水と舞いし戦乙女は竜と踊る
お待たせしました……
少々くどい描写があると思われますが、流して読むことをおすすめします。
八薙椋は、人前で安易に本気を見せることはない。それが親友であろうとも。
真剣味のある表情や雰囲気は命の関わる状況において表出させることはあるが、それでも彼女は『全力』を出しはしなかった。
別に、椋は出し惜しみをする性格ではない。だが、彼女にとって全力を出すということは己の限界を認識させるということであり、それはそのままの意味で相対した人間と同等の力『しか』持っていないということを示すものだからだ。また、その『全力』を見た者も皆無に等しく、今と数年前で実力に大きな差があるとはいえ、椋に全力を出させたのは現八薙流正統者である、椋の祖父だけである。
それほどまでに人前に晒すことのなかった全力を、今この状況において『出さない』などという選択権は椋に存在していなかった。それは、椋自身の積み重ねてきた実力だけではない。この世界に来ることで新たに手に入れた力である精霊の力も同様に、惜しむ理由は存在していなかった。
「ふぅ……」
浅く息を吐く。
相対する相手。それは今まで出してこなかった全力を用いても勝てないであろう存在。それはそのことを意識してしまい体が強張っていたのをほぐそうとして無意識的に起こした行動だった。
最初から勝てないと決めつけているわけではない。だが、圧倒的な実力がわかっている以上、自身の実力と比較してみれば勝てる要素がほとんどないのはわかりきっていた。それでも、やらねばならない。
得物を握る手が汗でわずかに湿るのがわかり、緊張しているというのもわかる。
だがそれ以上に、胸は高鳴り、体は火照っていながらも、頭は冷静を保っている。それだけ、今のこの状況に歓喜し興奮していた。
「よろしくね、璃水ちゃん」
そこにはいない、契約した水精霊の名前を呼ぶ。
実戦において精霊の力を行使するのも椋は初めてだった。椛に悼也は頻繁に利用していた力だが、椋は移動の最中で必然的に使うことを余儀なくされた時だけ使っていた。故に、実戦という下手に失敗できない場において不安があるかと問われれば、口にはしないが「是」、と椋は内心答えているであろう。
椛に教わった方法は『想像力』が重要だった。どれだけ己の内部で具体的な偶像を想像し、その現象を肯定できるのか。それが、精霊の力を行使するにおいて必要なことであると。要はどれだけ思い込むことができるのかということだった。思い込みが強いほどに精霊の力は現実に作用し、形を成す(例外としてだが、椛の行った独立思考を持つ精霊――風莉である――を召喚し、力の行使の補助を行う方法もある)。
しかし、椋自身には具体的に思い込むということが苦手であった。天才ゆえの弊害というべきか、基本すべての事柄を感覚や勘で補い切れている時点で、理屈を考えるなど土台不可能な話だった。ゆえに、得物に水を纏わせるということはできていない。握っていた得物に纏わりついたのは、自身の手からにじみ出た汗と僅かに湿気た風だけだった。
「椋!」
その中で、椋を呼ぶ声が響いた。
呼ばれた声に、後ろを振り向く。
「椛ちゃん?」
「これっ」
椋が疑問の声を発するのとほぼ同時に、椛は何かを椋へと投げていた。
「うわ、っとと。……これって――」
「――さっさとやろうぜぇ!」
戸惑いながらも椛の投げた物を受け取り、何かを確認しようとするよりも先に、しびれを切らしたクロアが、すでに飛び出していた。
「――っ!?」
無造作にしか……いや、実際に無造作に放たれた蹴りと思われる攻撃が、椋のいる場所を抉る。
クロアが地面を抉るよりも一瞬早く、椋は横に避けることで事なきを得る。
抉られた地面の細かな土飛礫が、椋の服にぶつかり落ちた。
「待つのは嫌いなんだ。暇なのはもっと嫌いなんだよ」
「………………」
いくらなんでも嫌いすぎじゃないか、と椋は口から出そうになったが呑み込んだ。別段言う必要もなく、また下手に言って気分を損ねられたら厄介だ。口は災いの元などという言葉を自身の身で味わいたくはない。
椋はこの気分屋から目を離すことなく、椛に投げ渡されたものを確認する。
筒だ。それも、飲料などを入れる類の。そしてそれは、椋がもしものためとして持っていた精霊の力を行使するための水だった。
「ありがと、椛ちゃん」
小さく呟くなり、椋は筒を見ることなく栓を開け、宙に水を撒く。
筒から飛び出した水は、上方へと向かう力を失い落ちようとする。
だが、重力に囚われたはずの水は地面を濡らすことはなかった。
散った水と水滴は集合し、椋の顔一つ分もあるほどの球を形成して宙に漂っていた。
精霊の力を用いるうえで重要なのは想像力。
椋は水が球状を成して目の前にあるということを想像した結果が、これであった。
「やっとかよ」
待ちくたびれたかのようにクロアは呟く。
その声に椋は反応することなく、今目の前に存在する水球に注意を向けた。
それはほんの数瞬のことではあったが、クロアへと視線を注意を戻し、構えなおす。
「………………」
無言のまま椋は構えていた。その数泊後、傍らを漂っていた水球が小さな波を起こし、形状を変え始めた。
そこに一つの存在としてありながら、多様な状況で千変万化に姿を変えていくのが水。
漂う水塊は様々な姿に変化し輪郭を生み出しながらも、やがて元の球状へと戻る。
本当の変化はここからだった。
漂っていた水塊は見るものによっては遅々とした動きながらも椋の得物へと近づいていき、得物の先端を包み込む。瞬間、そこから得物を侵食するかのように、薄い水の膜が得物全体を覆いだした。
得物に施された装飾の隙間を埋め、椋の握っている指や掌の隙間から侵入し、数秒と掛からずして、得物は水に包まれる。先端には、もともと繋がっていた球状の水塊が、わずかに体積を小さくしながらも残し、変化は停止した。見た目は棍に見えなくもない。そんな形状となって。
「ハハッ! さぁ、楽しもうぜ!」
椋の起こした現象に、クロアは一層獰猛な笑みを浮かべる。
姿が消えるのが先なのか、岩が抉れたのが先なのか。断然後者のほうが現象は早かった。だがそれ以上に、物理法則を捻じ曲げ音速を超えた速度で以て、クロアは椋へと飛び掛かるのだった。
「ふっ…………!」
「おぉ!?」
目視できない『ナニカ』が、椋を襲うよりも早く、彼女は避けた。それも、一直線上に跳んだであろうクロアの方へと飛びながら。
無論、椋が水を操れるようになったからといって、クロアの動きが突然視認し、反応することなどできはしない。
それでも、確かに椋は避けた。紙一重、僅かな瞬間でも逃していれば死は免れない一撃を、敢えて飛び込み、体軸の回転によって避けた。
抉れた土が、再度宙を舞う。
「まだまだぁ!」
跳ね上がった土が地面に落ちるよりも早く、クロアは再度、抉れた土をさらに抉りながら、椋へと突貫する。
土煙を巻き上げ掻き分け、『一直線』に。
「ハァッ!!」
体の軸を、クロアの跳んでくる線上からずらす。そしてそこに、回転することで得た遠心力を上乗せした一撃が、振りぬかれた。
「づぁ゛!」
クロアが着地とともに地面を抉るのと同時に、勢いの乗った水の棍はクロアの胴体を打ち付けた。
見た目からは感じられない、鈍い音がクロアから発せられる。
これこそは、現状椋の見出した唯一の勝策。
猪突猛進への、攻撃の設置。
現状クロアは小手先の利いた行動を起こしていない。ただ、目に追うことのできない速度での突進からの襲撃。
もちろん椋にはクロアの動きは見えない。しかし、感じ取ることは出来る。
動作の初動をが本人から伝わることはなくとも、その周りに存在する環境は違う。空気の動き、土を踏む音、布のはためく音。全ての環境に連鎖して起こる現象を感じ取り、ある程度でも行動の先読みは行う。
それだけの命がけな神業を、椋は実行していた。
結果は、見事にクロアへ初めてまともな一撃を与えることができたのだった。あれだけ何をしても反応することのなかった『絶対者』に、ついに反応を起こさせたのだ。
「つぁー、さすがに痛ぇ。久々だなぁ、こんな痛みもよぉ」
「すぐに倒れてくれると嬉しいんだけどなぁ」
「冗談ッ! 久々の楽しみなんだ、もっと踊ってくれよなぁ!!」
「ッ!」
笑い、楽しむクロア。痛みを得たことに、狂喜する。
無造作に、挙動などなく振りぬかれる『ナニカ』。椋は、その一撃を辛うじて得物で受け止める。
「づらぁ!」
「くぅっ!!」
が、振りぬかれたことによって足は地面から離れ、一撃を喰らうことはなくとも後方へと椋は飛ばされた。
さらに、許容を超えるだけの一撃を受け止めたからなのか、得物を纏っていた水の幾割が剥がされる。空いた穴を塞ぐように水は再度得物を包み込む。が、先端の水球は一回り小さくなっていた。
「らぁ!」
そして椋が地に足をつけるよりも早く、クロアは追撃する。
振りぬかれた一撃。椋は強引に体を捻り、打突に対して横から得物を殴りつけることで自らへの被弾を回避した。その際にまた水は弾け飛び、先端の水球はさらに一回り小さくなる。
「はっ!」
椋は飛んだ状態でありながら、地面に深々と得物を突き込む。
「あっ」
急制動を掛けられた椋の体は僅かに軋むも、平行に飛んでいたクロアは止まることなく、椋の遥か後方へと向かった。
とっさとはいえ、あまりに無茶な行為であったが、そうしなければ飛んでいる間クロアに主導権を握られ、下手をすればそこでやられていた。だからこそ、強引にでも状況を変えたのだ。
「ったく、強引だねぇ」
「あなたほどじゃないですよ」
「そりゃ、俺様は竜だからな!」
笑う竜王。
そうとも、人間の姿かたちでも竜は竜。常識に縛られるわけがない。
「次は複雑にすんぞ!」
叫ぶと同時、クロアの姿は消失する。
「うそっ!?」
だが、今回の動きは先ほどまでとは違っていた。
そう、消えたのは変わらない。だが、消えて一瞬にも満たずして椋を襲っていたのが、変わっていた。
視界の右端で土が舞う。
視界の左端で小石が跳ねる。
視界の中央を影が過る。
複雑に、それは動いていた。
移動の方法は直線と変わらない。だが、動きに『制』が加わり、『曲』が生まれた。
急制動を行っている以上、地面は抉れ、僅かではあっても速度を減速させていることから影を見ることは出来る。だが、それだけだ。逆に、様々な場所で様々な現象が起きているせいで、全てがクロアの襲撃方向を悟らせない目くらましとまで化していた。
予想できない襲撃。
椋は片時の油断もできないまま、端々で起こる現象に意識を巡らせながらも、一点に集中しないように身構える。
絶え間なく音は鳴り、土と小石は舞い、影は踊る。
「おらぁ!」
「っ!?――やぁ!!」
それは一瞬の間であったのだろう。
無数の現象に椋が囚われなかったからこそ、気づくことができた。
椋から見て右、しかも死角。完全に視界にとらえることのできなかった一撃を、椋はクロアから漏れた闘気と殺気に気づいた。
椋の一撃と、クロアの一撃が正面からぶつかり合う。
「っ」
「おっと」
「――はぁ!!」
「――らぁ!!」
拮抗していたのか、互いの一撃は弾かれた。いや、椋は元より負けている。その証拠に、得物からはまた水が剥がれ、水球は小さくなっていた。
しかし、二人はそこで止まらなかった。
のけぞった力を溜めに変換し、再度正面からぶつかり合う。
初手と同様、弾かれる。そしておなじく、得物からは水が剥がれ散る。
「やぁ!!」
「づらぁ!!」
三手。四手。何度も何度も何度も。
仰け反っては正面から打ち合う。
水が弾ける。
土が抉れる。
角度を変えても互いは正面から打ち合う。
それはまるで舞いのように。
弾かれる力を上乗せしていき、両者の時間は延びていく。
速く長く。永く早く。
しかし、それは叶わない。
消耗し続ける水。それが失われた時、あれだけの一撃を受け止め続けた椋の得物は呆気なく砕け散り、受け止めきれなかった一撃は椋へと吸い込まれることで時間は元に戻る。
そして、その時間はもう、間もなくだった。
自然と、椋の中では焦りも生まれ、願望が沸く。
もっとこの時間を続けるために。いや、勝つために。そのための力が、自身をこの絶対者と対等に渡り合わさせてくれた精霊の力、そしてそのための水が欲しい。
しかし、願いは叶わず、水は集まるはずもない。一合ごとに水は散り、減っていく。
クロアの表情は喜びに溢れ、疲れなど存在していない。
募る焦り。
そんな椋の思いを体現したかのように、空には雲が集い始めていた。
二か月あけなくてホッとしています。
私用が忙しくて中々手を出せないですが、できる限り間隔は開けないように頑張ります。




