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眠っている人を起こさないように、慎重に扉を閉める。
白く、清潔に保たれた建物内は一見だけは、綺麗に見える。
だが、この建物は病気を患っている。
咳をしたり、吐血したり、人に病気を移すわけではない。
誰でも患う風邪や擦り傷から、骨折や命に関わる重病、重傷。
それらを匿ううちに、この建物は病に侵されてしまった。
五年程前に増改築されたこの棟はとても綺麗だ。細かい所にも手が行き届いている。
それでも、白い壁には黒い染みが靄のように巻き付いている。
この病気が他に移ることはない。だが、人が発症することもある。
そして、その靄は着実に人の心を蝕み病ませる。
心を病んだ者は、次に肉体を蝕み、体を病ませる。
厄介なのは、この病気は発症者に何の症状も起こさない。ただ静かに潜む。
直接、被害を受けるのは周りだけだ。ただ、着実に他を蝕む。
病名は無い。あるいは、呪いと言うのかもしれない。
呪いは解明され、病になった。ならばその逆もあり得るだろう。
「――ビックリした。あんたが本当に来るとは思わなかったわ」
心底から驚いたという顔をされた。
「呼んだのはお前だろ。疲れる」
以前、片桐さんに誘われたファミレスで今度は別の女と来ている。
受付の店員さんが同じ人で、怪訝な顔をされた。
なお、プロはすぐに営業スマイルに切り替えた。
「何でよりにもよってここだ」
「あんたのお気に入りだと思って、違った?」
「ここを選んだのは片桐だ。俺じゃない」
「そんなことはいいわ。それに、私の学校校則厳しいのよ」
あまり遠出するとうるさいか。進学校だけに厳しいらしい。
にしても相変わらず、行動や言動が俺を揶揄う気満々だ。
適当に注文を終えて、話を切り替える。
「今日はその片桐についても聞きたかったの」
「片桐巫代 同級生。勉強教えてる」
「それは見ればわかるわよ」
「じゃあなんだ?」
「なんで勉強教えてるのかって聞いてるのよ」
「俺にだって雀の涙程度の良心がある」
駄目だ、全く信じてないって顔だ。
グラスを片手に言い訳を考える。
考えるのも疲れたので、それっぽいことを言う。
「興味があった。面白そうだった」
「確かに目を惹かれる見た目ね。特にあの白髪は」
「白髪? 銀髪だろ?」
「……何言ってるの? あれは白髪でしょう? そんな冗談言うタイプ――」
いや、あれは銀髪だったはず。銀髪だろう。銀髪だ。
「ごめんなさい、深い闇があるみたいね。謝るからそんな虚ろな目で見ないで」
ナニヲイッテイルカテンデワカラナイ。アレハギンパツダ。
「本当に興味本位?」
「ああ。そこにご指導の嘆願だ。ついでだから肖像権を代わりに貰った」
「あんた相変わらずなのね。よかった、無条件ではなくて」
何に安堵したのか。心外だ。
「只より高い物はないでしょう?」
「それは同感だ」
「じゃあ撤回。単純にあんたがキモいから」
「今の一連の会話に意味あったか?」
ニヤニヤと、玩具を弄ぶようにストローを回す。
しかし、キュッと、回す手が止まる。
「今からでもやめなさい」
「悪いことしてるわけじゃない」
「善意なら尚の事よ」
アイスコーヒーを飲みながら、外を眺めている。
「花って言うのは見るのが一番なの。触れれば毒を貰うものよ」
「俺が痛い目を見る分にはいいんじゃないのか?」
「あんただけならね。あんたは触れた花を枯らすでしょう?」
哀れな物でも見るみたいな目で、道行く人を眺める。
眺めてるようで、うっすら反射するガラスを見ている。
次第にグラスは空になって、ずずっと汚い音を立てる。
「あんたは関わった人間全員を不幸にする」
「にしては、お前は随分と絡んでくる」
「私はもう不幸にされた後だもの。今さら関係ないわよ」
皮肉か、嫌味か。どちらにせよ悪意を持った発言には違いない。
殊勝なことだ。これ以上、被害者が増えるのは見てられないらしい。
「そんなことを言うために呼んだのか? まだあるだろう」
「相変わらず人のことを見透かしたような物言い。嫌いよ」
乱暴に俺のグラスを奪う。
「最近、女の子が襲われるって話、聞かない?」
「それは大抵、火遊びの代償だろ」
「きっぱりね。でも違うわ、何の罪の無い人が襲われてる」
ここで言う罪がないと言うのは、夜遊びはしてないということだ。
「特に酷いのが、彼氏持ちを狙った犯行らしいわ」
「……NTR趣味の犯行か? それは酷い話だ」
「だから、あの子には注意しときなさい。好きなんでしょう?」
「付き合っていない」
「放課後、二人っきりで勉強する男女――あの子に罪は無いわ」
悲痛な面持ちだ。まるで現場を見てきたかのようだ。
いや、見たことがあるのか。
「酷いものよ。被害者の顔も。その彼氏の顔も」
コイツはそれもあって、俺にやめろと言ってくる。
「警察に言ったら、写真をばら撒くなんて小悪党ムーブよ」
状況だけで言えば、咲里花だって対象になり得るだろう。
「……その二人の話、詳しく訊いてもいいか?」
「普通、この顔の私に聞くかしら?」
「悪い」
「謝るなら最初から頼むな」
テーブルの下で脛を蹴られる。
それでも付き合ってくれるあたり、人の良さは抜けない。
話を聞いて、二人して席を立つ。
積もる話とか、雑談するネタは俺には無い。
「それじゃ、会計お願いね?」
「おい待て。俺はほとんど飲んでないぞ」
「格好つけさせてあげてるのよ」
「財布を出さない女はどうかと思うぞ」
「だからやってるのよ。私の学校バイト禁止なのよね~」
「……今回だけだぞ」
互いに飲み物だけで粘る迷惑客だから、値段は軽い。
「それじゃあ、また今度ね」
「またよろしくするつも……?」
「どうしたの?」
「いや、変な悪寒がしただけだ」
誰かに、身に覚えのない文句を言われた気がする。
「身の振り方を弁えろ、ってことよ」
俺が方々に喧嘩を吹っかけてるみたいな言い草だ。
「――気を付けて帰れよ」
振り返りはしないが立ち止まった。
次はどんな悪態が飛んでくるか、良い子なりに考えてるらしい。
顔だけ振り返って、笑顔を見せて。
「あんたもね。バーカ」
ふり絞った結果が、そんな小学生みたいな悪口。
ちょっと面白がってたのが馬鹿みたいだ。
鼻で笑って後にする。
「やめなさい、か」
咲里花の言うことは最もだ。このまま片桐さんと関わるのは良くないだろう。
深い関係でもない。断るなら早い方がいいだろう。事件性があるなら尚更だ。
だが、本心としては最後まで協力していたかった。
心残りになる……いや、いつかの心残りを解消しようとしている。
これは優しさではなくエゴだ。
「……ぐすっ、ず、ぐすつ」
誰かのすすり泣く声がした。小さな女の子が道の端っこで蹲っている。
その横を人が通り抜けていく。罪悪感を感じながら、あるいは慣れた様子で。
今の世の中、どんな所から冤罪を掛けられるかわかったものじゃない。
それは善くはなくとも、責められる選択ではない。
俺もその横を通り過ぎる。
「――大丈夫か?」
「ぐすっ……ひっく、だー、れ?」
「こけちゃったのか?」
「うん……」
「膝擦りむいてる、ちょっと我慢しような?」
近くの薬局で買ってきた、消毒液をそっと掛ける。
痛みに声を漏らし、涙も滲む。
この子の苦痛が伝わってきて、苦虫を噛んだような気分だった。
それでも嫌がらず、しっかり我慢できてる。強い子だ。
最後に絆創膏を貼って終了。
「……かわいくない」
「ごめんな、普通の絆創膏だ」
「いたいよ……お姉ちゃん……」
どんどん小さく丸まっていく。このままでは話もできない。
「……甘い物、食べるか?」
鞄に入っていたお菓子。正直言って、子供の好みのお菓子ではない。
「お姉ちゃんが、あぶないからしらないひとのものもらっちゃダメだって……」
「しっかり英才教育してるお姉ちゃんだな。そうか……なら、これでどうだ」
ひょいっと一つ口に放り込む。
「全然、危なくない」
「……おなじものをたべて、どくをいれるのはあんさつしゃのじょうとうしゅだんだって、もっとこわいひとだって、お姉ちゃんが……」
「……本当に英才教育してるな。どこの国の教育だよ」
困った。ここまで来て放り出すのも気分が悪い。
だが、解決の糸口が思いつかない。目の前で突っ立ていることしかできない。
すると、何故か少女が俺に指差す。
「おようふく」
「服? 服がどうかしたのか?」
「お姉ちゃんのがっこうのおようふく。ごほんでみたことある」
本……ああ多分、パンフレットか何かのことか。
この子のお姉ちゃん、同じ学校か。だとしたら、あんまり関わりすぎるとまずい。
「お姉ちゃんとおなじがっこうのひと?」
「ま、まあそうだな。同じだ……多分」
「ならわるいひとじゃないや。お姉ちゃんのおともだちもおもしろかったから」
「そう、だな。うん、悪い人じゃ、ないな、多分」
心が痛む。なんかすっごく騙しているような気がして。
しかし、この好機を逃す手はない。
「じゃ、じゃあ一緒に帰ろうか? 歩けるか?」
「……歩けない」
「そうか……なら」
屈んで、背中を向ける。すると、意図を察してよじ登ってくる。
小さくも、確かな重みが背中に負荷を掛ける。
決して落としてはならないと、心のどこかが張り詰める。
自分よりも小さな命が、預けられている。
……爺ちゃんも、こんな気持ちだったのかな。
「うん」
少女が無言で手の平を見せてくる。
「どうした?」
「おかし」
「ああ、そう言えば。ほれ」
「ありがとう。おじさん」
「おじさん?」
そんな老けて見えるのか。ちょっとショックだな。
「うん。このおかし、おばあちゃんたちがよくくれるから」
「そういうこと……俺もよく貰ってたよ、だからいつも持ってる」
「もぐもぐ」
「あ、おじさんの頭の上にボロボロ零さない」
少女に道案内をされながら、知らない道を歩いて行く。
時折、猫のいる方を指さされたり。
あっち行ったり、こっち行ったり、色んな所を連れまわされてもいた。
「おじさんもおかおにばんそうこうはろう?」
「な、なんで?」
「だって、おじさんもおかおけがしてるもん」
ああ、これか。
小さな子からすれば、傷跡と傷の区別はつかないだろう。
「ありがとう、優しいんだな。でもいいんだ」
「どうして?」
「これは、おじさんが悪いことしたから神様が怒ったんだ」
そうだ。これは罰なんだよ。人を不幸にした罰。
「おじさん、かわいそう」
「ああ、だから君も……えっと、お名前訊いてもいいか?」
「歩」
「そうか歩。歩ちゃんも良い子にしてないと神様に怒られちゃうからな?」
「えー、やだー」
――緊急停止する。
背中に脂汗が流れ落ちていくのが、ハッキリとわかった。
待て、歩? 俺と同じ高校のお姉ちゃんがいて、名前が歩?
いや、どことなく誰かに似ている気がしてもいた。
「歩ちゃん? もしかして苗字って――」
「着いた!」
目の前の家を指差して、そう声を上げる。
表札に書かれた文字は間違いなく『片桐』だった。
「ご、ごめんね歩ちゃん。おじさんここで――」
――ピンポーン。
無常のチャイムが響く。
「はーい、あら――」
その後は酷かった。
お礼に、とお茶を出され、帰るに帰れなくなった。
何とか名前を伏せて、理由を付けて帰ろうとした。
だが、片桐さんが連絡を入れてしまい、それはもう爆速で帰ってきた。
容疑を掛けられ問い詰められもした。
ただ、同時に家族の仲の良さを知った。人の良さを知った。
この人たちに嫌われるのが恐ろしかった。だというのに。
後悔している。もっと強く拒絶できなかったことを。
簡単に引き下がってくれると思っていた。




