Let’s 女子旅!
7月中旬、三連休前の金曜日、新米の小学校教諭で三年生のクラスを担任している私、大甕浸地は、小学一年生からの親友で、一昨年に専門学校を卒業して保育士になった宮下未砂記を結婚祝いの旅行に招待した。女同士水入らずの旅だ。
未砂記は中学時代から想いを馳せていた宮下優成と先月入籍し、教会で式を挙げた。
優成は私が物心つく前からの幼なじみで、未砂記との出会いは中学一年生で同じクラスになった時だ。
20時30分より少し前、それぞれの職場から直行して茅ヶ崎駅で落ち合った私たちは、普通列車の2階建てグリーン車の車端部に着席し、グリーン券情報が記録されたスマートフォンをパネルにタッチして落ち着いた。新幹線に乗り換える東京駅まで一時間弱、一週間働いて疲れた身体を少し休ませる。
グリーン券情報が記録されたICカードや携帯端末をパネルにタッチすると、サイドのLEDランプが赤から緑に変わり、グリーン券を購入した証明となるため、アテンダントによる車内改札が省略される。
夜の上り列車のグリーン車は利用者が少ない上、車端部は一般的な車両と同じアングルなので2階席の見晴らしや1階席の地面スレスレを行く迫力はないが、個室のような構造なので、アテンダントやトイレに行く客くらいしか通らずほぼ貸切状態。お喋りにはちょうど良い。
「では改めて、ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとう。なんか、ごめんね、色々と。それに、旅行に連れて行ってくれるなんて」
「いいのいいの! 私だって未砂記の気持ちを知りながらすぅ君と付き合ってサクランボ食べちゃったんだし」
未砂記の『ごめんね、色々と』には言葉通り色々な事情がある。
未砂記の旦那となった優成は、私の元カレでもある。
高校一年生の初夏、私は下校時間直前の夕陽が差し込む教室で優成に告白された。私も、ぶっきらぼうながらも優しくて誠実な優成に好意を寄せていたので、未砂記の想いを知りながら付き合った。
しかし翌年の桜が散る頃、未砂記の想いと自らの想いの板挟みになった私はとうとう耐えられなくなり、優成には友達関係に戻りたいと告げた。それを、未砂記は察していた。
その後、優成はインテリ系の新入生と学年末頃まで付き合い、未砂記の想いはなかなか実らなかったのだが、三年生の夏、未砂記が優成を追い掛けて始めたファミレスでのアルバイト帰りに公園で告白し、めでたくカップルとなった。
「それより、旅先は福島で良かったの? 北海道とか沖縄でも良かったんだよ」
「うん。福島なら近いし、お互い仕事あるから遠くに行く時は休暇取って行こうよ!」
「そうだね。今度休み取って行こう」
「うん! 北海道は函館で塩ラーメン食べて、札幌で味噌ラーメン食べて、旭川で醤油ラーメン食べて、富良野でラベンダー食べよう!」
「ラーメンばっかだし! ってかラベンダー食べるんかい!」
「え? 食べるでしょ。あ~でも沖縄行ったことないなぁ。イリオモテヤマネコ飼いたい」
「だめだよ! 天然記念物だし、未砂記ん家すぅ君が拾ったネコちゃん居るでしょ。あの子すぅ君に似て小心者なんだからイリオモテヤマネコ来たら居場所失くしちゃうよ?」
すぅ君はとても小心者。デートで遊園地に行った時、ジェットコースターに乗ったら恐怖のあまり思いっきり口を縛って絶叫できなかったり、紅葉狩りで山歩きをした時は熊や蛇が出ないかとビクビクして私にしがみ付いてきたり、高校の海外研修でオーストラリアのグレートバリアリーフに行った時はクラゲに刺されるとかチンクイムシに大事なトコロを食べられるなどと言って海に入らなかったり。
一方、『ネコ』という名前の白いネコちゃんは稼動していない掃除機に威嚇したり、稼動したら逃げたり、園芸用の牛糞が入った袋の上でトランポリンに乗っているかの如くリズミカルに跳ねてダンスしたり。あ、最後のは関係ないか。
「えへへ~、そうでした~。今頃電車の中でくしゃみしてたりして」
「かもね~」
すぅ君の現在の仕事は列車防護要員。つまり車掌。私が噂をしたために放送しながらくしゃみしてたら可哀相。
◇◇◇
始発駅に停車中の列車の最後部乗務員室。俺、宮下優成は車掌として乗務中。
発車5分前。案内放送するか。
「ご利用いただきまして誠にありがとうございます…」
あれ、やべぇ、くしゃみ出そう。しかも出そうで出ないタチの悪いヤツだ。未砂記と浸地、もしかして俺の噂してんのか? くっそ~、何処からか知らんが仕事の邪魔しやがって。帰ったら二人まとめてとっちめてやろうか。違ったら被害妄想だが、噂をされていると第六感が告げている。ってか俺も旅行してぇなチクショー。
運転士試験近いし、受かったら四ヶ月間研修だし、未砂記との新婚旅行はまだまだ先になりそうだ。
◇◇◇
他愛ない会話をしていたらあっという間に東京駅に到着。次は新幹線に乗り換える。
電車を降りると私たちは邪魔にならない場所に移動してきっぷを出して車両と席を確認する。
「え~と『やまびこ223号』のグランクラス、10号車のボストンチャイナね」
『ボストン』はB席、『チャイナ』はC席を指す。ちなみにA席は『アメリカ』、D席は『デンマーク』、E席は『イングランド』と呼ぶ。
『グランクラス』とは、グリーン車のグレードの高いファーストクラスだ。私たちはこれからそれに乗る。
この用語は鉄道会社で働く父から教わった。すぅ君やその友達も父と同じ会社で働いていて、鉄道とは無縁だった未砂記も用語を覚えつつある。
東京から宿泊先の郡山まで1時間半弱、これから新幹線での最高に贅沢な旅が始まる。
ご覧いただきまして本当にありがとうございます!
少々すっぱい場面もございますが、基本はちょっとオトナの平和なお話で進んでまいります。
こんなところに注目されている方はいらっしゃるか計り兼ねますが、彼女たちが乗車した東海道本線の電車は出発日である2012年7月13日、E217系という横須賀・総武快速線と同タイプの車両で運転されました。E233系国府津車と共通運用で、東海道本線用で唯一のE217系です。