椋の用事と、新たな出会い 前編
椛と悼也が『ゴブリン』の討伐に向かっている頃、椋はギルドの受付にある待合用の椅子に座り、体をテーブルに全体重をのせてぐでっていた。つまり、暇なのである。
加えて、椋はこの世界に来てから二日間、まともに寝ていない。
一日目も二日目も夜の番を率先してやっており、悼也も夜番はしてくれていたが、それでも椋は一時間休んだら悼也をすぐに寝かせていた。一応八薙家の訓練の一つとして長い期間寝ずに行動には慣れていたが、それでも眠たいものは眠たい。加えて椋はまだまだ発育途中の身でもあるため身体が睡眠を欲する。それでも睡眠欲を理性で捻じ伏せ、椛たちには平気なように振る舞っていただけなのだから。
気を抜くと、瞼がだんだんと下りてくる。今なら他に見ている人はいないし、少しぐらいは休んでもいいかな~、と椋は内心思いそのまま瞼を閉じると、意識も一緒に闇へと落ちていった。
――ガチャ……バタン
「(ん?)」
椋は自分の周囲に突然音が生まれ、それによって深く落ちていた意識を半ば強制的に目覚めさせる。
どうやら誰かがギルドの受付所に入ってきたらしい。既に何度か聞いているギルドの入口にあるドアが開閉するときの音だ。
――コツ、コツ、コツ
それと同時に床を歩く足音も聞こえてくる。
一応靴を履いているわけであり、相当なことが無ければ人で間違いないだろう。
――コツ、コツ、キュッ
足音が止まる。しかも、現在椋が寝ている(ふり)近くで、だ。
「何か用?」
そこで椋は面を上げ、相手を確認することにした。
それなりに実力のあるものなら気付く位にだが声音に殺気も混ぜる。
もし自分よりも格上相手だった場合、相手を確認できないというのは大きなアドバンテージを与えることになってしまうからだ。
「申し訳ございませんでした」
「お休みのところ失礼かと思いましたが、」
「ギルドマスターであるビスタート様の命により、」
「リョウ様をご案内に参りました」
だが、その相手は椋の態度を気にするようなこともなく淡々と喋る、長身の女性だった。
特に変わったところは見受けられない。だが、椋にはどこかこの女性に違和感を覚える。
しかし、それもすぐに気のせいだろうという心の声によって意識から飛ぶ。
「え~っと、つまりボクをとある場所に連れて行く役目っていうのがアナタですか?」
「そうなります」
「それと申し遅れましたが、」
「わたくしの名前はアネモアと申します」
「ランクはBですが、」
「主にギルドの受付と、」
「薬品調合や植物の栽培などを行っています」
「は、はぁ……」
日頃椛や悼也と話すとき、なんだかんだで彼女は調子を狂わせることはないのだが、このアネモアという女性に関してだけはなぜかこっちのペースが乱される。このことは体験した経験が皆無な椋は戸惑うしかない。
「それで、え~っと、どこに?」
とりあえず椋は目的の場所などを聞くことにした。
その質問にアネモアは無表情を貫き通し、淡々と話す。
「はい」
「少し歩くことになりますが、」
「これからリョウ様には、」
「ギルドにおいて使うことになります武器や、」
「防具の採寸などをしてもらうために、」
「それぞれのお店を回ることと、」
「同時に今後使うことになるであろうお店を覚えてもらおう、」
「という結論になりました」
「そ、それは椛ちゃんたちが試験を終えて帰ってきてからでも……」
椋としては物覚えがよろしいわけではないので、言葉で伝えられるよりも実際に視て聴いて感じての方がなにぶん助かりはする。
しかしそれでも、自分一人でこの目の前の女性としばらく一緒にいるというのは精神的に疲れる。
これが椋の大好きな椛であれば、会話の全てを彼女が自然と請け負ってくれるというのに。今ここに椛はいない。
そしてやはり、アネモアは無表情。
「いえ、」
「モミジ様とトウヤ様は現状まだギルドのメンバーではございません」
「よって、」
「今すぐにでも依頼の受けられるリョウ様は我々ギルドが最小限の援助をする必要があります」
「加えて、」
「わたくしとしてもあまり職場は離れたくないのでございます」
「つまり?」
「ぶっちゃけてしまえば、」
「何度も説明するのメンドクサイ、」
「というわけです」
アネモアは無表情でありながらとんでもないことをさらっと言った。
椋もまたこのセリフには驚かされた。
なにせ真面目一辺倒かと思われた表情も読めない女性がこんなことを言ったのだ、やはり苦手なタイプだと改めて認識する。
「わ、わかりました。それじゃあよろしくお願いします」
「畏まりました」
椋は席を立ちあがりそういうと、アネモアは一度礼をして反転する。
「それでは、」
「わたくしの後ろをついてきてください」
とだけアネモアは言い歩き出したため、椋もその後を追ってギルドの外に出る。
こうして、ギルドに人はいなくなった。
「最初はどこに行くんですか?」
ギルドを出てしばらく、無言で歩き続けることに耐えきれなくなった椋はアネモアに問いかける。
それをアネモアは振り返ることもせずに答える。
「これから行くところは、」
「鍛冶屋兼武器防具屋であるモーガン氏の場所です」
「まずはそこで基本となるリョウ様の武器や採寸を測って防具を作ることになります」
「ほとんどはモーガンさんのところで済むんだ……」
「はい」
「ただモーガン氏は、」
「ご高齢の上に少々気難しかったりするところがありますのでご注意ください」
「はぁ……」
「到着しました」
アネモアと話している間に椋はいつの間にか一つの店の前にいた。
見上げてみれば、店には看板が掛けられており、そこには【武器防具・鍛冶屋】と簡素なもの。だがその看板は長い時間を経た風格のようなものがにじみ出ている。普通の人から見ればただの古びた看板にしか見えないが。
「こちらです」
アネモアが店の扉を開け、中へと勧めてくるので、椋も中へと入る。
――カンッ! カンッ! カンッ!
最初に入ってきたのは外からはまるで聞こえなかったのに、入った途端に大音量で響く金属を叩く音。
次にむっ、とくるような暑い空気。
空気を循環させる類のものが働いているのだろうが、焼け石に水と言えばいいか、サウナ並に蒸し暑い。
「な、なんでこんなに暑いの~」
「ここは鍛冶屋でもございますので」
正論だった。
店に入って手前にはいろいろな武器や防具などが壁に掛けられていたり、机に並べられていたりしており、奥へと進むと大きな窯が姿を見せる。店内が暑い理由の元凶はこれだろう。
そしてその窯とを遮る台があり、それが恐らくは受付の役割をしているのだろうと椋は思う。
「モーガン様、」
「お客様をお連れしました」
相変わらず特徴のある喋り方をするアネモアが受付の奥に声を掛ける。
すると、大音量で響いていた金属の音は鳴り止み、窯から火の爆ぜる音だけが残る。
「なんじゃ、新しいメンバーでも入れたか?」
「はい」
「ふん、そうか。で、それはそこの嬢ちゃんのことか?」
「はい」
腰を曲げたお爺さん……モーガンが現れる。
歳はかなりのはずなのに、その瞳には年相応の光よりもはるかに若いものがある。
その瞳が、じろっ、と椋を見据えた。
「椋といいます。初めまして、モーガンさん」
「ふん」
椋の挨拶にモーガンは鼻を一つ鳴らす。
「儂も商売じゃ、やるからには仕事はしよう。ではリョウよ、お主は何回人を殺めたことがある?」
「……一度も、ありません」
「そうか。それならそれでいい。では、お主はどの様な武器を求める?」
「刃の無い長槍で」
「槍とは相手を刺殺し、薙殺すものじゃぞ?」
「わかっています」
「ふん、わかったわい。それと、お主はこれだけ着ていろ。防具を作るうえでお主の体に合わせる必要があるんでな」
「はい」
そういってモーガンから渡されたのは一着の薄いワンピース状の白い服。
それを渡したモーガンは奥へと消える。
「それではリョウ様、」
「こちらでお着替え下さい」
どうやら、受付の左にある布で覆われた場所は更衣室らしく、拒む理由もない椋は中に入って服を全て脱いで籠に入れ、渡されていたワンピースを着る。
大きさは誰でも着れるようにしているためか地面に着くかつかないかのぎりぎりのところだった。
「着替えました~」
「そうか」
椋が更衣室から出ると、奥へと行っていたモーガンが帰ってきており、その手には布生地で作られた巻尺。
「前へ来い」
「はい」
さすがに、初めて出会った人、しかも老いているとはいえ異性に体を測られるというのには恥ずかしさがある。
なので椋は、道場の修行で鍛え上げた精神と意志で心を殺し、ただじっと待つ。
「………………」
「………………」
モーガンは慣れた手つきで椋の体を測っていき、記録はつけない。だからなのか、その行為自体はものの数分も掛かることは無かった。
「終わったぞ」
たった一言、それだけをモーガンは言うと奥へと行く。
それは、もう着替えてもいい、という意味に気付くのに時間は掛からなかった。
「三日後に来い」
そして、奥から戻ってきたモーガンは椋にそう言うと奥へと戻っていき、金属の叩かれる音が鳴り始める。
「ここでの用事はこれで終わりになります」
椋がモーガンと話している間ずっと黙っていたアネモアが話す。
「終わりって?」
「モーガン様は既にリョウ様の武器と防具の製作に取り掛かり始めたということです」
「それにしても、」
「リョウ様は幸運ですね」
「どういうこと?」
アネモアの言っていることの意味がわからない椋は尋ねると、アネモアは一つ頷き、
「本来モーガン様には多くの仕事の依頼がありますが、」
「あの方は自分の気の向いた仕事にしか手を出そうとはしません」
「それゆえ、何年と依頼が果たされない依頼者の方もいれば、」
「一日で依頼を果たしてもらった依頼者もいるというわけです」
「なので、」
「三日という期間を考えれば、」
「武器に防具を一から作り上げることになりますので、」
「三日というのは期間は極めて珍しく、」
「モーガン様にとっては意味のある仕事だということなのでしょう」
「あの方は、」
「富や権力がどんなに相手にあろうともやりたいものしかやりませんから」
と言った。
「そっか」
椋も、それで理解が出来た。
なぜ、アネモアがモーガンのことを気難しいと言ったのかが。
恐らく彼は、自分の中にある何かを信じているがゆえに、武器を、防具を打っているのであり、その過程の中に依頼者が仕事を入れるからこそ、彼の信じる何かにそれが触れたときだけ、彼はその人のためにその人にとってのモノを鍛えあげるのだろう、と。
「それでは、」
「次の場所に案内いたします」
「は~い」
アネモアにそう言われ、椋はようやく自分がいつも通りの口調になっていることに気づく。つまりは、それなりにアネモアにも慣れてきたのかもしれない。
鍛冶屋を出ていくアネモアを追って、椋は鉄の叩く音を絶え間なく発し続けているこの場所をあとにするのだった。