南東コエニギ
眠らない国コエニギ。
それは揶揄でも何でもなく、夜になったとしても消えることの無い一つの『音』に関係がある。
朝から晩まで、時間は関係なく鳴り響く、金鎚の音。
鉄を叩き、石を叩き、休むことなくそれぞれの工房からは金鎚を振う音が鳴り響き、音が止んだ瞬間を聞いたものは誰一人としていない。
自らのために、誰かのために、振って振って振り続ける。それが、この国そのものの姿だろう。
それ故に己の技術を秘匿するというのは当然ではあるが、その分だけお互いの情報を酒場で飲み交わしながら交換する。これもまた、この国の特徴と云えば特徴だろう。
だからこそ、初めてこの国に訪れた者は皆驚く。音に、熱に、迫力に。
最初の夜は大変なものだ。寝るにも常にどこからか金鎚の音が聴こえてくるのだから。もし静かな場所が好きな者であれば、半日もいることは出来ないだろう。
だがそれだけ、この国は活気に満ち溢れていた。
そしてここにもまた、コエニギの活気に気圧される者たちがいた。
「うわすご……」
「ここまで来ると苦情も何もないね~」
「………………」
高くそびえ立つ防壁のおかげで音はほとんど聞こえず、入ってみれば堰を切ったように音が耳を責めたてるのだから、衝撃を受けるのも無理はないだろう。
また中央には市場が――そこまで大きくはないが――あり、行商人が客に様々な商品を売っていた。ドラクンクルトとは比べれば人数で負けるが、活気は同等なぐらいであった。
「とりあえず、宿を探しましょう」
例によって例であり、宿屋を探す一行であった。
宿に関していえば、ここは鉱山や温泉があるからということからか、旅行客に他の国からのギルドの者たちもやってくるようで、泊まる場所に困ることは無かった。
荷物を一通り置いたところで、次はギルドを探す。最低でも、ギルドマスターに挨拶ぐらいはしておかないといけないのでという配慮からだった。
「いやはや、この音に慣れるのは時間が掛かりそうね」
「ぼっ~としてくるね~」
近くからも、遠くからも、金鎚の叩く音が聞こえれば、焼く音、削る音。それらは混じり合えば不協和音でしかないはずなのに、どこか不思議な音色のようにも聞こえてくる。だがこうまで音が常に隣にいると、気にしなくなるまでにはそれなりの慣れが必要となるだろう。
そうこうして、宿屋の主人にギルドの大まかな場所を聞き、外では細かな部分をコエニギの住人達と思しき者たちから聞いて辿り着いた。
扉を開き、ギルドの中へと入る。
途端に、聞こえていた音の波は別の音へと切り替わった。
物同士のぶつかり合う音から、人々の交わし合う声へと。
「すいません」
「ん、なんだい?」
受付にいた男に話しかけると、男は反応する。
鼻の下に立派に生やした髭が特徴的で袖なしの服を着ている上に筋骨隆々だが、この男が受付なのだろう。
「えっと、こちらのギルドマスターさんにお会いになりたいんですけど……」
「ドワーツさんに?」
「え、ええ……」
どうやら、コエニギのギルドマスターの名はドワーツというらしい。
といってもいきなりギルドの責任者を彼から見れば子供が呼び出すというのだから、訝しげな顔をするのは仕方がないのかもしれない。
「ちょっと待ってな……おい、オマエらドワーツさん知らねぇか?」
男が、大声でギルドの中にいる者たちに声を掛ける。
「いや、知らねぇな」
「酒場の方じゃないか?」
「それだったら、今日はまだ工房から出てないんじゃないか?」
といっても、反応したギルドメンバーの者たちは根拠のあるようなものではなく、仮定のみだった。
「だそうだ。今んとこまだギルドには戻って来ちゃいねぇし、すまねぇがあの人を探してんなら、ここの一番デケェ酒場か、工房にいると思う」
「そうでしたか」
「もし工房に行くっつうなら、場所は教えるがどうする?」
「お願いします」
「おう」
そんなわけで、男は紙に決して上手くはないが地図を描くと椛に手渡し、それに礼をするとギルドを後にするのだった。
まず最初に椛たちが向かったのは工房だった。
理由としては、酒場は名の通り客に酒が入っている。なので下手な場面で行ってしまえば厄介ごとに巻き込まれるかもしれないのと、情報収集を行うのは後にした方がいいというものだった。
よって、地図を何とか解読していき歩いていくと、目的地であろう工房に辿り着いた。
「ごめんくださーい!」
扉を叩いたのち、中に入る。
工房の中は、少し外より温度が高い。そして、誰かがいるであろうことを示す音がした。
金鎚の音だ。
「すいませーん!」
だが、椛が声を張り上げても金鎚の振るう音が止まらない。
目に見えない場所にいるとしても結構な音がこちらに聴こえているのだから、それなりの声では聞こえないのかもしれない。
これでは、中にいるであろう人物に音は聞こえないだろう。
「任せなさ~い」
「椋?」
どうしようかと悩んでいた椛の前に出たのは、椋だった。
得意気な顔をしているからに、何か策でもあるのだろう。よって、椛は何も言わずに椋のさせたいようにさせることにした。
「聞こえないなら、感じさせればいいじゃない~」
歌うようにして、椋の雰囲気が一瞬にして変わった。
「っ!? 下がれ!」
「ちょ、悼也!?」
そして何を感じ取ったのか、悼也が椛と椋の間に割り込み、当然のごとく椛は驚く。
だがその驚愕よりも、さらに大きな驚愕が目の前から塗りつぶした。
椋を中心として、『ソレ』は発せられた。
「うっ!?」
「っ」
背筋に冷や水を掛けられたかのように嫌な汗が沸く。
粘つくような、呑み込まれるような、この世界に来てからは何度も味わったもの。
だがその中でも、数段の密度をもった『ソレ』は、親友から発せられたことさえも疑いたくなるほどに恐ろしいものだった。
『殺気』。
文字通り、殺す『気』。
椋の場合特定の誰かに対して殺気を飛ばすことは可能だが、今回に限っていえば知りもしない誰か。故に、それは広範囲に及ぶ殺気をばら撒かなければ意味がない。それ故に見境がないため、椛にも等しくその殺気は降りかかっているのだ。
悼也が椛の前に出たのも、出来る限り椋の殺気を直に感じないようにという配慮であったが、この空間を埋め尽くすだけの殺気には大きな意味を成さなかったが。
「誰だッ!?」
だが、椋の狙いは成功した。工房の奥から、一人の巨漢が現れたからだ。
この男こそが、ドワーツであった。




