見てはならぬ、聞いてはならぬ、触れてはならぬ
裏話
「それにしても、思わなぬ収穫が得られたな」
「ええ、そうですね」
薄暗い部屋に、二人の人物がいた。
互いに顔は認識できず、わかるとすれば声だけだ。前者はしわがれた年季のある声。後者はまだまだ若く青い声。
ただ、共通してわかるのは、二人とも白衣を着ているということである。
その部屋の会話はこの二人以外誰も聞こえない。徹底した機密性があった。
「我々の者たちでさえ『あちら』に行けば何も情報を得られずに帰ってくるか、そもそも帰ってもこれないはずだが」
「あの三人は、若いながらも生きて生還し、それどころか多くの情報、文化を副次的に持って帰ってきてくれた」
「そうじゃな。驚くべきは、『あちら』には『こちら』には存在しない、種族、獣人、エルフ、竜」
「それぞれが独自に文化と知識と知恵を持っている。機械などの文明発達は未だに低いとはいえ、そんな技術がどうでもよくくなるような夢の存在ですよ」
「くっくっくっ、目を輝かせおって」
若い男の声には隠しきれない興奮があった。
老いた声はその声に苦笑いを漏らしはしたが、その世界に身を置いている以上、自分たちと違う存在というのに興味を惹かれてしまうというのは仕方がないのだろう。
だからこそ、老人は嘆息を漏らす。
「確かに夢みたいなものじゃが、今回はそやつらの情報が口伝というのが惜しいのう」
「確かにそうですが、逆に情報を得られたこと自体が行幸な事なんですよ?」
「ふんっ、わかっておるわ。わしだって驚いておる。まさか、実験的に生み出した『子』が偶然『あちら』に行くなどとは誰も想像できん」
鼻息を一つ吐き出す老人は、意外性を含んだ声を上げていた。
青年も同様であり、しかしそれこそが今回につながったと考えてもいた。
「基本的には日常生活を満喫していましたから。一応『彼女』の体内にはいざというときのための保険があったおかげで、今回はすぐに気づけましたし」
その言葉通り、今回の一件において保険が一度だけ使われたのも行幸だった。どんなに理論上完璧であっても、現実というのは何を起こすのかは把握しきれない。それが人間の限界でもあるからだ。
そんなことを青年が考えていると、老人はふと思ついたように口を動かす。
「そうそう、そういえば、あの子以外にも面白い者がおったの。ええと、確か……」
「ああ、『彼』ですか?」
『彼女』と一緒にいた二人のうちの一人。『彼』もまた、この二人にとっては十分すぎる興味の対象内にいた。
「そうじゃ。ちゃんと――」
「――ええ、診察と称して採血も済ませてあります」
「ほう。あの体質は興味がある。あの異常なまでの治癒力。不利益があるとはいえ、それに見合う利益じゃ。そこは我々が手を施せば完璧なものができあがるじゃろうな」
それは無論、『あちら』において幾度と起きていた超常現象。派手ではなく、人目にも簡単にはわからない。しかし、明らかな異常。ただ一人の世界で起きていた現象。
全治にわたって数か月は掛かる怪我を数日で治したその力。
「疑似不死、ですか」
そう、言い換えてもいいぐらいのものだった。
老人にとっては、そちらの方が興味が惹かれるのだろう。
生きている以上、死というものは免れない。それはわかっていたも、抗いたくなるものである。そこに現れたのが、驚異的な治癒力を持った人物。まだ老いによる死から逃れるすべは見つかっていないが、それでもそれ以外による直接的な死からは逃れられるかもしれない。それさえわかっていれば、十分だった。
「うむ。まだ実験が行えていない以上確実性は遥かに薄いが、手がかりさえ掴めれば十分じゃ」
「一応、今回の一件で三人分の遺伝子情報は手に入れています。それに、転送されてきた荷物に関しても現在調査中です」
「ここ数十年で最も楽しい日々じゃ。精神は刺激を得れば若返る。楽しいのう」
口によるしわが一層深みを増し、老いた声はさながら少年のようにつぶやく。
青年もその声を聴いて笑う。しかしそれも一瞬のことで、青年は顔を引き締めると、空気も同様引き締まった。そのことも、老人はわかって笑みをやめる。
「一つお願いがあります」
「なんじゃ?」
「ええ、まぁ今回の一件で情報を得る際、当然情報源は『彼女』だったんですが、その際に二つほど要求の呑むことになりまして……」
苦々しい声にはなったが、多少の要求ならば呑むことは出来る。あとは内容次第だ。
「む……そうか。内容は?」
「一つ、これ以上『あの子』の周辺には関わらないで」
「ふむ。まぁそんなところじゃろう」
「二つ、その代わりとして私の器を一つ作ってくれれば『あちら』調査は私が行う」
「ほぉ……」
老人にとって、最初の要求はよく理解できたが、二つ目の要求を聞いて細く伸ばされた目を見開いていた。
「我々がそうするように最初は作りはしましたが、『彼女』がここまでの自我を会得するとは思いませんでしたよ」
「ただ『あの子』を守る、か。手段は問わず、己の中における最適解でもって解決する」
「記憶や知識のほとんどは『彼女』も持ってますし、技術に関しては『彼女』の方が高いです。『彼女』に言われたからというわけではないですが、諸々の情報は得られているのでこれ以上関わる理由はありません。そして、二つ目の要求は我々には十分すぎる利益を得られます」
「そうじゃな。安定した『子』を作るのは既に完成しておる。あとは、『彼女』に見合うだけの身体を創ればいい。となれば、今回運良くて手に入れた良いものがあるのぉ」
「一応、『彼女』を入れるためにはなれた器がいいので、『あの子』の遺伝子を半分使用しますが、もう片方は……」
「決まっておる。『彼』の遺伝子じゃ」
「わかりました。すぐに行動に移ることにします」
「うむ。それと、器を創って入れ終えたら、『あちら』での指令を出しておいてくれ」
「どのような?」
「獣人、エルフ、竜の遺伝子を得てくること。特に、獣人はあって困らん」
「了解しました」
青年は老人の言葉に頷くと、踵を返す。
扉が開いたことで一瞬室内に光が差し込んだが、すぐに部屋は元の暗さに戻った。
その中で、老人は笑う。
「人の神秘。進化。ここにはない何かが、もうすぐ、もうすぐ手に入る。そのためなら、如何なる道徳も信心もかなぐり捨てよう。それが、わしのただ一つの望み」
つぶやいた声は闇に溶け、ただ誰にも聞かれることなく、消えるのだった。
お話はこれで終わりです。意味ありげですが。




