外れた世界
定義として、この世界に精霊がいない場所はない。
ならば、精霊のいない場所がこの世界にあれば、そこはなんなのだろうか。
そこは『異世界』と、呼ばれるのではないだろうか。
「あー疲れたー」
木の爆ぜる小さな音と、獣避けと明かりの役割を行っている篝火の前で、椛は息をついた。なにせ、本来予定していた野営場所よりも遥かに進んだ先。地図を見て場所を照らし合わせれば、恐らくは三分の二は進んだ場所にいたからだった。
理由はそれなりにある。
まず、普通に進行速度を上げすぎたということ。次に、紳士の進む先は完全に地図上では直進方向であったこと。最後に、その道なりが椛が想定していた道よりも確かに危険が少なく楽であったということだ。
おかげで、予定していたよりも遥かに日数を稼げた上に食料その他も同様なわけなのだが、その分体力方面では一般人に毛が生えた程度の椛では疲労も激しかった。
「張り切りすぎっちゃたね~」
「元凶であるあんたが言うな」
「あはは~」
椋に関しては元気いっぱいである。疲れを微塵も感じさせないいつも通りの笑顔を浮かべている。悼也もまた同様で、平然と木の上で夜警していた。
ちなみに、紳士は例によって例のごとく、夜になるとどこかへと姿をくらませていたが、そんなもんだろうということで三人とも気にすることはなかった。
「でも、今日の感じで行くなら明日のお昼ごろには荒野の手前まで行けるわよ」
実際のところ、椛の予定として確かに三日、四日するかしないかの夜ごろには荒野の手前にたどり着き、そこで荷物などの選別その他諸々、精霊の力が使えなくなることを見越しての準備をしてしまおうとしていたわけなのだが、お昼にたどり着くとなると小休憩を挟んだ後には進行を再開する必要性が出てくるだろう。安全を見越すのであれば、たどり着いたその日は全て体力の回復に費やすべきではあるのだが。
「ただ、そうなると食料をどうするかが問題よね……」
「食べちゃえばいいんじゃないの~?」
「んー、そうもいかないのよね。一応、今回は保存の利く食料を主体としてるんだけど、いくらかは調理の必要な食材もあるのよ。それを捨てるわけにはいかないし、かといってそれを調理しちゃうと水もその分消費しちゃうことになるのよね」
「ちなみに、調理が必要なのって、どんなの?」
「え? そうね……根菜系の野菜が少しと、果物もあるわね」
「じゃあさ、それを保存が利くようにしちゃえばいいんじゃないかな~」
「どうやってって……ああ、その手があったわね」
食料に関して椋が聞いてきたことに椛が答えた結果、椋は一つの提案を行い、その提案に椛も見当が付いて察した。
通常であれば時間がかかるものだが、通常ではない手段を用いれば、あっという間の作業である。
「そういうこと。悼也君~、ちょっとちょっと」
そんなわけで、大方の荷物を自身の影に収納している悼也を呼び、椛と椋は作業を始めるのだった。
「ふむ。おはよう」
「おはようございます」
「おはよ~」
「………………」
翌朝、起きればすでに紳士は帰ってきており、四者四様の挨拶を交わし終えると、朝食の支度を行った。
そのついでに、椛は昨晩行っておいたものが出来上がっているかを確認する。
「ん、どうにか出来てるみたいね」
木と木の間に縄を結んだそこには、干された肉があり、他にも瓶詰にして漬けられた野菜、薄く切られて乾いた果物があった。
これらは、全て昨晩のうちに使わなくなるであろう生ものを保存が利くようにしたものだった。
通常これらは数日かけて作られるものであるが、そこは精霊の力を使った。主に水を抜くために。瓶詰にされた野菜の方は、椛たちの世界でもよく行われる浅漬けと同じだ。幸いにも果実酒があるため、同様に酢もあったおかげで作れた。これに関してはすぐに出来上がるものなので、特に手を加えてはいない。
試しに、瓶詰にした方の野菜を調べる。最も衛生的に影響が出やすため、最初に調べる必要があった。
「これなら……大丈夫ね。椋はどう思う?」
「ん~、ちょっと想定した味とは違うけど、腐ってもいないし食べられるよ」
食べてみれば、少ししなってはいたが新鮮味は薄れていなかった。味に関しては良く食べていた浅漬けとはやはり使ったものが違うので風味も違ってはいたが、これはこれで悪くなかった。
「それじゃ、これは今日の朝ごはんに使いましょう」
「さんせ~」
一応保存が利くようにしても、生であることに変わりはない。それに、さっぱり風味なものを朝食で食べる方が気分的にも良い。
こうして、朝食に一品追加されたのだった。
朝食を終えて野営の片づけを終えたら、すぐに出立した。
食べたばかりではあったので最初はゆっくり進んでいたが、それでも三十分かそこからを超えたら、すぐに昨日と同様の速さで進行していた。
といっても、最初のころに比べれば道は平坦になっており、乱立する木々を避けることと遭遇する魔物を撒くか追い払うか殺すかで少し足をとられるかどうかぐらいのものだった。といっても、ほとんどの魔物はまずこの四人の速度に追いつくことが出来ていないので置いてきぼりにされているという表現が正しいのかもしれない。
そうこうして約数時間。一般人にとっては全力で、その他人外とほぼ人外は余裕を持ったまま荒野の入口へとたどり着いたのだった。
「やっぱり、何もないところね」
見渡す限りは黄土色で、枯れ木も草木も何もない。
隔絶したように芝生と荒地は境を作り、一歩踏み出せばそこは既にこの世界ではない。
外れた世界が、そこにあった。




