踊り子号と新幹線で、いざ出発!
鉄道の通っていない葉山という長閑な町の山奥に住む絵乃さんは、バスで横須賀線の逗子駅から電車に乗るため、小田急線に乗って藤沢駅で東海道線に乗り換える俺の方が早く待ち合わせ場所の大船駅1,2番線グリーン券売機付近に着いた。
しばらく待っていると、二つ向こうのホームに海をイメージした青と砂浜をイメージした肌色の帯を纏った横須賀線の電車がカーブのかかった丘を下って颯爽と滑り込んで来たのが見えた。数分後、絵乃さんは俺の前に現れた。緑のコートにベージュ色をした薄手のインナー、明るさを演出する青竹色のミニスカートと黒いタイツの組み合わせがエレガント。
「お待たせ。どのくらい待った?」
20分くらいです!
「いえいえ来たばっかです! それより急に呼び出してお金をお借りしたいなんて言ってすみません」
「気にしないで。さぁ、特急券買ってあるから、次の『踊り子』で東京まで行きましょう」
行きましょう?
「えっ!? 絵乃さんもご一緒していただけるんですか!?」
「ええ。さきほど浸地ちゃんに電話したら、私も誘われたわ」
誘われた? こりゃそんな深刻な事態じゃないな。あのオオカミ女め、緊迫感漂わせて俺を動揺させる作戦だったのか。たった今まで心配してたのが少しずつバカらしくなってきた。『少しずつ』というのは、浸地と会うまでは不安が残るからだ。
「わざわざすみません。ご迷惑おかけします」
こんな綺麗で品のある人と一緒に行動なんて緊張するわ。浸地は綺麗だけど割とラフだからな。
「迷惑だなんてとんでもないわ。むしろ後で私のほうが迷惑かけちゃうかも…」
えっ? なんでだ…?
こうしているうちに特急『踊り子』が入線してきた。特急券を確認すると4号車の指定席になっている。
4号車って、グリーン車じゃん! さすが大企業の社長!
車両そのものが古いためか、車内はセピアな雰囲気が漂っている。
東京から静岡県の東端、熱海までを走る東海道線の一般型電車は最新型車両や、一つまたは二つ型落ちのモダンな車両3種類で運転されているため、この特急型電車は浮いた存在だが、故障が少ないためか、登場から30年以上過ぎた2012年でも現役だ。
客室端部に掲示されているポスターは伊豆の下田を舞台にしたアニメと鉄道会社がコラボレーションしたもので統一されている。
この特急『踊り子』は、都内と伊豆急下田を往復するリゾート特急として親しまれている。
◇◇◇
大船駅から30分足らずで東京駅に到着。次は東北新幹線に乗り換える。
絵乃さんから受け取った切符を確認すると『Maxやまびこ145号』の7号車2階席となっている。またもグリーン車だ。
「あの、グリーン車なんて…」
俺そんなに金銭的な余裕ないし、返せるか? 浸地が払うんならなんとかなる? 絵乃さん負担だと申し訳ない…。
「いいのよ。私が好きで手配したのだもの。交通費も返さなくていいわ。その代わり、後で頼みたいことがあるの」
「頼みたいこと?」
「ええ。いずれわかるわ」
◇◇◇
疑問を抱きつつ、新幹線に乗り込んだ。
グリーン車は暖色の間接照明とピッチの広い緑色の座席が落ち着きのある空間を演出している。
このE4系『Max』という全車2階建ての電車は、E5系という現在時速300km、来年からは時速320kmでの運転を予定している新型車両の投入に伴い2012年9月28日で東北新幹線の大宮以北での定期運用を終了する。
東京駅を発車すると、ゆらぎの後にビブラートのかかる聞き慣れた音楽が流れ、男性アナウンサーと外国人女性の声が収録された案内放送があり、秋葉原から一度地下へ潜り、次の上野駅を出てから数分で再び地上へ出る。
大宮駅を出てから鉄道博物館の前を通過し、電車が高速域に到達した頃、絵乃さんが話題を振ってきた。
「広視くん、本当に浸地ちゃんが好きなのね。この様子だと、福島まで呼び出された事情を知らないでしょう?」
これまで絵乃さんと二人きりのシチュエーションなどなく、浸地より1学年下とはいえ、社長らしい威風堂々とした雰囲気も相俟って緊張しており、気を紛らわすために話題探しをしていたところだが、この話題は困る。
「えぇ、まぁ、事情は知らないっす。緊迫感漂わせて電話かけてきたんすけど、絵乃さんの様子を見ていると、浸地のことだから大方、これからドンチャン騒ぎで酔っ払う浸地たちを介抱するために呼びだされた感じでしょう」
「ふふっ、そこまで察するなんて凄いわね」
微笑む絵乃さん。笑ってくれると、こちらの緊張が解けて会話しやすい。
ってか、やっぱそうだったのか、悪ガキ浸地め。悪ガキ浸地は小さい頃、俺が呼んでいた従名。
「そうっすかね。ま、付き合い長いんで」
「それにしても、介抱するためにわざわざ神奈川から福島へ出向くなんて凄いわ。愛の力ね」
この人さらりと恥ずかしいことを…。
「いやまあなんていうかその、俺、旅行好きだし、浸地が交通費出してくれるっていうし、福島は生まれ故郷だし、新幹線で行けるくらいの距離なら…」
なにテンパってんだ俺っ!
「それだけ?」
瞳の奥を覗き込むように小悪魔的な笑みで俺を見る絵乃さん。完璧に見抜かれてるわ。
「いえ、浸地と一緒に居たいのもあります…」
うわああああああっ!! 電車内でなに言ってんだ俺!!
でも…。
「でも、それだけじゃなくて、俺、ちっちゃい頃、浸地にすげぇ世話になって、浸地が居なかったら俺、今頃グレて親とか殺してたかもしんないです」
これこそ電車内でする話じゃないな。でも浸地は俺が落ち込む度に励ましてくれたり優しい言葉をかけてくれる。イタズラ好きで、俺は毎回ハメられっぱなしだけど、それでも良いって思える。家庭環境には恵まれなかった俺だけど、浸地や絵乃さん、色んな友達に恵まれて、なんやかんや幸せだと思う。
「だから、今度は俺が、介抱でも何でも、少しでも浸地の役に立てるならと思って…。まぁ、俺なんかが浸地に対して出来ることなんて、そんくらいしかないっすよ」
うわぁ、ぶっちゃけるってマジ恥ずいわ…。でも口に出してみると情けねぇな。きっと今の俺じゃ、もし浸地が精神的に参った時に救えないだろう。18年以上生きてきて、修羅場潜ってそこそこ人生経験積んだつもりだけど、まだまだガキってことか。
すると、絵乃さんは不意に俺の頭を優しく撫でた。
「そう。偉いわね。生きていると、どうしても辛いことってあるけれど、浸地ちゃんが何を言っても、広視くんが強くなければ乗り越えられないわ。浸地ちゃんはきっと、広視くんの秘めている強さを引き出してくれたのね」
「俺、強いっすかね…」
辛いことがあったり、思い出したりすると、陰で結構独り泣きしてたりするんだけど…。
「ええ、強いわ」
絵乃さんは優しく微笑みかけてくれた。
「まぁなんていうかその、辛いことがあった時は、ここで折れたりグレたら負けだって自分に言い聞かせたりはしてます」
これは自分なりの人生哲学だけど、辛い時は新たな一歩への試練だって、くじけそうになりながら思ってたりする。
「それだけのことを考えられるなら、この先もきっと大丈夫よ。自信を持って」
「ありがとうございます…」
絵乃さんも小さい時に色々あったらしいけど、当時はこうして俺みたいに誰かに助けられたりしたのかな。
「さ、あまり重荷になることを考えていたらおかしくなってしまうわ。せっかくの旅行、楽しみましょう」
そうだな。普段はこうやってぶっちゃけ話をする機会がなかなかなくてストレスを抱えがちだけど、今回の旅行は頼りになるお姉さんが三人もいる。絵乃さんの言う通り、せっかくの旅行をエンジョイしよう。
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ただいま特急『踊り子』や185系運用の東海道線方面のライナーのほか、東京駅07:24発の普通列車及び一部北関東方面の特急列車の広告が、アニメ夏色キセキ』仕様となっております。
このお話は『いちにちひとつぶ』シリーズの外伝のようになっており、細かい事情はそちらに掲載されております。ご了承ください。広視については『いちにちひとつぶ2』で語っております。