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「――悪いが。話した通り今日は勉強に付き合えない」
「大丈夫です。お気になさらず」
そう端的に伝えて、教室を後にしていった。
一週間に一回、必ずこういう日がある。
理由は話されたこともないし、聞いたこともない。ただ、放課後に用事があると。
一応、健全な男子高校生だ。遊びたいこともあるだろう。
「……星摩さん。隠れてないで出てきてください」
影からにゅるりと顔を出す。
「駄目ですよ。露骨にそういう態度を取るのは」
「でも~、怖いんだもん」
変わってるのは確かですが、変人とは言え人間だ。
「ねね! それより今日は予定ないでしょ? 遊ばない?」
「いいですが……彼氏さんと遊べないからって穴埋めですか?」
「ゔっ」
「何ですか? 所詮、私は二番目の都合のいい愛人ですか」
「ち、違うよ! 巫代ちゃんは私の最愛でオンリーワンだよ~」
言葉とは難儀ですね。重ねれば重ねる程に薄くなる。
あまりに酷い涙目をするので「冗談です」とは言っておいた。
「それで、どこに行きましょうか?」
「久しぶりだからね! ゲーセンでしょ? カラオケでしょ?」
片手では足りない候補たちが上がっていく。
「全部回ってたら明日になります」
「だって~、最近はあんまり予定合わないし……」
言われてみれば。学校以外で一緒に行動するのは久しぶりだ。
他の人と散々、遊び尽くしているでしょうに。
「次の時に取っておいてください。これが最後ではないですから」
「……なんか巫代ちゃん、デートの取り付け方小慣れてなーい?」
「まさか。ごねる歩をあやす為のセリフですよ」
「あたしの扱い小学一年生レベル⁉」
とりあえず妥協してもらった。ただ、それはそれで候補が決まらないようだ。
ので、最初に名前を上げた場所に行くことにした。
「――ほっ、はっ、っと! さっすが! 音感は、よッ! 鈍ってない、ね!」
「そちら、こそ。相変わらず、運動神経は、いいですね」
画面に表示される指示に従って、床のパネルを踏んでいく。
一応、最高難易度を選択してるんですが、会話する余裕があるらしい。
「あの、一応、訊くんですけっ、ど」
「な~、に~?」
「私が、ピアノ弾いていることっ、誰かに話しました、か?」
「うん? うう、ん。話してない、よ~」
だとすれば、彼は本当に妄想だけで私の趣味を当てたらしい。
普通に気持ち悪い。いつかスリーサイズまで当てきそうだ。
その時は迷わず警察を呼ぼう。世のため私のために。
モニターに二人のスコアが表示される。結果は私の負け、最後でミスをした。
「やったー! 巫代ちゃんに強いから嬉しー!」
「……まぐれですよ」
「じゃ、ジュースは巫代ちゃんの奢りね!」
「そんな話聞いてないですよ」
「ほら、次はあっち行こ!」
時間が惜しいのか、次へ次へと急かされていく。
ゲーセン内を一周した頃に、ようやく腰を落ち着けてくれた。
……本当にジュースを奢らされた。
「かーっ! 人の金で飲むのがいっちゃん美味い!」
「ちょっと考え事をしてただけです。次は負けません」
「わお、ちょっとキレてる」
おのれ崖さん。あれがなければ勝ってました。今度会ったら文句を言おう。
苦渋を舐めつつ、星摩さんを見る。
幸せそうに二口目を呷っている姿に、少し疑問を抱く。
「星摩さんは今、幸せですか?」
「え、え、な、なに急に? 哲学? やっぱりあの男に毒されて……!」
「違います。門限ギリギリで怒られてまで、恋人と居ることは幸せなんですか?」
「門限は守ってるよ⁉」
「でもギリギリですよね。最近、親御さんから苦情が入りました」
「うへぇ、母さん何かあると巫代ちゃんに告げ口する」
缶の中身がブラックにでも変わったみたいに、苦い顔をする。
それでも私の顔を見て、回答を探してくれる。
十五秒くらい顎に指を当てて、それで口を開く。
「――幸せだよ。うん! 幸せ!」
「そういうものですか、恋人と言うのは」
「それだけじゃないよ。好きな人が私を好きでいてくれるし。ゲームは楽しい!」
煌めくお星さまを数えるみたいに、天井を見上げて連ねる。
「それで――大好きな友達がいる。これはきっと幸福なんだよ」
臆面もなく言うその笑顔は、彼女らしい喜びが満ちていた。
照れ臭くて頬を掻く。これが、幸福に満ちた人の表情なのだろう。
もう、その顔でお腹いっぱいだった。
「で、何でそんなこと聞くの? 巫代ちゃんも彼氏欲しいの? 紹介しよっか?」
「結構です。ただ、私の幸せが何なのか考えるんです」
このまま生きて、本当に私は幸せになれるのか。時折、疑問を抱く。
だって、幸せにならないと、みんなが悲しい顔をするから。
「うーん? よくわかんないね」
「わかんないですか」
「わかんないから、今はとりあえず楽しいことしよ!」
立ち上がって、手を伸ばしてくる。
馬鹿みたいに(褒めている)綺麗な笑顔は、私の悩みを忘れさせてくれる。
「あっと、すみません」
「電話? どうぞどうぞ! 誰から?」
「親からです――もしもし」
何だろう。門限にはまだ余裕があるし、特に予定もなかったはず。
一抹の不安を胸にスマホを握る。
『もしもし巫代? 今、大丈夫? 歩がちょっと――』
「歩が⁉ 歩がどうしたんですか⁉」
『大きな声出さないで耳が痛いから。大丈夫、ちょっと膝を擦りむいただけよ』
「……お母さん。流石の私でもそれくらいでは飛んでいかないですよ?」
『問題はそこじゃないの? 巫代と同じ学校の子が家まで送ってきてくれたの』
「本当ですか? それは有難いですね。名前を聞いておいて貰えますか?」
今度お礼をしよう。にしても誰だろう。
『それが教えてくれないの。とっても不思議な格好をしてるんだけれど』
「――もしかして顔に傷があって片眼鏡をしてませんか?」
『そうそう! 巫代よくわかって――」
「すみません! 急用です、先に帰ります!」
「う、うん……気を付けて……?」
スマホをしまって全力疾走。今なら世界記録を出せる自信がある。
普段の十分以上早く帰宅し、蹴破るつもりでドアを開く。
「……ど、どうも。お邪魔してます」
いたたまれなさそうに正座する姿が、そこにはあった。
膝に絆創膏を貼った歩が、その近くで玩具をいじっている。
「巫代! 急に電話切って! それにただいまが――」
「ただいまこの男借りていきますね!」
手を引っ張り、家から引きずり出した。
「何で崖さんがいるんですか! まさか、本当にストーカーに目覚めて……!」
「違う誤解だ。まずは話を聞いてくれ」
「最近知り合った貴方が偶然怪我した私の妹を見つけたと⁉」
「本当に違う。まず片桐さんの妹とは知らなかった」
「いえ、崖さんのことです。何か裏が――痛っ⁉」
ドアをノックするみたいに小突かれる。
「こら。妹の恩人に酷いこと言わないの」
「お母さん、この人はえっと、その、あまり、その」
ああもう。言動が変なだけで、具体的な変態行動しているわけじゃない。
勉強を教えて貰っている立場だから余計に何も言えない。
「……お姉ちゃん、おじさんをいじめるの?」
「ち……違いますよ~、お姉ちゃんとおじさんはとっても仲良しなんですよ~?」
「……そうなの?」
件のおじさんを恐る恐る見ている。
私は笑顔のまま、特に理由も無いがおじさんに視線を送る。
「そう、だな。一緒に勉強するぐらいには仲が、仲が…………? 仲がいいぞ?」
あ、余計なことを。
「あら? 放課後に勉強してるって本当だったのね?」
「えっと、はい。一緒に勉強させてもらっています」
「よかったー。おじさんいいひとだからいじめちゃダメだよ?」
「歩、ダメでしょ? お兄さんをおじさんなんて呼んだら」
「でもおじさん。おじいちゃんたちのいえにあるおかしくれたもん」
「気にしないで下さい。そう呼ばれて悪い気はしないので」
「あらあら。ごめんなさいね、気を遣わせてちゃって」
ヤバイ。この流れは非常にまずい気がする。
二人の中で株がストップ高。非常に危険だ。
崖さんも崖さんで何良い人ぶってるんですか。
「巫代も来たことだし、改めてお茶はどうかしら?」
「お母さん⁉」
「何慌ててるの。仲良し、何でしょ?」
「い、いえそれは言葉の綾というか違うといいますか」
「違うの…?」
「違わないよー? 全然、違わないですよー?」
お母さんがクスリとする。絶対わかっていてやっている。
「――お誘いは有難いですが。この後に予定があるので」
「あらそう? 残念。今日はありがとうね、ほら歩」
「バイバイ、おじさん」
「ああ、バイバイ。片桐さんのお母さんも失礼します」
歩に手を振って、すんなりと帰っていく。
私に気を遣ってくれた? いえ、何というか……
「私、そこまで送っていきます」
「え? あんまり遅くなっちゃ駄目よ?」
「わかってます! すぐそこのコンビニまでです!」
「あと送り狼になっちゃ駄目よ?」
「なりません!」
「……追い返そうとしたり、送ったり。変な子ね」
遠くなってしまった背中を追いかける。
無駄に歩くのが早い。ちょっと駆け足で隣に入る。
特に反応は無かったが、ペースが落ちた。
「悪かった。お邪魔して」
「いえ……すみません。私、妹のことになると、ちょっとだけ血が上りやすいんです」
「……ちょっと?」
子供って言うのは正直者だ。嫌なことされてたら拒絶するだろう。
「優しいんで……まさか、ペド?」
「違う。流石に小さい子に興奮する癖はない。それにもう、近づかない」
足を止める。それに気が付いて、数歩歩いたところで崖さんが止まる。
「どういう意味ですか」
「お前の家族が良い人なのはわかった。だから、もうやめるよ」
……事実として崖さんには普通じゃない傷がある。普通の親なら苦い顔をする。
でも、私を愛してくれる人たちだ。私が大好きな人たちだ。
「私と、私の家族を馬鹿にしないでください」
「馬鹿にしてない。火のない所に煙は立たないんだよ」
「ですが、くだらない煙は私が払えば消えます」
「それでも火は、傷はある」
背筋に冷たい物が走る。初めて、彼から言及があった。
それは恐らく確かな火である。触れれば火傷するもの。
疲れた、と愚痴りながら足を前に進める。
「――私はやめません。別に他人が貴方をどうこう言おうが勝手です」
偏見でも事実であっても、何を言おうがその人たちが自由にすればいい。
ただ、私はそれが嫌いなのだ。ただ拒絶するのは嫌いだ。
「少なくとも私には、貴方が悪い人には見えません」
ここで私が引き下がれば、私の髪を馬鹿にする人たちと同じになる。
「私が嫌なんです。ここで下がることに納得がいかないんです」
この考えを他人に強要する気はない。イメージは人を判断するには充分な材料だ。
「だからまた勉強教えてください。いいですね?」
「だが……」
「いいえ、もう決めました。今年いっぱいは付き合わせます」
表情に変化はないが、困惑している。
初めてこの人の虚を突けた気がして、大変気分がいい。
返答に困って、息を吸ってため息を吐こうとする。が途中で止めて、空を仰いでいく。
眼鏡を弄って、最終的には折れて頷いた。
最近わかってきたことだが、この人は思ったより感情が豊かだ。
ポーカーフェイスは崩れない。ですが、よく見れば細かいリアクションを取っている。
「それと、歩で妄想するのだけは止めてくださいね」
「子供にそこまでの情報量はない」
「は? 何ですか、歩は中身スカスカで魅力が無いって言うんですか」
「……疲れた」
これは口癖ではなく、本当に疲れている。
「あと、私のことは片桐でいいです」
一々「片桐さんのお母さん」は面倒だ。
「……帰る。片桐も早く帰れ」
「はい、また明日」
相変わらず読めないその人の背中は、いつもより丸まって見えた。
「お母さん、塩ないですか、塩」
「塩? あるけど何に使うの?」
「玄関に撒きます」




