霧中の結界
「深い霧……」
昨夜のゾンビの襲撃から日が明け、出発の準備を終えた椛とビスタートは、ついに頂上の一歩手前へとやってきた。
しかし、今二人の目の前にはあるものがいた。
それは、あからさまに違和感を覚える、濃い霧。
一メートル先も見えるかどうか妖しいその霧は、頂上への道を遮るようにしてそこにいた。
「ま、十中八九ここの精霊と、この霊峰の特性上に出来上がった霧だな。
ただし、この先を進まないと頂上へは行けない。それに、どれほどまでかはわからないが、単純な霧というわけでもないんだろう」
「でも、ビスタートさんは前にも来たことがあるんですよね? その時はどうしたんですか?」
「こんな霧は無かった。というより、オレが来たときはこんなに平和な環境でもなかったからな」
「は?」
ビスタートの言葉を、椛は耳を疑った。
あのように過酷な道を、ビスタートは平和だと言ったのだ。それは、なにを指して言っているのかまではわからないが、明らかに、彼にとって今回の登山は苦でもないということなのだろうか?
「とりあえず、ここ進むしかないだろう。とりあえず、念のためにコイツを持ってきてよかったな」
「これですか」
ビスタートが取り出したのは、同じもの同士がぶつかり合うと共鳴し合って透き通った音を奏でる金属。それが輪っかにしたモノに三つ穴を開けられて通したもの。
椛も同様のものを取出し、ビスタートと同じように腰に装着した。
これで、少し離れているとしてもお互いの方向は音で確認することが出来る。
次に取り出したのは命綱。
ここまでつけていなかったのか、といわれればそれまでだが、ここから先は濃霧のために何が起こるかわからない。突然道が途切れて落ちる可能性もある。それ故に、準備に越したことは無かった。
「うし、それじゃあ行くか。今回はオレの後ろをついて来い」
「わかりました」
さすがに危険と判断したのだろう。ビスタートは椛の前を歩き、椛もビスタートからは一メートル以上は離れないようにして歩き出す。
目の前の霧、二人は足を踏み入れた。
「はぁ、はぁ……」
歩き続けることどれぐらいだろうか。
日の光など一筋も射さず、照らしているライトでさえ手元を照らすだけで足元まで光が届いていない。
加えて、一歩歩くたびに霧が服へ体へと張り付き、服や荷物は水を含むことでさらに重みを増していき、身体は霧が集まって水滴となり体中から流れて蒸れる。
まともに息は出来ず、吸えば一緒に多量の水分。これでもかと口の中は潤っている。
薄めでなければ流れる水が目に入って視界を遮るので状況の確認も難しく、頼りになって歩いているのは命綱。
掴んでいるその感触を頼りにして歩く。
「はぁ……けほっ……」
それでも、段々と自分が何をしているのか、椛は感覚がマヒしてきた。
自分は本当に命綱を掴んで歩いているのか、いや、まず自分は歩けているのか。
もしかしたら既に立ち止まっているのかもしれない。それどころか、今自分が立っているというのは間違っていて、既に地面へと倒れているのかもしれない。
目印となる音も遠くなっており、意識を集中してみても霧と風によってまったくわからない。
「……い、………ぶ……?」
どこからか何かが聞こえてくるが聞き取れない。
「……いっ! お……」
肩を揺さぶられているのだろうか、なんだか身体が揺れているようだが、それに対して椛は反応を返せない。
「ち……! ……う……ぞ!? ……な!」
何かがまだ叫んでいるようだが、次第にそれもわからなくなる。
視界は目を閉じるようにして塞がっていき、それと大差なく椛の意識も同様に落ちていった。