目覚めて夢現
三人の少年少女のお話、これにておしまい。
意識が浮上する。その瞬間はいつも気怠く、自身の欲望に任せてしまいたくなる。
記憶の海に浸かり、混濁とした情景の波が意識に寄せては返し、包み込もうとする。
それでも、無数に散りばめられた記憶の欠片いとを手繰り寄せ、手繰り寄せ、自分という形を造り上げる。編むように、積むように、組み合わせるように。
自分の形を成していくごとに意識は身じろぎし、心地よい場所うみから這い出るようにもがく。
それはさながら、赤子が立つように。自分という基盤を確かめるように、右手で探り。拠り所を求めるように、左手で支え。自分を縛り付けるものに負けないように、右脚で踏み出し。振り返っても転ばないように、左脚で固定して。
そうして、立ち上がる。
あの光に、近づけるように。
「ん……んん」
まぶしい光だった。
瞼の裏を照らす白い光に意識は覚醒し、混濁する頭を抱えながら、少女は身を起こす。
どうやら、真っ白いのは光だけじゃなかったらしい。見渡す限りのほとんどが白色で、見渡す限りが簡素だった。
「ここ、どこかしら……」
椛は目を覚ましたが、まだ頭と身体は覚醒しきってはいない。だが、思考することが可能な以上、現状を把握するのは先決だった。
自分が寝ているのはどうやら病人用の布団らしい。なぜ病人用なのかと思ったのは、自分が患者服を着ていたからだった。
だが、どうして自分が病院にいるのかがわからない。
「(そうよ。だって、昨日私はあの装置の中で寝て……)あっ」
そして、思い出した。
そう、どうして病院にいるのかはわかってはいないが、昨日……というよりは最後に寝る前、椛は自分たちの世界に帰るためにとある装置に入ったのだ。装置に体を寝かせ、そのあと強い光を浴びた先からの記憶がないが、最後にいた場所から違う場所にいるということは、成功したのということなのかもしれない。
その証拠としては、現にこの室内を今照らしているのは蛍光灯だ。それに、自分の寝ていた寝床の隣には精密機械が設置されている。といってこの機械は現在仕事をしていないために、動くのかどうかはわからないが。
現状を把握していると、段々と意識も明瞭になっていく。思考も、いつも通りに戻っていく。
「あ、ようやく目を覚ましたようだね」
「誰?」
扉が開く音ともに、若い男の声が椛の耳に届く。
現れたのは、白衣羽織り眼鏡を掛けた好青年であった。
青年は椛に笑いかけながら、彼女がいる場所の近くまで来る。
「キミ、昨日のことは思い出せるかい?」
「え、あの、えと……」
青年にそう問われた時、椛はさすがに戸惑った。
何せ、変な装置に乗ってこの世界に帰ってきてました、だとか、廃墟の街で機械の大群に追われてました、だとか言ったところで完全に頭の吹っ飛んだ異常者認定されてしまう。
その様子を察したかどうかはわからないが、口ごもる椛を見て、青年は苦笑いを浮かべた。
「少し意識が曖昧のようだね。無理もないか……」
「どういうことです……?」
しかし、青年の言った言葉に椛は違和感を覚えた。まるで、自分たちがどうしてここにいるのかをわかっているような口ぶりだ。いや、医者なのだから当たり前なのかもしれないのだが、それでも違和感を得た。
「いやね、キミ……いや、キミたちは倒れていたんだよ、山奥でね。それを発見した人がすぐに連絡をくれたからよかったけれど――」
「――あ、あの、その倒れてたっていうのは、どれぐらいですか!?」
「ん? ああ、安心して。キミたちが発見されてからはまだ半日ぐらいしかたっていないから」
「それじゃ、あの、今日の日付は……」
「それはもちろん――」
「それじゃ、僕は他の人の診察もあるから、これで」
「はい。ありがとうございました」
「いやいや。医者として当然の責務だよ。一応、明朝の検査で特に異常がなかったら退院できるか、今日はおとなしくしていてね」
「わかりました」
最後にまた青年は笑って、部屋から出て行った。
しかし、そんなことは今椛の中ではどうでもよかった。
信じられないことが起こりすぎていて、体面は保ててはいたが、頭の中は複雑怪奇に情報が詰められ、整理できていない。
一つ、最初に理解できたのはこの世界が確かに自分たちの世界であるということ。文字に関してはそこら中にある機械の文字を読んでわかった。そして次にこれが問題なのだが、どうやら自分たちの世界ではまだ、一日もたっていないということ。椛が訪れた異世界では確実に半年以上は過ごしていた。それなのに、あれだけの命を懸けたという何か月は、この世界では半日にも満たしていなかったということだった。とりあえずはそれだけだったが、それだけでも十分だった。
それに、話を聞いたところ、三人が発見された時の姿は普通に服を着ていたらしい。多少汚れてはいたが、それらも病院側で洗っているらしく、明日の検査が終わったあとに返してくれるらしい。
「現実感、なさすぎるわよ」
異世界のことは、しっかりと覚えている。掛け替えのない経験も、溢れる知識も、全て思い出せる。
だが、そんなものはここにはない。証拠もない。根拠もない。ただ、霞となってしまっている。
どんなに手を広げては閉じても届くことはなく、触れることも無い。
そんな虚無を感じながら、椛の帰還して最初の一日は終わりを迎えた。
「うん、特に三人とも問題はないようだ。これなら安心して退院できるよ」
「そうですか」
翌日、椛と別室にいた椋と悼也の三人で検査を受けた。
診察は一通り行い、念のために採血も行われた。
その結果として特に問題もなく、午後には退院が出来るらしい。
椛は、一日あっていないだけなのに懐かしさを覚えながら、二人の親友と一緒にいた。
「ねえ、私たちってどうなってたのかしら?」
「異世界行って、帰ってきた~」
「そう、よね。悼也も記憶があるでしょ?」
「ああ」
「どうしたの、椛ちゃん?」
「ううん、なんでもない。とりあえず、こんなことは誰に言っても信じてもらえないんだから、三人だけの内緒よ?」
「そうだね~」
三人とも、あの異世界でのことを忘れてはいない。
だが、あの異世界でのことは何もない。
夢といわれれば、そうなのかもしれない。
今ここなるのが現実で、あれは現実によく似た夢と言われたら、呆気なく信じられた。
どこに現実があるかなんて定かではなくて、全部が夢かもしれなくて、でもここにある今が現実なんだろう。
ちなみに、返された服も荷物も、それは全部三人が異世界へと行く日に着ていたものだった。靴も同様で、履きなれた感触が確かにあった。
受け付けの前を横切り、病院から外へ出る。普通は診察料だとかをとられるはずなのだが、椛の担当をしていた青年曰く、お代はいらない、らしくその好意に椛も素直に受け取ることにした。
自動開きの硝子戸が開くと、太陽の光に暖められた生暖かい風が通り抜ける。ふと椛は思いだせば、今は春も半ば。夏の到来は近かった。
「それじゃ、帰りましょうか」
「お~」
「ああ」
久しぶりの自分の家に、三人は帰路へとつくのだった。
触らぬ神に祟りなしという言葉があるように、世界には触れてはならない秘密が存在する。
その過程が何であれ、結果として見てはならぬものを見てしまったり、やってはいけないことをやってしまったり、踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったり、そういったことをしてしまった後には、大抵ロクな事が起こらない。
そしてここに、軽くではあるが確かに、その秘密に触れてしまったものが三人の少年少女がいた。
当然本人たちはそんなことに気づいていない。気づいてしまっても自覚は出来ない。
自覚できたとしても、現実は止まってくれない。
現在は過去を重ね、未来は現在に移り、過去は未来を作り出す。
つまり、覆水盆に返らない。後の祭り。たとえ今あの三人がその後の人生で何かに気付いても、過去という不変の事実は改変できない。
ここに一つ、ちょっと変わった話がある。
ある日、親友の遊びに付き合って山奥の洞窟へと行き、不注意ともいえる事故で異世界に行ってしまった少年少女のお話だ。
彼、彼女らはそこで非現実的なもの出会い、それでも協力し合って元の世界に戻ってくる。
その道中は過酷で、命を懸けながらも必死に自分の居場所に帰ろうとしたお話だ。
これ以上、この三人の未来には非現実的で特別なことは起こらない。
だから、どうかありがとう。
あなたにとって、このお話が有意義だったか無価値であったか、このお話が終わったら考えてほしい。
それが一時の時間でも満たしたのであれば、それだけで夢というだけの価値はあるでしょう。
だからこれで、夢はおしまい。
それではどうか、現の世界に幸ありますように。
本編はこれでおしまいになります。約二年、お付き合いいただけた方は本当にありがとうございました。最近になって読んでくださった方も、本当にありがとうございました。
けど、もうちょっとだけ、続くんじゃよ。




