獣人の咢
『速いのぅ、我ら精霊の力を借りぬ身でその身体能力とは。お主、本当に人間か?』
「………………」
『ふむふむ。是を得て然り。確かに人の子であるな。ただ――』
「舌を噛むぞ」
『ぬっ? のわぁ!?』
風莉の呟きもなんのその、極力音を抑えて駆けていた悼也が予備動作もなく横に跳びこみ木の影へと隠れこむ。それに遅れ、彼が元いた場所に、強烈な音と共に一本の朽ちた木が地面に突き立った。
少しでも対応が遅れていれば、悼也の身体はあの朽木によって貫かれていたであろう。
「んー? おかしいな、確かに後ろからなんかが追っかけてきている感じだったんだが……」
それは、悼也の追跡している者が放ったものの様だ。上半身は人の身体をしているが、下半身が馬という、空想的な物語でいうケンタウロスという生物がしっくりする姿をした男だった。
馬男はアテが外れたからか、手を後ろに回して頭を掻いている。そして、彼のもう片方の腕は何もしてないかと言えば、ある物体を掴んでいた。
馬男の三倍はあろうかという絶命した牛が、男の人間と変わらない腕と手に抱えられている。面積が多くとも質量が伴わないものは確かにあるが、あの牛が見かけ倒しではなく、その大きさに見合っただけの質量を持っていることは素人でもわかる。それを、片手で楽々と抱え、あの馬男は身軽に走っていたのだ。
「気のせいか。はぁーメンドくせぇ、さっさと帰れねぇとまぁたどやされるしな」
そして、馬男はその違和感を追及するよりも早々に移動することを優先事項としたらしい。身を翻すと、軽快な足取りで森の中を進んでいった。
『あ、危なかったのぅ』
馬男が追跡ギリギリの位置まで去ったところで、悼也は姿を現し、彼の代弁をするように風莉は感想を述べた。
確かに、悼也の追跡術は完全な消音とはいかずとも極小音のレベルにまで下げていたはずだ。それこそ、風によってこすれ合う葉の音よりも小さかっただろう。それを、あの馬男は理屈理論を差し引いて、感覚で察知した。野性の勘だとしても、厄介極まりない。
『しかし、アレで気づくとは、あの者姿形だけではない。鍛練を積んでおるな。
どうするつもりじゃ、トウヤ』
「潜る」
ならばと、悼也の出した答えは至極簡単である。
気配を断って音を極小にしてなお、気取られかけたならば、姿を無くし、気配を紛れさせる。
幸いにして、木々囲まれたこの空間であれば、影にある場所に事欠かない。
行動は迅速に。
先ほど潜り込んだ大樹の影へと再度体を潜らせ、悼也に接している風莉も悼也の一部とみなされ影へと呑まれる。
そして、姿なく影在りし追跡者は動き出した。
六時間。
それが悼也の追跡できた時間だった。
「いやはや、ここまでしっかりついて来るやつがいるとはなー」
「つか、なに見つかってんだよ」
「いやぁ、見つかるとは思わなかった」
「いつもおちゃらけて考えすぎなんだよ、だからこうなるんだよ。
とりあえず、ここまで追わせたからオマエ晩飯抜きな」
「バカなっ!? ちゃんと食糧捕ってきたのに!」
「差し引きで晩飯抜きで済ませてやってんだから、軽い方だろ。そこらへんの草でも齧ってろ。
で、どうすんだ?」
「ひでぇでそりゃぁ……。まぁ、とりあえず捕獲だろ!」
そして現在、彼は挟まれていた。
悼也自身、まだ影に伏せており姿は見せていない。
しかし、いま彼は確かに挟まれていた。
正面視界には、追跡していた馬男。背面には、狼そのものであるが、知恵を持ち、言葉を有する雄狼。
「せぇ、のぉ!」
馬男は、そこらの石を拾い上げると、投擲。
それは風を切り、狙い違わず悼也の潜んでいる影へと飛んでくる。
だが、その石が飛来するよりも速く、影は移動し、石の着弾点より退避する。
「ふん!」
その影の退避した先に、どのようにして先回りしたのか、狼は待ち伏せ、そしてその影へと右前脚を叩きこむ。
影はこの行動を回避することは出来ず、一部を足に捉えられる。
「呆気ないな。このてい――っ!?」
「………………」
次の瞬間、狼は捉えていた影からを身を放す。
原因は、影から生えていた刃。影によってその刃は構成され、使用した主の想像力によってその影によって生まれるモノの耐久度は増す。
その影より、小さく波打ち、悼也は姿を現した。
「ほう、人間だが何かが違う。だが、今そんなことはどうでもいい」
「ふっ!」
言葉は無く、狼へと悼也は肉迫。左右の手には一本ずつ影の棍棒を持っている。
右の手を前に、左の手を後ろに。前後どちらからでも向かって来られても対処できるように彼は構えて走る。
右の腕を振りかぶることなく、走りの勢いに任せて突き出す。
その一撃を狼は冷静に見極め、横へと飛ぶことは無く、身を屈めて前へと跳びだす。
開いた咢が狙うは悼也の脚。その行動に悼也も対処し、突き出したままの勢いを以て肘を振り下ろす。
だが、それは狼の狙っていた行動であった。
一瞬踏みとどまることで、肘を鼻先に掠めることなく回避し、止まった際に殺しきれなかった勢いを再利用して、本命である悼也の脇を強靭なる爪で切り裂いた。
「くっ!」
「甘いな、若造」
傷は深いわけではないが、外傷を負ったことに変わりなく、血が滲み、裂かれた服に広がる。
悼也は傷を影によって塞ぎ、応急処置をする。まだ、動きに支障はない。動く事は出来る。
『ト、トウヤ!? 大丈夫かお主!』
「ん? 精霊?」
「連絡をしろ」
『わ、わかった!』
そこで、風莉が悼也の懐から飛び出し、悼也は出て来た風莉に構えを解かず、腰に掛けてある袋から連絡用に椛から渡されていた石を風莉に渡す。風莉は悼也の意図を汲み取り受け取ると、悼也から離れ、目の前にいる狼が届かないであろう場所までその身の高度を上げた。
「連絡されてよぉ、オレらのことを知られるのは好ましくないんだよなぁ」
『な、何をするか!?』
「チッ」
だが風莉が離れたところで、いつ移動していたのか、馬男は悼也の後ろに回り込んでおり、さらには風莉を捕まえていた。
「一応よぉ、大人しく捕まってくれや。そんな悪いことしねぇよ。オレらだって、人間いなけりゃあ生まれてねぇんだから、見つかりましたじゃあ殺しましょう、ってわけにもいかないんだわ。な、だから、大人しくしてくれ?」
「わかった」
「ん、そいつはよかった。ほれ、この精霊は放すけどよ、ちょっとこの連絡用の石は預からせてもうわ」
悼也は、手に持っていた影の武器を解く。それを確認すると、馬男は風莉を解放した。
『す、すまぬ』
「気にしていない」
「そんじゃぁ、ついて来てくれるか。あ、念の為って要る?」
「いや、いらないだろう。一人で相手を出来るほどではないと気づいているはずだ」
馬男が狼に問いかけると、狼は必要ないと判断し、悼也へと近づいてくる。
右に馬男が、左に狼が、悼也を挟んだ。
「ま、ようこそ、オレらの住処へ。人間さんに精霊さん」
「………………」
こうして悼也は、獣人たちに連れられて、彼らの国へと足を踏み入れたのだった。
案外風莉は抜けているようです。




