベッドの上の少年が、思わずといった笑みを(ほころ)ばせて、病室に入ってきたキリエに言った。


 秋も(なか)ばの遅い夕刻。

 最新の医療器具を置く、病室と言うには広いそのスペースは、その広さの故により寒々しく殺風景な様相を見せていた。

 その中で、ベッドの上に上半身を起して座っている少年の微笑だけが、唯一の彩りのようにさえ思えたかもしれない。


 少年は、見たところ、年の頃は十二~三歳というところだろうか。

 キリエは、ひょいと軽く肩を竦めて見せた。

「まあね、‘子供’と名乗るには、何て言うか、詐欺みたいに老けこんでいるからね、一応、‘狩人’と呼ばれているよ」

「‘狩人’って、逆にもっと歳をとっているものだと思っていたけど」

 くすくすと愛らしい笑い声を立てて、少年が言うと、キリエはまた肩を竦めた。

「何をやっても昔から半端らしくてね、俺は」

「あなた、面白い人だ」

 そう言って笑う少年の手招きを受けて、キリエはベッドまで歩み寄り、勧められて傍らの椅子に、着ていた黒のコートを脱ぐでもなく、腰を下ろした。


 キリエが間近で見た少年の肌は、舞い降りたばかりの雪を想起させるほど透き通るように白く、その透明さに、少年の身体がいかに弱っているかがいやでも見てとれた。

「初めまして、大きな子供の狩人さん。僕はルカと言います。四代目のルカです」

「これは、ご丁寧に痛み入るね。俺は──キリエだよ、初めてのキリエだ」

 椅子に座ったキリエは、ベッド上の少年と目線合わせる。

 少年──ルカの、大きな黒目がちの瞳に見詰められて、キリエは少し居心地が悪いかのように、軽く頭を掻く。

 しばらくの沈黙の間、二人はそれぞれの目を見遣っていた。


 やがて──

「──僕が、見ての通りこんな状態なので」

 と静かにルカが切り出した。

「キリエさん、あなたに‘彼’をお願いすることになりました」

「キリエ、でいいよ、俺もルカと呼ばせてもらうから。敬語もいらないし──と言うより、俺が敬語が下手でいけなくてね」

 キリエの言葉に、ルカがふっと笑った。子供らしい、あどけない笑みだった。

「では、キリエ。‘狩り’の経験は?」

「まあ、そこそこ」

「もちろん、‘彼ら’の洗礼を受けるのは──初めてだよね?」

 まるで、大人が子供から面接を受けているかのようなやりとりだった。

 キリエが、苦笑のような笑みを浮かべて浅く頷いた。

「──もちろん、あるわけがない」


 ルカが、ほんの少し心配そうな表情を見せた。

 キリエはそれを察して、卑屈そうに笑ったまま、片手をひらと軽く振って見せた。──案ずるに及ばないと言いた気に。

 それを見て、今度はルカが困ったように笑った。

「キリエ、僕は──後任があなたで良かったと、今、安堵したところなんだよ」

「安堵?」

 子供があまり口にすることが無さそうな言葉が、脈絡もないような形で発せられたように思えて、キリエは思わず、そのまま問い返していた。

 しばらく、ルカはゆっくりとした瞬きだけを見せていた。

「──あなたの、信仰の在処(ありか)が感じられるような気がするから」

 ルカのその言葉に、しかし、キリエは知らず奥歯を噛みしめていた。

「過ぎたことを言ってごめんなさい。──僕の、純粋な感想だから」

 すぐに、ルカがそう謝りを口にして困ったような顔を見せるので、キリエは自嘲するようにして、首を横に数度ゆるく振った。

「いや──さすが、先輩だね。それが感想なら──俺も安心して後任を務められるよ」

 ルカが小さく微笑した。


「‘彼’の話が()りようかな?」

 きっと、要らないだろうと言う口調で、ルカは尋ねた。

 キリエは、肩を竦めるような軽い仕草をして笑った。

「いや、要らないよ。先入観はもたないことにしている」

 ルカは、またあどけなく微笑を浮かべた。

「──あなたに‘神の御加護’を、キリエ」

 細く白い手が、キリエに向かって伸ばされ、キリエはそれをそっと握りしめた。

 握りしめた手の中で、少年の手が淡雪のように消えてしまうかのように感じられた。


 キリエは静かに立ち上がり、軽く礼など見せてから、ゆっくりと(きびす)を返した。

 そのキリエの背に、ルカの小さな声が掛けられて見送りの言葉となった。


「──どうか、‘彼’を、よろしくお願いします」



「これはまた、大きな子供が来たものだな」

 その‘彼’は、開口一番、キリエを見てそう言った。

 ルカが言ったのと、まったく同じ台詞だったので、キリエは思わず笑みを浮かべてしまっていた。


 そのキリエの笑みに、‘彼’はひどく不思議そうな表情をした。

 彼は、豪奢な椅子に楽な姿勢で座っていた。

 優美なラインを見せる猫足の大きめの椅子は、垣間見える重い色合いの赤い張り布もビロードのような光沢があり、どれだけ値段の高いものなのかと想像に難くない。

 その椅子に座して‘彼’は、まるで欧州の貴族然としてキリエを見据えていた。

 長過ぎずに、無造作に見えて綺麗に整えられて軽く撫でつけられている彼の髪は、白銀と黒。

 白銀の色が黒に染まったのか――黒の色が抜けたのか――

 仕立ての良さそうな黒いスーツに包まれた‘彼’の身体は、痩身ながらに立派な体躯であろうことも想像できる。

 軽く組まれた見るからに長い脚、肘掛けに優雅に肩肘を付き、顎を支える手の指も見るからに長く、真っ白な手袋を嵌めている。

 そして、その顔は、決して、いわゆる日本人のものではない、整い過ぎるほどに整った美貌。

 ──(まご)うことなく美しい‘彼’の顔立ちは、だが、どこか不吉な香りを漂わせる。

 澄んだような白皙で──血の気が感じられない。

 若い男性のように見えるが、歳の頃が今ひとつはっきりと分かりにくい。


 椅子は、床から一段高いところに置かれているため、彼の風貌や様相も相俟って、まるで玉座か何かのように思える。

 その一段と高い場所の椅子が、不自然な四本の銀の柱に囲まれていなければ。

 その高い場所以外の床が、不自然な銀色で無ければ。

 この部屋とも言えない部屋が、ひとつの窓も明かり取りも無く、灯りも無く、不自然に光が銀色の床から放たれているので無ければ──

 あたかも映画か何かからそのまま出てきた風情の‘彼’は、だがしかし、人間が畏怖すべき存在だった。


「私を初めて見て笑った人間は、貴様が最初になるだろう」

 ‘彼’から発せられる、深く、人の耳に心地よい声音。

 その声が、少し憮然としていたように聴こえたので、キリエはついまた小さく笑った。

「ああ、いや、気分を害したら許してくれ。──同じことを、さっき言われたばかりだったんでね」

 キリエのその言葉に、‘彼’の形の良い眉が片方、ほんの微かに動いた。

「──ルカだな」

 ‘彼’のその問い掛けともない問い掛けに、キリエは答える代りに、軽く肩を竦めて見せた。

「では、貴様が後任というわけだな。五代目か?」

 問い掛けに、キリエは緩くまず首を横に振った。

「いや」

「では、名を聞こう」

 キリエは、浅く礼を見せた。

「──キリエ。初めてのキリエだ」

「ほう」

 ‘彼’は面白くも無さそうに僅かに、暗い色合いの双眸を細めた。

 キリエは、少し苦笑するようにまた肩を竦めた。

「まだ不快な響きだろうけど、勘弁してくれ」

 ‘彼’の片眉がまだ動いた。

「貴様のその物言いの方が不快だな」

「そりゃ申し訳ない。それこそ勘弁してくれ」

 闇の底のような色合いの双眸が、高みからじっとキリエを見据えた。

 キリエは、崩した姿勢でたたずんだまま、その眸を見詰め返す。


 どのくらい、そうしていたろう。

「──まあいい。私が選ぶわけでもない」

 そう、独り言ちるように言うと‘彼’は、顎を支えていた手を下ろして膝元で指を組んだ。

「私は、シングフェルスだ──キリエ」

 名を呼ばれ、一瞬だけ、不意打ちを食らったかのようにキリエの身体がぐらつく。

 そして、そのことを自覚して、キリエは唇の片端を歪めるようにして笑った。

「聞きしに勝る──とは言ったものだ。シングフェルスだな、いい名前だ──と、俺が言うのは烏滸(おこ)がましいかな」

 キリエの反応を見てとってなのか、‘彼’──シングフェルスは、少しだけ満足そうな薄い微笑を浮かべた。

「さて、本当に後任を務められるものなのか? そんな大きな‘子供’の風情で」

 明らかに皮肉交じりに言われて、キリエはいかにも困ったような態で頭を掻く仕草をして見せた。

「いや、それを言われると弱いんだがね。仕方がないんで‘狩人’と呼ばれるらしいよ」

「‘狩人’と言うには若輩もいいところだな」

 シングフェルスの深い声音に、さらに皮肉を重ねられたようで、キリエはまた肩を竦める──が…

「まあ、勘弁してくれ──俺しか適任がいないそうなんでね、シングフェルス」

 キリエのその口元は、どこか卑屈な笑みを見せていた。

 再び、二人の目が見据え合う。


「なるほど。‘子供’に選ばれるだけのことはあると言うわけだ。──よかろう」

 ‘彼’──シングフェルスが、優美な動作ですっと立ち上がった。

 闇が立ち昇るような、地獄が覆い迫るような、そんな錯覚がある。

「──来い。新たなる、私の‘子供’」

 低く歌うようなシングフェルスの声がして、白い手袋を着けた手が、誘惑のようにキリエを招く。


 そう、誘惑だ──

 キリエの背中に、冷たい汗が流れる。

 だが、キリエはまた卑屈な笑みを浮かべた。

 そして、‘彼’──シングフェルスに向かって、一歩ずつ、歩み寄って行った。

 高い一段へ上がるキリエの脚が、どうしても少し震える。

 それでも、キリエは彼へと歩み向かった。

 間近まで歩み寄ったキリエの腰を、シングフェルスの片腕が、不意に抱き寄せる。

 痩身の身体のどこに、そんな力があるのだろうと思うほどの、圧倒的な──(ちから)


 シングフェルスが、その形の良い唇の両端を、微笑するかのように吊り上げた。

 ──その口元に、覗く──鋭い双の牙。

 シングフェルスが、キリエの首元に顔を埋める。

 キリエの顔が、苦痛の色を──そして、シングフェルスの顔に愉悦のような面持ちが、混じり合おうとするかのように浮かんだ。



 ──誘惑。


 そう、それは紛れもない誘惑だ。

 首筋に深く喰い込むこの一対の牙は、人間の無意識の裏にまで誘惑の手を伸ばそうとするかのようだ。

 視線に絡め取られたその時点で、ほとんどの人間に逃れる術はない。

 四肢は自分の意志で動くこと能わなくなり、抵抗を続けていたはずの意識も、牙が首に喰い込んだその時に、淡雪のように消え去ってしまうだろう。

 無言の雄弁な誘惑に耐えきれずに──


 ──誘惑。

 人間を凌駕できる力を持つことが出来るという誘惑。

 若い姿のままでいられるという誘惑。

 老いとも病とも無縁でいられるという誘惑。

 永遠の生命を永らえられるという、誘惑。


 キリエは、酔いしれるようにその誘惑に浸り、全身全霊で甘受していた。

 どんな人間が、この無言にして雄弁な誘惑に耐えられるのだろう。

 言葉にしても端的で絶対な、甘美な誘惑。


 だが、誘惑に浸るキリエは、その唇の端に自嘲を浮かべていた。

 苦いものを噛み潰すかのように、キリエはひっそりと、唇に何かを呟き刻んでいた。



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