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リビングで仲良くしている姉妹を見る。俺は何やってるんだろうか。
この空間で明らかな異物になっている。可能ならば帰りたい。
一応、教科書を広げてはいても、進行速度はさっきの三割ぐらいだ。
「ごめんなさいね。歩が我儘言って」
「仕方ないですよ。それだけ片桐が大好きってことですから」
あんな小さい子の我儘を咎める権利は俺には無いし。あっても咎めない。
打って変わって機嫌が良くなった歩ちゃんと遊ぶ片桐。
「お姉ちゃん好きー」
「私も好きですよ~」
……本当に良いお姉ちゃんだな。
それ以外の対応の差に風邪をひきそうだ。
「お礼にケーキでも出すわね」
「いえ、あの、本当にお構いなく」
冷蔵庫を開いて「あ」と声を出す。
「巫代、ごめんなさい。ジュース買って来てくれる?」
「え? あ、切らしてましたか? 近くまで行ってきます」
「なら、俺が」
「貴方は一応客人ですよ、シッダウン。歩、お願いします」
「しっだうん」
面白そうに繰り返す歩ちゃん。
意味は……どうもわかっているようで、俺が立とうとすると止めてくる。
そのまま玄関が開く音を聴くだけだった。
片桐がいなくなったら益々、座り心地が悪い。
「おじさん、ピアノひける?」
リビングに置いてあるピアノと俺を交互に見ながら、聞いてくる。
「おじさんは弾けないな。歩ちゃんは弾けるのか?」
「ううん。でもお姉ちゃんがときどきひいてくれるの。すっごいじょうずー」
「お姉ちゃんはすごいな」
「うん! でも、やめちゃったんだって」
「辞めた?」
「なんか、歩がうまれるまえのことらしいよ?」
片桐がピアノについて語るのをまともに聞いたことがない。
俺に対してだけじゃなく、そもそも知っている人間が少ないのだ。
誇っても良い特技な気がするが、語ることはない。
「ひけないかー、ざんねん」
「ごめんな、おじさんに出来るのは――」
俺に出来るのは昔からこれだけだ。
「『ある森に熊さんがいました。その熊さんはとっても優秀でした』」
「ゆうしゅーう?」
「とってもすごいってことだな。つまり『――熊さんはとっても大きく、どんなに高い木の実だって取れちゃいます。熊さんは力も強く、相撲だって負け知らずです。熊さんはかけっこでも、木登りでも、何をやっても右に出……一番でした』」
「クマさんはてんさいなんだね」
「そうだな天才だ『でも、熊さんは乱暴者でした。森の友達から木の実を取ったり、よく意地悪をしました。それでも誰も何も言えません』」
「なんで? なんでみんないやっていわないの?」
困惑したような目で、森の友達が可哀想だと訴えてくる。
「それはな、みんな強くて大きい熊さんが怖いんだ。怖くて何も言えない『――熊さんは今日も意地悪をします。今度はリスさんを狙いました。リスさんはドジで、体が小さく、自分の木の実も取れません。熊さんはそんなリスさんを馬鹿にします。でも、リスさんはこう言います。馬鹿にすることは悪いことなんだよ、と』」
真剣に聞きながら、小さな拍手をする。
「『――熊さんは言い返されてカンカンでした。そんなある日、熊さんはいつものように森を歩くと、みんな逃げていきます。熊さんは遊ぼうと言っても、みんなみんな逃げていきます。熊さんは一人ぼっちになってしまい、遂には寂しくて泣いてしまいます』」
しょんぼりして、下を俯く。
熊が乱暴者でも、悲しめるのはこの子が優しい証拠だ。
「『そこにリスさんがやってきます。リスさんは、熊さんが悪いことしたからみんな嫌いになったんだよと、厳しく叱ります。熊さんはびっくりします。何故なら生まれて初めて怒られたからです。熊さんは今まで怒られたことがなかったのです』」
「どうして? おこられないことはいいことだよ?」
「そうだな……歩ちゃんがもし今、お姉ちゃんの分のケーキを食べたとして」
「歩、食べないよ?」
「わかってる、もしもだ」
とは言いつつも、ケーキを物欲しそうに見てる。
「それでお姉ちゃんが怒らなかったら、また食べちゃうんじゃないか?」
テーブルに並んだ片桐のケーキを見やる。
「……たべちゃう」
「だから、お姉ちゃんも悪いことだって歩ちゃんを叱るんだ。怒られないと、悪いことだってわからない。怒ってもらえないと、熊さんみたいになっちゃうからな」
……怒るよな? 流石にそこの分別は付いていると思うが。
デレデレで許す姿も想像に難くない。
「『熊さんはリスさんと一緒にみんなに謝りました。たくさんたくさん謝りました。それから熊さんは、自慢の体をみんなのために使いました。そうして熊さんはもう一度、森の仲間になれました』」
「おじさん、リスさんは――」
「『熊さんはリスさんに訊きます。どうして助けてくれるの、と。リスさんは答えます。僕はドジだから沢山失敗する。その度に怒られて、それで助けられるんだ。だから、悪いことをする君を許せなかったし、困っている君を助けたかった。熊さんはその言葉を聞いて、リスさんにありがとうと伝えました。それから、リスさんと熊さんは森で一番の仲良しになりました』とさ」
子供らしい感嘆の声を出しながら、目を輝かせる。
「つまり……我儘ばかり言うと、熊さんみたいに一人ぼっちになる。やだろ?」
「やだ、いうことちゃんときく」
自然と手が伸び、頭を撫でようとして躊躇う。
だが、歩ちゃんが手を引っ張って頭に乗せてきた。
「いいこにするからもっとおはなしして?」
思ったより食いつきがいい。
だが、残念ながらネタ切れだ。
「――歩、あんまりおじさんを困らせちゃ駄目ですよ?」
「お姉ちゃん!」
「崖さん、いい時間ですからこれ食べたら帰ってください。送っていきますので」
「あ、ああ。悪い」
興味が完全にケーキに移り、難を逃れる。
有難くいただき、片桐家を後にした。




