黒き翼は三人を運ぶ
竜は、真空状態における無酸素空間であっても生きることが出来た。
しかし、体調は著しく落ちる。それは、竜が精霊に近しい存在であるというのが関係していた。
竜たちは通常の呼吸の際、同時に空気中に存在する下位精霊を体内に取り込み、循環させることによって、体調を整えているからだった。ゆえに、無酸素空間においては精霊の循環は行われない場合、躰の動きは鈍くなり、思考が低下する。
今、目の前に伏している竜王もまた、その状態になりつつあった。
竜王に先ほどまでの力強さは感じられない。真逆なまでに、今にも眠りそうな、意識を閉じれば起きなくなりそうな様子だった。
「なんていうか……信じられない光景よね」
竜王をその状態にした本人が、驚きを隠さない声を発する。
真空空間においては音の発生はしないものがだ、椛が自身に纏っている風を用いることで、互いの声を交換し合っていた。
「これは、倒したでいいのかな?」
「いいんじゃ、ない? 現状戦闘は……不可能だし」
「椛ちゃん?」
「……っ」
「椛ちゃん!?」
よく見てみれば、椛の顔は青ざめていた。唇など、いつもの血色の好さは垣間見えず、不健康な紫があった。そして、彼女の身体は濡れていた。
雨は容赦なく振り続け、地面は小さな穴をそこら中に作り上げている。椋はそもそも水の膜を張っていたために感じていなかったが、この雨は竜王を地面に縫い付けることが出来るまでに激しい雨なのだ。風がないのと、空気が無いのとは全く意味が違う。
そしてその雨を、風である程度威力を落としていても、椛は浴びている。生身であれば、相当堪える痛みであるのに。
「椛ちゃん、今すぐボクの方に――」
「難しい、わ。風を今消すと、僅かであってもこの真空空間を……生み出している制御が疎かになるから、余計なこと、が、出来ない」
「でも!」
「大丈夫よ……。これぐらい、なんて、こと――」
気丈に振舞おうとする椛。しかし、限界はそこまでであった。しゃべっていた言葉は最後まで紡がれず、力の抜けた膝は折れ、飛びかけている意識は雨の猛攻によって追い打ちをかけている。
「椛ちゃ――」
走り、崩れ落ちようとする椛を助けようとする椋。しかし、風の壁と水の膜は互いに反発しあい、近づくことが許されない。目の前に、親友が倒れようとするさまを、椋は見ていることしかできなかった。
はずだった。
「………………」
椛の身体は、一本の腕によって支えられていた。
それは、椛や椋のような女性の腕ではない。太く、特有のたくましさを持った、男性の腕であった。
「とう、や?」
「悼也君……」
そう、椛を支えたのは、先ほどまで倒れていたはずの悼也だった。
服装はところどころが破けており、身体も傷が癒えきっていないが、意識を取り戻し、動くことを可能としていた。
「無茶をするな」
「ごめん」
無感情ともいえるような声音だったが、それが本気で椛を心配しての言葉だというのが分かるからこそ、彼女は素直に謝った。
「………………」
そして、悼也は椛が雨に当たらないように自身を傘の代わりにする。しかしその状態は数秒も続くことはなく、悼也は立ち上がり、椛も支えながら立たせる。二人とも、雨を浴びなくなったからだ。
その代わりとして、二人には影が差していた。
「ありがとう、悼也」
影は、雨から椛と悼也を守っていた。
二人は風の壁の中にいる。だからこそ、内部までならば影を実体化させても問題はなく、影を雨避けとして利用したのだ。
このおかげで、椛の顔色も僅かにだが良くなっていた。
それからしばらく、椛は現状を維持しながらも悼也の助けを借りて体力の回復に努めた。
「ん、よし。これぐらいなら大丈夫」
「無理はするな」
「大丈夫~?」
「平気よ。立って喋ることは出来るわ」
血色も元に戻り、悼也の支えがなくとも立てるようにもなった。
その足で、椛は未だに雨によって動けず、精霊が循環しないことによって元気が失せて落ち着いてきたであろう竜王のものとへと行く。
「どう、少しは落ち着いた?」
『む、んん。ああ……』
「一応、この『喧嘩』は私たちの勝ちってことでいい?」
『そうだな。あれほどやって、こうなっているのだ。否などない』
重低音の声が響き渡り、椛の言葉に賛同した。声に元気はないが、まともな思考力は残っていたらしい。
言質は取れた。
「なら、この『喧嘩』をするにあたって、貴方が出した条件も、呑んでくれますよね?」
『うむ。話そう。ただ――』
「ただ?」
『雨か真空の状態を解いてくれ。そうすれば、自力で立ち直る』
「……わかったわ」
一度は狂喜やら怒りやらで我を忘れていた竜王ではあるが、このまともな状況で約束を違えるということはないだろう。というよりも、それをした場合、竜の王として恥を晒すだけに止まらなくなる。
それを理解しているからこそ、椛は意識を緩めた。
同時に、真空空間を生み出すために山頂を囲っていた竜巻は消え去り、囲いが消えたことで空気が一斉に流れ込み、強烈な風を巻き起こしながら上空の雲を散り散りにし、数時間ぶりの光が、山頂に降り注ぐのだった。
「ふう。いやはや、これで楽になる」
そう言い放ったのは、竜王であった。が、人の形をとった、クロアであった。
クロアの表情は心底疲れたというもので、人間臭く首を回したりもしている。
「それで、ええっと……なんだっけ?」
「私たちの世界に関する情報です」
「おお、そうだったそうだった」
クロアは、椛に言われると少し考えた。
「しょーじきに言って、言うのがめんどい」
「はぁ!?」
しかし、返ってきたのは返答を放棄した言葉だった。
「どういうことよそれ! 教えてくれないの!?」
「いや、違う違う。そうじゃなくてだなー、えー、あれなんだよ。あれであれなあれなんだよ」
「さっぱりわからないわよ」
糾弾する椛に、クロアは否定した。どうやら、クロアの言葉では上手く表現できないようで、説明ができないということらしい。
それがわかった椛ではあったが、それでも生殺し感は強かった。
「だー、めんどい! 今からそこに連れてっからそれでいいだろ!」
「へ? ちょ――」
「うわ――」
「お――」
クロアは悩むのを放棄した。
百聞は一見にしかずというが、クロアはそれを無意識に実行した。
まず、椛の腕をつかみ、上に放り投げ。
次に椋の身体を腕ごと抱えるようにして椛同様上に放り投げ。
最後に悼也を上に投げ捨てた。
「うわ、うわぁ!」
「椛ちゃん!」
『これでいいだろう』
「きゃっ」
「うわわ」
「………………」
三人が一瞬の浮遊感に包まれ、次の瞬間には落下を始めようとしたとき、小さな衝撃を受けて落下は止まる。思ったよりも早すぎた地面は黒く、光を鈍く反射していた。
地面ではなく、それは鱗だった。
黒竜という名にふさわしい黒鱗であり、三人がいたのは竜の背中であった。
『これからお前たちをその場所へ連れて行く。しっかりつかまっていろ』
「どこにつかまる場所が?」
『……確か、風が操れたんだからそれで大丈夫だろう』
「投げやりすぎる……」
竜王は、背中に三人を乗せた後のことは深く考えていなかったらしい。しかも、各自で振り落とされないようにしろというお達しであった。
『では、行くぞ』
「はぁ……」
背中から聞こえたため息を黒竜は無視し、その巨躯を大空へと飛び立たせるのだった。




